見出し画像

たぶん一生解けないなぞなぞ


 不思議な体験を1つ教えてと言われたとき、間違いなくこの話をする。実際、中学生の頃の英語スピーチでも、高校生の頃の仲間内の会話でも、大学生の頃のゼミの話し合いの中でも、この話をした。忘れもしない、保育園の夏祭りの話だ。


 私はあの頃、山口県の隅っこにある小さな町に住んでいた。保育園の園長先生は寺の坊さんで、派手好きな面白い人だった。毎年夏祭りの日には盛大に花火を上げ、屋台も結構出していたため、町中の人が保育園に集まった。私も毎年甚平を着て参加した。出店のカレーライスやフランクフルト、町のみんなで踊る盆踊りが大好きだった。


 夏祭りの出し物の1つに、お化け屋敷があった。いつもは年中組が使っている教室を数日前からお化け屋敷仕様に準備するのだ。とは言え、保育園が主催するお化け屋敷などたかが知れている。目を見開いた女の人の絵だったり、古い人形だったりを、薄暗くした部屋の中に配置しただけの簡単なものだ。


 夏祭りの前々日、工作をして遊んでいた私たちのクラスに園長先生がやってきた。園長先生は、女性型のカットマネキン2体を持ってきて、園児たちに見せびらかした。お化け屋敷の中に配置するという。私たちは最初のうちは怖がっていたけれど、マネキンの無表情にも次第に慣れて、夏祭りがより楽しみになり、大はしゃぎした。


 夏祭り当日、祖母が遠方から電車でわざわざ遊びに来てくれた。2歳の頃、妹が入院した時に預けられていた母方の祖母で、私はかなり懐いていたため、久しぶりに会えてとても嬉しかった。父と母は保育園で屋台の店番、妹はまだ小さかったので両親と一緒にいた。祖母と2人、歩いて保育園に向かう。甚平を着た非日常感に気分が高まったが、相当な怖がりだったので、お化け屋敷には全く入るつもりがなかった。


 保育園に着いたのは、6時ちょうどを告げる音楽が町に流れた直後だった。夏の夕暮れの、オレンジと紫の中間くらいのさわやかな空の色を鮮明に覚えている。同学年の女の子たちは見当たらなかったが、男の子たちは、年中組の教室の目の前で大はしゃぎしていた。なんでも、お化け屋敷を1周するたびに飴を1つ貰うことができるらしい。アンパンマンがパッケージの飴だ。子どもにとってはお宝である。お化け屋敷運営担当の誰かのお母さんが、何度でも挑戦していいよ、飴は沢山あるから、と言って、手に持った籠を私に振ってみせた。籠にはアンパンマンの飴が大量に入っていた。保育園児向けに作られたお化け屋敷など、小学生も中学年以降になると馬鹿らしくて入らないだろう。まして少子化の進む田舎の保育園で、挑戦者など数が限られていたのだ。

 男の子たちはもう何度も挑戦していたらしく、その中の1人が私を見つけて声をかけてきた。全然怖くないからお化け屋敷に入ろうよという彼らの言葉を、私は半信半疑で聞いていたが、アンパンマンの飴が魅力的に見えていたこともあり、心の底では挑戦したいと思っていた。祖母はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、おばあちゃんここで待ってるね、と言い、私の背中を押してくれた。


 実際、お化け屋敷に怖いものは1つもなかった。世界地図や骸骨がプリントされた紙が、背の低いパーテーションに貼られているだけだ。園長先生が持ってきた例のカットマネキンは、お化け屋敷に入ってすぐの机の上に並べて置かれていた。入り口から出口までU字型に仕切られた薄暗い道を歩くと、すぐに出口だ。いくら薄暗いとはいっても、小さな教室を一周するのには保育園児ですら30秒もかからなかったと思う。

 そうなると、話は変わってくる。この程度の挑戦で飴を1つ貰えるのならば、何度でも挑戦したくなるものだ。男の子たちがもう1周しようと言うのに反対する気持ちは出てこなかった。

 もらったばかりの飴を舐めながら、私たちは再び意気揚々とお化け屋敷に入っていった。しかし、入口をくぐった瞬間、異様な雰囲気に気づく。

 …机の上に置いてあったカットマネキンが、2体ともない!先ほどお化け屋敷から出てからまだ数分と経っていない間に、大人たちが片付けたのだろうか。そう考えるほどの間も置かず、遊ぼう、という低音の声が聴こえた。はっとして前を見ると、あのカットマネキン2体に、…浴衣が”生えて”いた。首から上だけの存在だったはずの彼女たちが、私たちと同じくらいの身長の胴体を手に入れ、こちらに話しかけてきたのだ。綺麗な着物を見せびらかすかのようにゆったりと手を広げ、じわじわと距離を詰めてくる。彼女たちは、いまや小さな女の子になっていた。私たちは、一瞬の出来事に恐怖し、そのまま進むわけにもいかず、大声で叫びながら入り口から脱出した。


 入り口から出てきた私たちを大人は別に驚きもせず迎え、参加賞ね、と言って飴をくれた。彼女たちは追いかけてこなかった。私たちは、その後再びお化け屋敷に入る気力も失せ、解散した。私も祖母に怖かったと言い、母が手伝う出店へ行った。楽しみにしていたカレーライスもフランクフルトも美味しかったし、盆踊りも花火大会も楽しかったけれど、なんとなく上の空でいた。おもちゃの抽選は外れだった。花火セットを手に入れ、嬉しそうにしている妹が羨ましかった。

 あれはなんだったのだろう?何度年を重ねても、あの時のことはよく思い出したが、思い出すたびに鮮明になる記憶に、私が作り出した虚構ではないかという気分になった。保育園の頃の友達とは、小学生の時に引っ越したきり会っていないので、もうあの時のことを確かめることはできない。ただ、祖母に昔私と2人で保育園のお祭りに行って、私がお化け屋敷に行くのを見送ったか聞くと、それは間違いないと帰ってきた。私がおもちゃの抽選に外れたことも、妹が抽選で花火セットを手に入れたことも間違いないらしく、あの日自体は虚構ではないらしい。


 私は割と現実主義的で、基本的に実証できないことは信じない。死後の世界に縋ったことはないし、幽霊やお化けの類もいると思いたくはない。ただ、あの日の体験だけのために、幽霊の存在を否定することができないでいる。大人たちが脅かそうとしたのならば、それはそれでいいが、どういうギミックなのかいまだに気になる。

 あの日の思い出は、私に一生分の謎を与えてくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?