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【絵本エッセイ】うちの絵本箱#9『祝福された女の子―ディック・ブルーナ作『ちいさなうさこちゃん』』【絵本くんたちとの一期一会:絵本を真剣に読む大人】

0.はじめに

 毎回、温かいご支援を賜り、ありがとうございます。うちの絵本箱も第九号です。今回は、私自身も小さいころから数冊を所持していたディック・ブルーナ(去る二〇一七年二月十六日に亡くなったばかりですね!ご冥福をお祈りいたします)の作品から、娘に最初に買い与えた、「うさこちゃんシリーズ」第一作、『ちいさなうさこちゃん』を取り上げます。

 幼いころから、福音館書店発行の「うさこちゃんシリーズ」に慣れ親しんでいるので、私にとってナインチェ(うさこちゃんのオランダ語)は、永遠に「ミッフィー」ではなく、「うさこちゃん」なのですが、いずれにせよ、実は私は、あまりうさこちゃんが得意ではありません。デザインとしてもお話としてもキャラクターとしてもとてもかわいいと思うのですが、今一つパンチを感じないのです。ちょっと物足りないというのが正直なところです。昔はそんなことはなかったと思います。小さいころは、大変気に入っていたようで、昔から持っている本を見ると、よく読んでいた形跡があり、落書きなどもしてあります。ですが、大人になって、娘に読み聞かせていると、柔らかい日本画風の絵本と比べて、線が無機質で記号的すぎるように感じることがあったり、キャラクターとしては、うさこちゃんのあまりにも恵まれた環境に、縁遠さを感じてしまったり、さっきも言いましたが、話ももっと血沸き肉躍る話が読みたくなったりするのです。

 しかし、だからこそ、あえて私はこの本を選びました。どうしてここまで人気があるのか、どこにそのすばらしさがあるのか、私も認識を変えることができるのか、娘と一緒に楽しく読んでいくことはできないかと、いろいろと探ってみたいのです。そのおかげでミッフィーの価値が分かればこんなにうれしいことはありません。まったく個人的な理由で申し訳ありませんが、どうか最後まで辛抱強くお付き合いくだされば幸いです。


1.芸術作品としての「うさこちゃんシリーズ」

 さて、最初は、後で中身について考える前段階として、主に調べたことと客観的な事実について述べていきたいと思います。

まず、「うさこちゃんシリーズ」を語る上で外してならないのは、絵とテクストを切り離して語ることはできないということです。特にその絵は、現代芸術の範としてオランダの国立美術館でコレクション化され、熱心に研究されるほど、芸術性の高いものなのです。この意味で、「うさこちゃんシリーズ」は、まさに総合芸術作品といえるでしょう。

 それでは、どのようにそうした芸術作品としての「うさこちゃんシリーズ」が生まれ、育まれていったかという経過と、作者ブルーナの来歴や手法について、調べたことを書いていきたいと思います。

 

二つの『ちいさなうさこちゃん』

ブルーナ追悼の回顧展などもあり、ご存知の方も多いかと思いますが、実は、「うさこちゃんシリーズ」第一作の『ちいさなうさこちゃん』には、二つの版が存在します。第一版は一九五五年に、縦長で枚数も第二版より多い版型で、現在とはだいぶ作風が異なる、ラフで素朴な感じの線の絵本として出版されました。夏休みの家族旅行で海辺のリゾート地を訪れたブルーナが、当時まだ幼かった長男シルクくんとともにウサギを見つけ、喜んだシルクくんに毎晩即興でウサギの話をしたのが、創作のきっかけだったそうです。しかし、残念ながらこの本は、あまり人気が出ませんでした。これを大幅に改めて出したのが、一九六三年の第二版です。現在に見るような一五・五センチメートル四方の正方形の、十二枚の見開きで左に文章、右に絵という形にしたのもこの時ですが、画風がかなり変わり、うさこちゃんは現在知られているような、必ず正面向きで、記号化された絵柄となりました。その時以来、大の人気者となったうさこちゃんは、シリーズ三十作以上を数える約六十年の歩みの中で、ずっと進化を続けました。たとえば最新のうさこちゃんは、輪郭も太くなり、顔は楕円から円に近くなり、目も小さくより目になっています。より赤ちゃんに近くなってきているのです(この稿を書き始めた二〇一六年時点では、作者のブルーナは九十近い高齢となって現役を引退したところで、二〇一七年二月一六日に亡くなりました)。

