見出し画像

誰かが望んだその明日を。

この頃よく「人生」について考えている。

ニュースで私よりも若い人の死を知ると「あぁ」って思う。それが事故だったり、事件だったりすると「うわぁ」って思う。あの頃の自分の心が最悪に弱っていた昔なんかは、つい「私が代わってあげるのに」なんて、思うときさえあった。

それにしても、その日を知らずに、いきなり終わらされた人生。その死の直前は、どんな想いだったのだろう。

他人事のはずなのに、なぜか私には明日はわが身のような気がする。まるでその順番を、長い廊下で待っているような。(別に思い当たる点があるわけじゃないんだけど。)

私はその人よりも多くを生きている。でもそれは、ほんのわずかな偶然でしかなく、その生きた長さはたぶん、幸せに比例してるわけじゃない。

こうして私は、今日も誰かが望まぬ死を迎える中、普通に生きてエッセイを書いて、そして眠りにつこうとしている。

明日は必ず来るんだって、誰かが教えてくれたわけじゃないのに、私は当たり前に明日を待ってる。誰かが迎えたくて、でも、迎えることのなかったその明日を、私はどんなふうにして過ごせばいいんだろう。

たぶん明日も忙しく、時間はたちまち過ぎてゆくだろう。「生きている」ということさえ意識することもなく、私は明日を生きてゆくだろう。

だから私はこの頃、思う。

それでも、”それだから”こそ
私は明日を生きてゆこうと。

ただ、ひたすら目の前の道を歩いてゆこうと。

誰かが生きたくて生きれなかったその明日を
私はどんなふうに生きればいいのだろうと
心の中でそっと思いながらも。

誰かが望んだその明日を
その誰かに恥じることなく。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一