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死刑執行→冤罪だった…を描き上映中止の“問題作”が公開されたのでレビューしました【次に観るならこの映画】2月19日編

 毎週土曜日にオススメ映画をレビューする【次に観るなら、この映画】。今週は3本ご紹介します。

①冤罪による死刑で夫を失ったシングルマザーの姿を通し、社会の不条理と人間の闇をあぶり出したサスペンスドラマ「白い牛のバラッド」(2月18日から映画館で公開)

②フランス、パリ郊外に実在するガガーリン公営住宅を舞台に描いた青春映画「GAGARINE ガガーリン」(2月25日から映画館で公開)

③東京の下町を舞台に、人間の生や死に実感のない若者が命の重みを知る姿を描いた「リング・ワンダリング」(2月19日から映画館で公開)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!

「白い牛のバラッド」(2月18日から映画館で公開)

◇厳しい検閲があるイランで映画をつくる女性監督の思いにも心揺さぶられる(文:映画.com 和田隆)

 壁に囲まれた殺風景な、刑務所の中の広場と思われる中央に白い牛が立ち、左側の壁際に黒い服を着た男たち、右側の壁際に黒い服を着た女たちが並ぶ。そこに人々の話し声がかぶる冒頭のシーンは、強烈な印象を与え、この映画のテーマを象徴している。

 “衝撃の冤罪サスペンス”であり、「愛する人を冤罪で亡くしたら、あなたならどうしますか?」という問いが見る者に突き刺さってきて、心を揺さぶられる。しかもこの映画がイランで、女性監督によって作られたことが重要な意味を持つ。イランの厳罰的な法制度を背景に、シングルマザーのミナの姿を通して、日本と同じく死刑制度が存在する社会の不条理と人間の闇があぶり出されるのだ。

 さらにイランは、女性差別的な法律や風習が残るだけでなく、映画製作についても厳しい検閲があり、ひっかかると製作や上映が禁止されてしまう。第70回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した「悪は存在せず」のモハマド・ラスロフ監督は政府から身柄を拘束され、「白い風船」などのジャファル・パナヒ監督は反体制的な作風ということで政府から映画製作20年禁止令を受けた。

 そんな状況下においても、本作の主演も兼ねたマリヤム・モガッダム監督(ベタシュ・サナイハと共同監督)は、他国で映画を作るのではなく、「自分たちの国の物語を語ることが大事」と思いを述べているが、自国では3回しか上映されていない。

 もちろんそういった情報を事前に得ずに、シンプルにサスペンスドラマとして見てもらっても作品の重厚さは変わらない。しかし、イランという国の社会、イスラム体制の宗教的な背景、映画事情、自国での映画作りへの思いを知った上で見ると、心の揺さぶられ方が格段に違ってくるだろう。

 本作は音(サウンドデザイン)が重要な要素となっている。刑務所のドアの開閉音、画面外の風の音や鳥の鳴き声、ミナが働く牛乳工場のベルトコンベアーの音など、単なる自然音や生活音ではなく、そのシーンや登場人物の心情などを表現する音へのこだわりを意識して欲しい。ミナの映画好きな愛娘がろう者の設定なのは、声を発することができない、意見を言っても聞いてもらえないイラン女性を象徴するメタファーだという。

 また画面構成も特徴的である。画面内の登場人物たちが窓(四角い枠)を背景にしていたり、鉄格子やドア越しのシーンが多い。これはフレーム(画面)内にもう一つのフレームを作りだし、その枠が二人を隔てたり、閉じ込められたような効果を生んでおり、音とあわせた演出の統一性、相乗効果を感じることができる。

 牛は世界では神の使いとして神聖視する地域もある。“白い牛”はヒンドゥー教のシヴァ神の乗り物とされているが、イスラム教の祭礼で牛はいけにえとして捧げられるという。ミナの夫に死刑を宣告した担当判事の

 葛藤も描かれるが、真実を知ったミナが最後に下した決断を、あなたはどう捉えるだろうか。


「GAGARINE ガガーリン」(2月25日から映画館で公開)

◇パリ郊外の団地を「2001年宇宙の旅」に変えた、瞠目のファンタジー。(文:フリージャーナリスト 佐藤久理子)