 

ディック・ブルーナについて

さて、この偉業を成し遂げた作者のディック・ブルーナですが、こうしたことを成しえたのは恵まれた家庭に生まれながらも、たゆみない努力を重ねた結果であったようです。彼は、一九二七年、オランダのユトレヒトに生まれました。出版社経営の裕福な家庭に生まれ育ち、母親をはじめとして皆に愛される夢のような少年時代を送りました。しかし、第二次世界大戦とともに隠れ家で息をひそめて生きる暗い日々も経験します。こうして多感な日を過ごし、自我を育んだ青年は、親の反対を押し切り、画家を志しましたが、やがてグラフィック・デザイナーの道を選びます。父の出版社の専属デザイナーとなって、およそ二〇年の間に二〇〇〇冊に及ぶデザインをしましたが、ブラック・ベアというキャラクターで一躍人気者になります。その後、絵本作家の道を選び、メルシス社という会社を友人と立ち上げ、父の出版社を退きました。事務は友人に任せ、創作オンリーの職人的生活へ入ります。今年(註:二〇一七年)に入って、八十九歳で、老衰のせいで亡くなりましたが、こうして六〇年以上も熱心な創作を続けたブルーナは、オランダの前衛芸術運動デ・ステイルやマティスにつながる現代芸術家として世界的に高く評価されています。 


ブルーナの作品の特徴

この現代芸術家としてのブルーナの絵の特徴ですが、まず、形については、フランスの画家マティスの影響で、「必要がないものをギリギリまで削り、いかにも簡単に見える線だけで、その対象がもつ本質をきっちり描き出そう」という意図がみられます。そのために、うさこちゃんも、できるだけ単純なフォルムが目指されています。

色については、赤・青・黄・緑・茶・灰色の六色のブルーナカラーという特別な色が使用されています。その役割は大体決まっており、緑と赤は前に出てくる色で、緑は安心した感じを与え、赤は温かみを感じさせます。青は引き下がって見え、悲しみや静けさを表現したいときに使うそうです。黄色は明るさを表し、茶色やグレーはその時々に必要な場所で使います。あとは、背景の白と輪郭の黒だけです。このような、子供の大好きな、モダンで斬新な色遣いが、ブルーナの真骨頂なのです。

作品の作り方ですが、①何遍も書き直しをした上で(百回以上描くこともあるそうです)、トレーシングペーパーへ鉛筆でスケッチ(下絵)を描きます。②これをなぞった上に、筆(愛用の筆があるそうです)で細心の注意を払いながら、画用紙にポスターカラーで輪郭を描いていきます(原画)。③それを透明フィルムに焼き付けて、印刷所に渡す指定紙を作ります。線画の下にブルーナカラーの色紙を切り貼りし、色指定を行います。

以上のような手順だそうですが、一冊の絵本を仕上げるためには、何か月もかかるそうです。一枚の絵を仕上げるだけでも、二・三か月はかかったといいます。しかも、ブルーナはすべてを自分一人で行い、アシスタントは使わなかったというのですから、驚きです。ただし、作品の良し悪しは、奥さんのイレーネさんに判定してもらうそうです。そして、彼女がダメ出しをすると、描きなおすそうです。

本の特徴についてです。先ほども書きましたが、一五・五センチメートル四方の正方形で、子供がもちやすい大きさと形になっています。十二枚の見開きで、絵が右側、文が左側にあります。名前を書く見返しと本文と表紙、すべてのデザインを一人で行うのが、ブルーナ流です。

最後に、テクストの特徴です。すべて四行書きになっており、二行目と四行目には必ず韻が踏まれています。絵画を専門とするブルーナですが、文章もプロフェッショナルであり、絵を描きながら想像を膨らませ、浮かんできた文章を、人差し指ですばやくタイピングするのだそうです。『ちいさなうさこちゃん』については、石井桃子さんの名訳で、七五調になっていますが、きっともとのオランダ語も、親しみやすくも趣ある、名文句なのでしょうね。


