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泣くことが言葉だった頃。

子供の頃の思い出の中で、”なんて申し訳ないことをしたのだろう”と随分と後悔した記憶がある。

小学5年生くらいだったか、私は当時から本が好きで、お小遣いが貯金箱に、ジャラジャラと気持ちよい音を立てると軽くスキップするように、近所の本屋へと出掛けたものだ。

その頃私は、科学の実験や地球や歴史のことなどを、漫画で書かれた本が好きで、その本は、いろんなシリーズが出版されていて、すでに6冊くらい私は持っていた。

実は私は、いつも本を読みながらでないと、なぜか眠れない不思議な子供だった。ただ、じっと眠くなるまで布団にいるのが、なんとなく寂しいというか暗闇が怖いというか・・・ずっと電気をつけたまま読みながら寝るのが、いつしか私の日課になってた。(今思えば、私は随分と臆病だった)

普段はSF小説(光瀬龍とか星新一とか)が好きで、漫画よりも主にそればかり読んでいたけど、寝るときの本としては、なぜかこの漫画の科学ものの本が、一番読みやすくお気に入りだった。

あの日も私は自分のお小遣いで、その新しいシリーズの漫画本を買いに本屋へ行ったのだった。機嫌よく本を片手に家に帰ると家には私の兄(当時、中学生だった)がいて、その本を袋から出して見るなり鬼みたいな顔をして、私にこう言ったのだった。

「また、こんなものを買ってきて・・・ おい!ココのところが破れているぞ!不良品じゃないか!今からすぐに本屋に行って、金を返してもらえ!」

その言葉に、私はひどくショックを受けた。普段は優しい兄だけど、そのときは虫の居所が悪かったのか、ひどく私に冷たかった。私は何も言い返せないで、ただ、「あぁ、」と小さく言葉を漏らすばかりで唇が泣きそうに震えていた。確かによく見て見ると、本の表紙が少しだけ破れていた。でも、それは私が持って帰るときの本の扱いが悪くて破れたのかもしれないし不良品だとは、決して言い切れるものではなかった。

今思っても、返金してもらうほどのひどい状態ではなかったと思う。でも兄は、私に対して、今すぐに本屋に行って”金を返せって言うんだ!”と小5の私に命令するのだった。

ただでさえ臆病な私に、そんなことできるわけがない。

近所のその本屋には、いつも笑顔のおばさんがいて、私の顔も覚えてくれてる。どんなときも、おつりを両手で包むように返してくれる、そんな優しいおばさんだ。そんな人に、「破れているから金を返せ!」なんて私は絶対に言えない。私は兄に何度も叱られ、逃げるように本屋の前まで来たものの、店の中に入る勇気もなく、ただ、うつむいたまま、ずっとその場に立ち尽くしていた。

すると、ガラガラと店の扉が開いた。

「あら、青木君?どうしたの?そんなところに立ったままで?」おばさんは、窓の外の私に気付いたようだった。

「もしかして・・・泣いてるの?」

その言葉に、ためていた涙があっけなくこぼれた。
その声は、どこまでも優しく私を包んだ。

おばさんの黄色いエプロンの小さなシミを
私はじっと見つめ考えていた。

でも、私は言うしかなかった。心が今にも破れそうなほど、心臓が大きく高鳴るけれど、私は言うしかなかったのだ。

「あのう・・・この本。おにいちゃんが・・・ダメだって・・・」

「え?何?本がどうしたの?」

口が震えてうまく動かない。

「おにいちゃんが、ひどく怒っていて・・・破れてるから返して来いって。でも、僕・・・」そして僕は、落ちる鼻水をすすりながら、たまらずにまた、泣いてしまってた。

おばさんは本を手に取ると、店の奥から新しい本を用意して私に手渡したのだった。「ごめんね、破れていたのね。さぁ、これは新しい本。もう破れてないよ。だからもう、泣かないでね・・・」

「お金・・・」といいかけて、私は言葉をぐっと呑んでいた。結局私は「お金を返して」とはっきり言えなかった。私はいつも弱虫で何も言えなくて、ただ、おばさんのやさしさが、ものすごくうれしく思えて、心が震えて、それでまた、泣くのだった。

不思議なことに、それからどうなったのかは、記憶が抜け落ちて空白になってる。私の泣いた記憶はいつもそうだ。泣いたときの記憶が強すぎて、その結末がいつも真っ白だ。でも、覚えていないということは、たぶん、新しい本を手に泣きながら帰った私は、たまたま機嫌の直った兄からは叱られず、そのまま事なきを得たのだと思う。思えばそれだけのことだったのだ。

私が店にクレームを言ったのは、間違いなくあれが最初なのだろう。ただ、あの本屋のおばさんに対して、今でも申し訳なく思うことが、大人になった今だから思うけど、買ったばかりの本が破れていて、私がひどくそれに悲しんで、そして店の前で泣いていたのだと、恐らくは勘違いされてしまっただろうこと。本当は、兄に叱られてどうしようもなくて、弱い私が泣いているだけだったのに。

自分のせいで泣いてると思ったおばさんも、心は泣いていたのだと思う。やさしい人は、いつもそう。その哀しみは、すべて自分のせいだと信じ込んでしまう。そして、それが私の新たな哀しみへと、つながる小さな間違いとも知らないで。そして、それが私の弱さだと、痛いほど私はわかりすぎていて。

哀しみなんて結局のところ、自分勝手なわがままに過ぎない。その理由は、あまりに個人的すぎて、言葉にすると、なんてつまらないものなんだろうと思うことが多々ある。

ただ・・・あのときのおばさんの、申し訳なさそうな表情が今も私は忘れられない。そうじゃない、悪いのは僕であって、おばさんは何も悪くはないんだ。何度も僕は繰り返してた。繰り返すけど、言葉に出来ない。気持ちに言葉がついてゆけない。いつも、ついてゆけなかった。

あの頃、幼い私の日々は、泣くことだけが
唯一の言葉だったのかもしれない。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一