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何も言えない彼女の言葉。

ある日のこと、昇格試験に合格した方の報告を兼ねた挨拶があった。その人は若い女性社員。入社4年目だそうだ。この試験に合格したと言うことは今まで教えてもらうと言う立場から、部下に指導する立場になる。その彼女のスピーチのことを書きたいと思う。

まず、彼女が紹介されて、彼女はみんなの前でスピーチ台の上に立った。ここでまず名前と部署を言わないといけないのに、彼女は無言のままだった。緊張してしまっただろうな。何を言っていいのか分からない様子だった。「えっ...」と言ったかと思うとそのまま何も言えない。もじもじとしている。”おいおい、これで本当に部下に教える立場になったのかい?”と思わず言いたくなる。

店長の方を見て”どうしましょうか?”といいたげな顔をしている。店長は笑いながら「いつも通りの自分の言葉でしゃべりなさい」なんて言っている。これではただ、「これからもよろしくお願いします」って言ったらいいほうかと私は思ってた。

彼女はやっと口を開いて言葉にした。

「私は・・・私は本当は怖いのです」こんな言葉からはじまった。和やかな雰囲気だったのが、一変にして静まり返った。彼女の言葉は続いた。

「私は人に教えるという事が怖くて仕方がありません。今までは教えてもらう立場でした。正直言って楽でした。それさえすればいいのですから。しかし、教えるとなるとまず、自分で考えなければいけない。何をどう言えばいいのか。そして、相手の事も考えなければならない。

この人にこう言えば分かるのだろうか?それともこう言わなければならないだろうか?こんなことを言えば、私は嫌われないだろうか?バカにされないだろうか?私の苦手な人にちゃんと指導できるだろうか?思わず逃げてしまうだろうか?そう思うと私は不安でなりません」

ビックリした。彼女が何も言えないでいたのは、話す内容をただ、何も考えていないだけだと思っていたら、そうじゃなかった。自分の言いたい事をここで言っていいものかどうか彼女は悩み、考えていたのだ。彼女の言葉は更に続く。

「私は今まで、コミュニケーションの難しさを痛感しています。お客様に対してさえ、私の言葉が少し足らなかっただけで、クレームになってしまいみんなに迷惑をかけてきました。本当にちょっとした事なのに・・という思いです。そんな私がみんなにちゃんとコミュニケーションが出来るのだろうか?私は試験に合格しても、私の気持は合格していないように思います

彼女の口からこぼれる言葉をみんなが静かに聞き入っていた。私もそのひとりだ。彼女はみんなの顔を見ないで話していた。少しうつむいた顔は、まるで自信のない自分に言い聞かせているみたいだった。しかし、彼女は顔を上げ、何かふっきれたような表情で言葉を続けた。

「私はまだ、中途半端な存在ですが、それはそれで受け止めて行こうと思います。人に教え、そして自分が成長してゆけばいいのだと思うのです。今日教えた事により部下が一歩成長し、そして私も成長する。部下に指導すると言うことは、自分自身にも指導する事だと思います。今日の自分より、きっと明日の自分が、もっともっとよくなってゆく。そうする事で私ははじめて人に教える立場になれるのだと思います。これからは、もっともっとみんなとコミュニケーションを取り合い、お客様の笑顔と従業員の笑顔が増えるような職場にしたいと思います」

彼女がペコリとお辞儀をした。

思わずみんなが拍手をしていた。あんなに頼りなく思えた彼女がなぜか大きく見えた。きっと彼女は大丈夫だ。ちゃんと自分を見つめているから。自分の弱さを知っている人が、はじめて本当に強くなれるのだと私は思う。

部下とのコミュニケーションは本当に難しい。自分の言葉の意味が、そのまま部下に伝わっているとは限らない。そのことでクレームになって、もし、私が部下を叱ってしまったらその人は、きっと私を信用しなくなるだろう。ちゃんと伝えていない私に責任がある事を、もし、私が気付かないでいたとしたら、やはりそれは哀しいことだ。

コミュニケーションは難しい。
いや、人の心は難しいと言うべきか。

しかし、まだまだ半人前の彼女に私はあらためて教えられたような気がする。部下と一緒に自分も成長をすればいいのだ。失敗を恐れてはいけない。

「今日の自分より、きっと明日の自分が・・・」

そんな彼女の言葉が
まぶしいくらいに輝いていた。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一