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遠い手紙。

懐かしい人から手紙が届いた。

まるでそれは秋風に運ばれてきた枯葉のように、私たち夫婦のこの心を、どこまでもやさしく、それでいてほんの少しだけ寂しい気持ちにさせていた。

その手紙の差出し人は、私たち夫婦の共通の友人で、小柄でおとなしい同世代の女性だ。あれはもう随分と昔のことになる。あの頃、私たちはお互いに夫婦付き合いをしていた。今思ってみても、とても不思議な関係だった。

あの頃、私たち夫婦が住んでいた街で、まだ引っ越したばかりの頃。色々と場所もわからなくて、ただ不安しかなかったとき、何の繫がりもなかったというのに、私たちは偶然にも出会った。

本当にそれは不思議な出会いだった。

私たちは互いにはじめて会ったはずなのに、まるで昔からの友人のように、すぐに打ち解け合って、それ以来、ずっと友達でいる。

小さな旅行に行ったりして親交を深めたけれど、やがて、私の転勤で私たち夫婦が、その街から離れてしまった。あれから長い年月が流れた。最初のうちは、互いに電話をしたりしていたけれど、そのうち回数もだんだんと減ってゆき、気付けば知らないうちに、互いに遠くなっていた。

彼女にも、うちの子供と同じ年の男の子がいて、互いに子供中心の生活になり、いつしか時だけが過ぎていって、想いだけ残して流れていった。

会えないという時間の長さが、やがてその想いさえ、静かに流れる砂のようにサラサラとどまることなく、日々の生活へと消えてしまう。それは自然のようでいて、実は残酷なようにも思えてきて・・・いつまでも変わらないものは、写真の中に閉じ込められた笑顔しかないのだろうか。

「引越ししました・・・」

印字されたプリンターの文字で、そんなふうに書かれていた。写真付きのハガキには、陽だまりのような彼女の子供の笑顔だけが、何か救いのように輝いていた。

「こんなに大きくなったんだ」

妻がかみしめるようにつぶやいた。それと同時に時の重さのようなものを、私たち夫婦は感じていた。

それにしても・・・

「それにしても・・・彼女、遠くに引っ越しちゃったね」

妻の声が次第に小さくなっていって、
どこか哀しみを含んでいた。

たぶん・・・たぶん、もう二度と会えないだろう。
そう思った私は、その言葉を心にそっと閉まっておいた。

「ねぇ、彼女・・・今も幸せなのかなぁ?」

突然、妻が私にそんな疑問を投げかけていた。
どうしてそんなことを聞くのだろう?

「どうしてそんなことを聞くの?幸せにきまっているじゃない。だからこうして、もう何年も会っていない僕たちに、引越しの案内の手紙を送ってくれたんだろう?」

そう言う私に、妻はため息混じりにこう答えた。

「あなたは気付いていないのね・・・
ほら、名前だけがココに書かれていないでしょう」

本当だった・・・。
名前だけが、なぜか書かれていない。

彼女のあの頃と変わらない控えめで丁寧な短い文章と子供の写真で
すぐに彼女とわかるのだけど、新しい住所だけしか書かれていなくて
名前だけが不自然に抜け落ちていた。

こんなとき、男は(というか私は)ダメだなと思う。こんな簡単なことに、それでいてとても大事なことに気付かないなんて。彼女の几帳面な性格を考えても、名前を書き忘れたなんてとても思えない。昔もらった手紙の中には当たり前に、ちゃんと名前が書かれているのに。

こんなこと、はじめてだ。

そこに書いていないということが、逆に私たちに、何か見えない哀しみのメッセージを伝えているような気がした。

確かにあの頃、彼女と彼は、少しだけ仲が悪かった。私たちの前では、いつも笑顔を絶やさなかったけど、どこか冷めたその言葉に、私たち夫婦は、それでも思い違いだと信じて、いつも心に小さな罪を残していた。

思い過ごしだといいのだけど・・・。

あの頃、彼女はいつも、静かに微笑んでいた。でも、その心に触れたとたんに、まるで飴細工のように、すぐに壊れてしまいそうで。

彼女のどこまでも透き通った心は
決して触れてはいけないもののように思えた。

・・・彼女は今も、幸せだろうか。

心の中で私はつぶやく。

いつも季節は何も変わらないのに
僕らは何を、知らずに変えてゆくのだろう。

手紙の中の写真には、彼女と彼の姿はなくて
子供だけが公園で、ただ、ひとり笑っている。

その笑顔は、あの頃の
彼女にとてもよく似ている。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一