以上、「うさこちゃんシリーズ」について、ブルーナについて調べた事柄でした。日本でも大人気の「うさこちゃん」ですから、すでにご存じの方も多いかと思いますが、一応書かせていただきました。「うさこちゃん」とブルーナ理解の一助になればと思います。


2.テクスト分析:始まりの物語としての『ちいさなうさこちゃん』

 三十四作にのぼるという、「うさこちゃんシリーズ」ですが、処女作にすべてが含まれるという考え方に基づいて、第一作となる『ちいさなうさこちゃん』を取り上げることにしました。

 

お嬢様うさこちゃん

まず、この作品は第一作として、主人公であるうさこちゃんの家庭環境等、物語の屋台骨となる舞台設定をしっかり行っています。冒頭から、うさこちゃんがどんな環境に生まれたかということが、はっきりと伝わってくるのです。

 冒頭、大きな庭に、瀟洒な一戸建ての家が出てきます。このことから、うさこちゃんの家庭が比較的裕福だということが推測されます。

 次に、お父さん(ふわふわさん)とお母さん(ふわおくさん)が出てきますが、お父さんはおそらく働いていないところからも(のんびりとお花に水をあげている)、お母さんが専業主婦であるらしいところからも、のんびりとした生活のできる比較的裕福な家庭であるということが暗示されています。

続けて、おうちの仕事の延長でお母さんの買ってくるのが、「さやえんどうとおいしいなし」です。これは、おしゃれでリッチな食生活を想像させます。ふわおくさんのセンスの良さもなんとなく伝わってきます。きっとお料理が上手な、いい奥さんなんだろうなあ、とうらやましくなりますね。

 こうしたすべての点から、すでに最初の部分で、裕福でスタイリッシュな恵まれた家庭生活が営まれていることが伝わってくるのです。

 私は、それが「うさこちゃんシリーズ」に時々縁遠さを感じる理由なのかもしれないと思いつつも、一方で、ブルーナ自身の幼少の恵まれた生活も反映されているだろうし、うさこちゃんの物語が必ずハッピーエンドで終わるという鉄則に見合う、安定した物語の基礎になっているとも思いました。


祝福された子うさこちゃん

さて、次に思い浮かぶ、取り上げるべき観点は、うさこちゃんがどのように生まれたかということだと思います。すなわち、うさこちゃんは天使の贈り物として生まれてきたのです。

 もちろん、キリスト教の影響の強い土地柄ということもいえ、文化の違いを感じることもありますが、今では、私たち極東の国日本でも、普通に赤ちゃんは天使の贈り物だという考えが広まっていると思います。赤ちゃんは天から授かった最高のプレゼントなのです。 

個人的には、四十歳にして愛息子を授かった私の従姉もそういう表現を使ったことがあったのを、今にして思い返しますし、私自身も娘のことをそう思います。

それが、特にうさこちゃんでは、はっきりと描かれています。うさこちゃんは皆に祝福されて生まれてきた子供なのです。

しかも、いわば天の愛、家族の愛だけでなく、隣人の愛にも恵まれています。すぐに周囲の動物たちが挨拶にやってきたほどですから。うさこちゃんは三重に祝され、愛に包まれているのです。

 このようにはっきりと、確かな愛情と祝福に包まれている子供が、どんなに恵まれて幸福かということは、あえて指摘する必要もないでしょう。しかし、こうしてはっきりと描かれることで、読者は、うさこちゃんの世界が、常に温かく愛情と幸福に包まれており、物語も安定的にハッピーエンドに終わるという安心感をもって見つめることができ、作品世界に身も心も委ねられるということを、第六感で敏感に感じとるのではないでしょうか。特に子供は、こうした幸福な温かい世界を、何よりも得難いと思うでしょう。これに身を委ねている間は至福でしょうね。それが、大人にとっては、現実味がなくて冒険性が少なく、時折退屈だと感じる素因にもなるのかもしれませんが、逆にこの本が大人が子供に安心して与えられる本であり、子供に最初に与える本として最適な本であることを示しているのではないでしょうか。私はこの辺がうさこちゃんの人気の最大の理由の一つであると思うのです。


