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1995年自転車の旅|02|どこで眠ればいい?

 1995年(平成7年)秋。一人の青年が東京から鹿児島まで自転車で旅した記憶と記録です。


【前回のあらすじ】
 大学卒業後、就職もしないまま、都内の六畳一間のアパートで燻っていたぼくは、実家のある福島で勤め先が決まったのを機に、自転車で長い旅に出ることを決める。目的地は鹿児島。1995年10月10日午前6時、ぼくはサドルに跨がり、ペダルを漕ぎ始めた。

 一刻も早く都内を脱出したい。《旅》をしている実感が欲しい。
 そうはいっても首都圏は広い。今日中にどこまでたどり着けるか。
 東京から西へ向かうとなれば、真っ先に東海道が思い浮かぶ。が、できることなら箱根越えの峠道は避けたい。海沿いに横浜、小田原、熱海と結んで走るのも、新宿からだとかなり遠回りになる。
 よって、国道246号を通り、御殿場経由で沼津に抜けるルートを選ぶ。

 走り始めると、すぐに問題発生。
 金属製のキャリアを介して自転車に取り付けているバッグが、走行中の振動ですぐに外れそうになるのだ。
 バッグは、前輪側と後輪側の左右に計4個装着しており、さらに後ろの荷台にもバックパックを一つ、半ば無理矢理くくり付けてある。バッグの中にはテント・寝袋・バーナーといったキャンプ用具一式、着替え、米や缶詰などの食料、その他もろもろの日用品を詰め込んでいるから、パンパンに膨らんでひどく重たい。自転車を運転する感覚も、荷物無しで乗っていたときとはまるで違う。
 事前に同じ条件を作って、それなりの距離でリハーサルしておけばよかった…。後悔してもあとの祭り。仕方なく、途中のコンビニに寄ってビニール紐を入手し、応急処置で誤魔化す。
 その後も慣れない重量バランスの自転車に翻弄され、走りながら二度、電信柱に正面衝突する始末。一度は自転車ごと転倒して、思いきり地面に投げ出された。スピードがさほど出ていなかったのと、倒れた場所が歩道だったのが救い。下手をすれば、1日目で大怪我をしたり、場合によっては鹿児島ではなく、あの世に行っていた可能性もあったわけ。

 午前10時半ごろに厚木付近に到達。距離的には順調に進んだといっていい。マックのドライブスルーでハンバーガーを購入し、早めの昼食。道端でパクついていると、立派なジャーマンシェパードを連れた老年男性に話しかけられる。
「若いうちに自分の限界に挑戦することが必要だ。オウム真理教の人たちはそれがなかったせいで、知識を知恵だと勘違いしてしまった」
 地下鉄サリン事件が起きたのは、この年の3月20日。事件の生々しい記憶が社会を覆っていた。

 今回の旅が果たして「自分の限界に挑戦すること」なのか、ぼくにはわからない。治安や食料事情にさしたる不安のないこの国で、人力とはいえ、勝手気ままに旅することが「自分の限界に挑戦する」といえるのかどうか。本当の意味での「限界に挑戦する」とは、もっとずっと凄まじい何かを指しているのではなかろうか。
 いや、ぼく自身はとりたてて、「自分の限界に挑戦する」ために旅に出たのではないんだけども。

 厚木から秦野はだのへ。
 松田から先はJR御殿場線の線路を横目に走り続ける。
 山紫水明の穏やかな景色。自転車の操縦にも段々と自信が生まれ、上り坂ではペダルに全身の力を込めて、車体をグイグイと前に押し出す。
 追い越して行くクルマの窓が開いたと思ったら、小さな女の子がこちらに身を乗り出して、
「がんばれー」
 と声を上げる。片手を振ってエールに応える。
 谷峨やが駅前でしばしの休息。

この味わい深い木造駅舎は、いまはもう無い。

 さて、今日は初日だし、思う存分走ったから、そろそろ腰を落ち着ける場所を探そう。
 1日で静岡との県境までやって来ることができたのだ。上出来じゃないか。
 国道246号を丹沢たんざわ湖方面に折れ、地図で目星をつけておいたキャンプ場へ。経営者と思しき老夫婦に、ひと晩テントを張らせてもらえないか頼む。すると、
「うちは昔からテントはやってない」
 と、予想外の返答。
 キャンプ場なのにテントを張って宿泊できないとは、これ如何に。
 そこをどうにかと食い下がるぼくに、旦那さんはいったん、
「隅っこの方でよければ」
 と妥協案を持ち出した。しかし、奥さんは、
「いけません。水もトイレもないんだから」
 とピシャリ。どうやら見知らぬ人間を敷地に泊めること自体が嫌らしい。
 これ以上、交渉の余地は無いみたいだ。諦めて丹沢湖に通じる急坂を上る。すっかり足を休めるつもりでいたので、心と体はガタガタと右肩下がりの下降線。
 湖畔のキャンプ場ではテント泊のOKが出た。同時に1泊2千円也の料金も提示される。貧乏旅行の身で、一人分のテントを張る場所代に2千円を支払うのは苦しい。これからの道中、何が起きるかわからない。出費は極力抑えたい。
 ぼくは元来た道に戻り、どこかテントを張れそうな場所はないか目を皿にして探した。丹沢湖から流れ出す河内かわち川沿いの、人目につきづらそうな空き地を見つけて、そこに泊まることに決める。テントと寝袋でかろうじて夜露はしのげるが、ほぼ野宿。そうした事態もあり得ると想像してはいたものの、まさか初日からとは!
 しかも、こんな場所で寝ていて、夜のうちにダムが放水でも始めたら…その晩、脳天気でいられた自分が、いま振り返るとおそろしい。
 ともかくも、旅の1日目は無事、終了したのだ。
 疲労のおかげか、寝袋に入るとほどなく眠りに落ちた。

2日目の出発前に初日の宿泊場所をパチリ(テントは撤収済)
©Google Map

【旅の1日目】
1995年10月10日(火)
東京都新宿区 → 神奈川県足柄上郡山北町(丹沢湖付近)
走行距離(当日)110.90km
走行距離(累計)110.90km
出費(当日)964円
出費(累計)964円


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