 パリ郊外の老朽化した団地が、あたかも「2001年宇宙の旅」のような様相を呈する。これほど独創的な低予算映画を、いったい誰が想像できただろう。

 本作は社会派映画でもSF映画でもない。だがその両方の要素を含みつつ、そこに若者の夢と詩情をまぶし、かつて観たこともないような作品に仕立てている。

 題名のガガーリンは、宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの名前に由来し、実際にパリに存在した低所得者用集合住宅を指す。1961年、パリ郊外にこの団地が建てられたとき、ガガーリン本人が訪れたことでも知られる。当時は画期的な現代的設備を備えたコンクリートの団地はしかし、長い年月のなかでの老朽化と、アスベストなど建設基準の問題から解体が決まり、2019年に取り壊された。本作はそんな「消えゆくランドマーク」にオマージュを捧げた作品でもあるのだ。

 新しい恋人に夢中の母親に見捨てられ、団地にひとり住む16歳のユーリは、なんとか隣人や友だちに助けられながら日々の生活を送るのが精一杯で、とても将来を考えるどころではない。そんな彼にとっては、想像のなかで憧れの宇宙飛行士になることが、唯一の慰めだった。だが、ある日団地の取り壊しが決定し、友人たちもどんどんと立ち退いていく。ひとり取り残されたユーリは徐々に、自分だけの幻想の世界に身を置くようになる。

 団地の内部を宇宙船のように改造し、植物を育てながら籠城する彼は、冷静に考えれば「シャイニング」の主人公のようなものだが、ファニー・リアタールとジェレミー・トルイユ監督はあくまでユーリの視点から、ファンタジーに満ちた空想の宇宙を描く。階段の踊り場を下から上へ、ふわふわとユーリが浮遊する様、冴えないコンクリートの団地がまるで空に向かってそびえたつNASAの基地のように見えるショットなど、何気ない風景に魔術を施す彼らの感覚にはっとさせられる。

 またユーリが思いを寄せるノマドの少女(「パピチャ」「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」のリナ・クードリ)との絆に、初々しい青春の芳香が漂い、淡い恋物語の輝きを添えている。

 これが初長編となったリアタールとトルイユ監督は、すでに次回作をアメリカで準備中という。新たな才能の誕生を祝福したい。


「リング・ワンダリング」(2月19日から映画館で公開)

◇土地に眠る人々の記憶。主人公が見つけた獣の頭蓋骨が導く“小さな気づき”(文:映画.com編集顧問 髙橋直樹)

 国内で「神宮」とされる神社は、厳密にはひとつしかない。

 元よりあった内宮には天照大御神、隣には食事を供する豊受大御神を祀る外宮、樹齢千年を超える木々と共生するふたつの本殿は20年毎に建て替えられる。年輪を刻む大樹の下を人々が行き交い、動物たちが葉や草を食む。日々の営みが宿る土地には生き物たちの記憶が蓄積されて今につながる。日本創世記から脈々と受け継がれ、日々の営みが続くこの地には一体どれだけの生命が眠っているのだろう。

 前置きが長くなったが、悠久の時間を感じる場所を訪れると、心が澄まされ、静謐なるオーラに全身が包み込まれるように感じる。言葉に出来ないこの感覚を映像に定着させた作品が「リング・ワンダリング」である。

 金子雅和監督は、土地にはその場所に生きた者の記憶があり、容易には消えずに存在し続けていると考える。かつて確かに存在した命は何かの拍子に姿を現す。決してファンタジーではなくリアルな輪郭を伴って。

 未来を見据えられず悩める漫画家志望の青年の今が、彼が描くニホンオオカミが絶滅したとされる明治末期の山村へと跳躍し、数多くの命が失われた米軍の空爆に晒された太平洋戦争末期の小さな写真館へとリンクしていく。

 三つの異なる時制と場所をナチュラルに融合させるこの表現は、監督に託された大地からの切なる願いであり、この場所に眠る人々の記憶がなせる技と言うべきか。

 生きる目的って何だ。笠松将は揺れる心を持て余して歩き回る青年を飾らずに演じる。飼い犬を探す無垢な女性と山に現れる娘、異なる時制で二役に挑んだ阿部純子の凜とした佇まい、村八分にされながらも極寒の山岳地帯でニホンオオカミを追う猟師となった長谷川初範の献身的な姿が作品の質感を高めている。

 自己を最優先し武力に訴えることが解決法であるかのような意識が世界に渦巻き、時代の趨勢は刻一刻と変化を続けている。

 もしかしたら絶滅したニホンオオカミかも知れない。主人公が見つけた獣の頭蓋骨が導く“小さな気づき”を通して、映画は静かに問いかける。決して損なわれてはならない、守り続けるべきことがあるはずだと。


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