『ちいさなうさこちゃん』の不思議:挨拶に来る動物たちとうさこちゃんの擬人化

ところで、『ちいさなうさこちゃん』にはいささか不思議なところがあります。小さなことだとは思うのですが、気になるので、触れておきます。

すなわち、うさこちゃんやその家族は擬人化されているのに、隣人であるうしやにわとり、ひよこたちは、普通の動物として描かれているのです。不思議ではありませんか。

よく考えてみると、うしもにわとりもひよこも、どれも家畜なのですが、うさぎが人間で、その他は動物と分けられているというのは、面白いですよね。もう一つの最初期作品、『うさこちゃんとどうぶつえん』でも、動物園の動物たちは普通の動物扱いなのですが、これもまたよく考えてみると、不思議かもしれません。

私が思うに、これはうさこちゃんとその家族だけが特別で、うさこちゃんにそれだけキャラクターとしての造形性が強く担わされているということなのではないでしょうか。うさこちゃんはうさぎですが、うさぎというよりは、人間の子供に近い存在なのだと思います。それが、これまたうさこちゃんの人気の秘密であり、人間の子供がうさぎの形をとっていることが、親しみやすさの芽生える要因なのかもしれません。人気の絵本の主人公が、小動物の形をとることは、様々な他の例(たとえば創刊号で取り上げた『ぐりとぐら』や第六号の『もぐらとずぼん』)からも推測されることではあります。


他の初期作品と比べて

 それでは、これまで『ちいさなうさこちゃん』から読み取れる、いくつかの「うさこちゃんシリーズ」の人気の秘密について考えてきましたが、この第一作の、他の初期作品と比べて特に異なる点について考えてみましょう。少しマイナス面かもしませんが、それは、ディック・ブルーナのライフワークともなった息の長いシリーズの第一作として、うさこちゃんの生い立ちを「説明」する作品であって、その分、冒険性やストーリー性が少ない点ではないでしょうか。ゆえに、この作品は、自由で生き生きとした展開の『うさこちゃんとどうぶつえん』や『うさこちゃんとゆきのひ』と比べて、人気の点で(売り上げ数で(少なくとも日本では))負けてしまうのだと思われます。

 ですが、この本があるからこそ、後の作品が安定的な世界を描きえたのだと思います。その意味で、この本は、やはりもっとも重要な本であり続けるのです。

 ただし、私自身も、この本は繰り返し読んでいると、説明的な感じがして、訳の名調子を読んでいて心地よいということはありますが、シリーズの他の本を読んでみたくなるのです。素直で活発なうさこちゃんの性格も、その後の「うさこちゃんシリーズ」の人気の秘密の一つであると思うのに、この作品では、うさこちゃんは生まれたばかりで寝ているだけなので、それが分からないということもあります。

 というわけで、他の作品も読んでみたのですが、私は、同じ時期では、『うさこちゃんとどうぶつえん』が出色の出来だと思います。次々に展開する動的なストーリー。目も彩な動物たちの競演。作者自身が乗りに乗って描いている感じが伝わってきます。うさこちゃんの素直で活発な性格もよく表現されています。

 もっとも古い作品であるらしい『うさこちゃんとうみ』もまた、『どうぶつえん』とは違った味わいで、興味深い作品です。砂丘という変わった舞台で、うさこちゃんがパンツ姿になったり、色とりどりの貝殻が画面いっぱいに広がったり、デザイン的に意匠が凝らされています。

 この三作に先ほどの『ゆきのひのうさこちゃん』を加えた四作が、初期作品ですが、春夏秋冬を描き、また、うさこちゃんが眠くなって終わるという共通の結末を持っている点が特徴的です。

