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1995年自転車の旅|03|富士山と東海道

 1995年(平成7年)秋。一人の青年が東京から鹿児島まで自転車で旅した記憶と記録です。


【前回のあらすじ】
 東京から鹿児島に向かう自転車旅の1日目。
 都内を出発し、国道246号を西へ。前後左右に重たい荷物をくくり付けた自転車の運転に難儀し、電信柱に衝突して転倒したりと、予想外のハプニングに見舞われつつも、丹沢湖畔に到達。地図で目星をつけていたキャンプ場では宿泊を断られ、仕方なく川原の空き地にテントを張る。昼間の疲れがあっという間に睡魔を引き寄せた。

 旅の2日目。
 午前5時半起床。晴れ間は見えるが肌寒い。
 茹でたてのスパゲッティにコンビーフを絡めた朝食。山懐の澄んだ空気の中、川のせせらぎと葉擦れの音を聞きながらの、孤独で贅沢な朝食。たった一日走っただけというのに、まるで別の世界にやって来たみたいだ。
 今日の目標は、第一に太平洋を拝むこと。第二は…特にない。どこまで走れるかは、自分の脚力と気力次第。お天道様次第。
 すぐにその場を離れるのが惜しい気がして、狭い谷間に朝日が射し込む時刻まで、のんびりと過ごした。テントその他を撤収し、出発したのは、時計の針が8時を回ってから。

東名高速道路の酒匂(さかわ)川橋
手前から流れて来るのが、前日、河川敷にテントを張った河内(かわち)川と思われる

 国道246号を離れ、JR御殿場線の駿河小山するがおやま駅に寄り道。洗面と水の補給を済ませる。
 しばらく走ると富士山が視界に入った。自転車を止め、秋空にそびえる山容に見惚れる。

 御殿場に向けては上り坂。その後は一転、富士の裾野を沼津まで長いダウンヒル。速いときは時速40km以上に達する。怖さはあるが、同時に爽快感も。ロードバイクのような軽い自転車でスピードを出すときとはまた違って、重力に引きずられながら加速する独特の感覚を味わう。ただし、当人はそれでよいとして、周囲のドライバーの方がおっかない思いで見ていたに違いない。

 沼津からは国道1号。ひっきりなしに追い抜いて行く大型トラックの脇で、黙々とペダルを踏み続ける。路肩が広く、トラックの車列が前へと進む風の流れを生み出してくれるおかげか、思った以上にスムーズに走ることができた。
 ランチが安価なドライブ・インを見つけ、昼食。夕飯の食材も日が高いうちに仕入れておく。
 富士市では、国道1号が自動車専用道路に切り替わるため、県道396号線へ迂回。富士川を渡る。

「ふじかわばし」の銘板が見える

 蒲原町かんばらちょう(当時。現在は静岡市)に入った辺りで急な雨に降られた。どこぞの会社のガレージらしき屋根の下に飛び込んで、勝手に雨宿り。サイクリストにとって、雨は天敵以外の何ものでもない。30分以上降り籠められ、ようやく収まり始めた雨脚と空の色を見計らいながら、午後3時近くに再出発。
 旧東海道の風情が残る由比ゆいの宿場町を抜ける。

由井正雪の生家と伝わる染物屋「正雪紺屋(こうや)」
お店のお姉さんにお願いしてシャッターボタンを押してもらった記憶が…違ったかな?

 国道1号に戻り、海沿いの道を清水方面へ。

駿河湾沿いに
併走する東名高速道路
潮風に吹かれる松の枝振りが歌川広重の浮世絵のよう!
清水港は大きな港だ

 今日も走りに走って、心も体ももうヘロヘロ。
 地図に目を凝らせば、清水港をぐるりと囲む三保みほ半島の先っぽにキャンプ場のマークが見える。
 スマートフォンなんて影も形もない時代。どんなキャンプ場か、料金はいくらか、そもそも営業しているのか、現地に足を運ばないことには何一つわからない。ならば、先へ進む以外の選択肢はない。
 もし断られたなら、昨日と同じく野宿するまで。
「キャンプ場は7月と8月しか開けていない。でも、テントを張るのは構わないよ」
 一夜の宿を請うたぼくに、経営者らしき男性が答えた。仏頂面にぶっきらぼうな口調。だが、密やかな温かみが伝わってきた。ありがとう。すごく嬉しかった。
 日没と競争するように慌ただしくテントを設営。自炊の夕食のあと、8時前には就寝。時折テントを鳴らす雨粒の音。風も強い。

翌朝の出発前に
©Google Map
©Google Map
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【旅の2日目】
1995年10月11日(水)
神奈川県足柄上郡山北町(丹沢湖付近)→ 静岡県静岡市清水区三保(当時は清水市)
走行距離(当日)103.28km
走行距離(累計)214.18km
出費(当日)1,212円
出費(累計)2,176円


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