 この後、うさこちゃん作品は、三十作以上出版されますし、絵柄もテーマもどんどん進化しますが、この初期作品以上の人気を勝ち得た作品はなかったのではないかと思われます。彗星のように現れた、この絵本の世界における新しき古典の土台は、こうしたしっかりした初期作品によって築き上げられたのでした。『ちいさなうさこちゃん』によって固められた物語の基礎を最大限に生かした動的なストーリーの『どうぶつえん』と『うみ』、主人公の優しい性格を遺憾なく描き出す『ゆきのひ』。『ちいさなうさこちゃん』には欠けているものが見つかった感じです。これが全体としての「うさこちゃんシリーズ」の人気の源なのでしょう。その後もシリーズは進化を遂げますから、まさにこれはブルーナのライフワークであり、六十年以上世界で愛され続けてきた理由もここにあるのでしょう。第一作ならではの堅実なつくりと、それを補って余りある、動的な残りの三作。とてもバランスの良い組み合わせなのです。

 それでは、最後に、もう一度『ちいさなうさこちゃん』を中心に、「うさこちゃんシリーズ」の魅力についてまとめたいと思います。


3.結語:成長する幸福な女の子

 この際、絵については、専門家でもなかなか難しいテーマなので、ここでは触れないことにします。

それではテクストについて、考えていきたいと思います。まず、第二節でも述べましたが、シリーズではあるものの、第一作『ちいさなうさこちゃん』に特化して読むと、うさこちゃんの家庭環境がよくわかり、うさこちゃんが比較的恵まれた家庭の子女であることがわかるという点を挙げておきたいと思います。それゆえ、「うさこちゃんシリーズ」は、恵まれた家庭の子女であるうさこちゃんの物語ということになります。 

 それで、私のように距離を感じたりする人もいるかもしれませんが、基本的には、恵まれた環境の中で大いに愛されて生まれ育つうさこちゃんの物語が、必ずハッピーエンドの結末を迎えることが、読者に非常な安心感を与えることは、先にも書きましたね。つまり、第一の魅力とは、幸せな家庭の雰囲気とハッピーエンドから導かれる読後の幸福感です。

 第二点目は、そうした設定とストーリーの鉄則ともかかわってくる、ヒューマンな物語と、そこに底流する温かな感情です。これを読み続ければ、人間愛を感じ取れる確かな感性が備わってくるでしょう。

 第三点目は、物語の身近さです。少なくとも初期作品では、殺人事件のような大きな出来事は起こりません。ちいさなうさこちゃんの周囲の日常的な出来事でできており、ストーリーも起伏が少なく、静的な印象を受けます。『ちいさなうさこちゃん』の場合は、特にその性格が強いですね。ただし、それだからといって退屈だということはありません。私自身も、絵における線と同じで、シンプルな中にこそ、深いテーマが眠っているといえるような気がしてきました。

 第四点目は、キャラクターの個性です。素直で活発で心の優しいうさこちゃんはもちろん、サブキャラクター達も個性満々です。『ちいさなうさこちゃん』では、ふわふわさんとふわおくさんが主な人物ですが、ふわふわ家という名称もどこか不思議な余韻がありますね。擬人化されるうさぎやくま(『こぐまのボリス』など)などには、目だった個性が当てられますが、その他の動物然とした動物たちにもそれなりの性格が付与されているので、芸の細かさに感心させられます。

 第一作を元に、主に初期作品について分析しましたが、この四冊の絵本はいずれも、父親としてのブルーナが寝付くシルクくんのために作ったというきっかけからもわかるように、お休みに前に読む絵本なのです。「父親が子供のためにつくった、手作りの絵本」というところでしょうか。

 最後に、これまで主に初期作品に限定していましたが、後年の作品でも、テーマ性のはっきりした、これはと思う作品をあげてみようと思います。『うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん』ではおばあちゃんの死が、『うさこちゃんとあかちゃん』では下の子の誕生が、『うさこちゃんとニーナちゃん』では人種差別、『うさこちゃんとキャラメル』では万引きの犯罪、『うさこちゃんとたれみみくん』では障害者の問題がテーマとなっています。テーマがかなり重くなり、社会的なものと人間的成熟の必要なものとに深化しています。

 私は当初、前評判を聞いて、頭でっかちになってつまらなくなったなあと思ったのですが、実際に読んでみると、そんなことはありませんでした。ディック・ブルーナの人間として芸術家としての深化が、これだけの重いテーマを俎上に載せる懐の深さをもたらしたのです。まさに成熟のなせる業です。だからこそ、後期の作品は、頭でっかちゆえではなく、深さゆえに難解なのです。ですが、作品とはすばらしいもので、一見シンプルな絵を眺め、文を読んでいると、年老いてきた母のいる私は涙を浮かべざるをえませんでしたし、障害者であるたれみみくんの話を胸の痛みなしには読めませんでした。難しくても、素直に読めば、何かが伝わるのです。

 こうした後年の作品は、初期のようなあふれんばかりののびやかさはありませんが、創作職人であるブルーナのライフワークとしての価値もありますし、子供には難しいかもしれませんが、深く考えるきっかけとなり、よい教育的価値を持っていると思います。もちろん、美的な価値も優れています。

 私は、こうした「うさこちゃんシリーズ」全体を評して、「成長する幸福な女の子」とタイトルをつけたいと思います。『うさこちゃんとたれみみくん』のうさこちゃんなんて、大人顔負けの自我を持っていますからねえ。こうしたシリーズ全体を読んでいくと、うさこちゃんもブルーナも読者も、いっしょになって成長し続けることが求められている気がしてきます。

さて、最後に蛇足かもしれませんが、うさこちゃんに関する二つのトリビアを紹介します。一つは「ミッフィー」と「うさこちゃん」の違いについてです。もう一つは、うさこちゃんが女の子である理由についてです。

一つ目に関しては、もともとオランダ語の原書では、うさこちゃんは「ナインチェ」と呼ばれているという事実があります。うさぎちゃんという意味です。それが英語圏で訳されたときに、ミッフィーという名称に変わり、後に英米経由で入ってきた講談社刊のシリーズでは、ミッフィーと訳され、先に独自に日本で訳された福音館書店刊のシリーズでは、うさこちゃんと訳されました。どれも同じキャラクターを指していますが、日本では圧倒的にうさこちゃん、世界ではミッフィーとして知られているようです。ちなみに、初めてうさこちゃんと訳した石井桃子さんは、実際にオランダ人に音読してもらって、その語感を頼りに訳したらしいので、本当に名訳ですね。日本は世界で初めてうさこちゃんを翻訳した外国の一つなのだそうですよ。ちなみに、「うさこちゃんシリーズ」は、オランダ語と日本語の特徴をいかした趣ある直訳、「ミッフィーシリーズ」は、今風の楽しい意訳ということが言えそうです。

二つ目に関しては、ブルーナ自身が言っているようですが、最初に「うさこちゃんシリーズ」を構想した時には、うさこちゃんは普遍的な意味での子供で、性別はなかったそうです。ところが、『うさこちゃんのたんじょうび』という中期作品で、うさこちゃんに花柄のドレスを着せてあげようと決めたときから、うさこちゃんが女の子であることがはっきりしたといいます。そういえば、それより前の『うみ』では、うさこちゃんは上半身裸の海水パンツ姿になっているので、違和感を覚えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。シルクくんに語って聞かせた即興の話が元ですから、性別なんてないほうが正常なのかもしれませんね。とりあえずパンツ姿の謎は解けました。

もっと絵について突っ込んだ議論ができればより質の高い文章になるでしょうに、残念です。なので、それはまたいつかの機会のために置いておきます。ただ、それなりに「うさこちゃんシリーズ」のすばらしさが分かったことが大きな収穫でした。もう無機質だとか退屈だとか決めつけるつもりはありません。皆様のご理解にも少しくらいは寄与できていたらうれしいのですが。すくなくとも、私は一冊しか持っていなかった娘に、『どうぶつえん』と『たれみみくん』を買ってあげることにしました。もちろん、自分が楽しむためですよ。うさこちゃんは子供だけでなく、大人も楽しめるシリーズだとわかりましたから(笑)。


参考文献

1)ディック・ブルーナ『ぼくのこと、ミッフィーのこと』講談社、二〇〇五年

2)別冊太陽『ディック・ブルーナ:ミッフィーの魅力、再発見』平凡社、二〇一五年

3)『みづゑのレシピ:新装版ディック・ブルーナさんの絵本のつくりかた』美術出版社、新装版二〇一三年(初版二〇〇七年)

4)別冊太陽『海外の絵本作家たち』平凡社、二〇〇七年

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