見出し画像

「許す」ということ。

「あぁ、早く明日にならないかなぁ」なんていう気持ちが、すっかりどこかへ行ってしまったなぁ。なんて思う。

あの気持ちは、いつこの心に帰ってくるんだろうか?戻ってくる気はあるのかなぁ?それとも忘れてしまったのかなぁ?

なんて・・・私は何を待ちわびてるんだろう?

この頃、よく思うことは「許す」というそのこと。そもそも「許す」ってなんだろう?「許す」ってどういう心の働きなんだろう?なんてことを考えている。

これは私の勝手な偏見だけれども、それを一番理解しているのは、物静かなお年寄りのような気がする。大声で怒鳴っているお年寄りをあまり見ない。時々、大声で笑うにしても、普段はただ、黙って静かに佇んでいる。そんなお年寄りを見ていると、根拠は何もないけれど、すべてを許しているような気がする。

私がまだ、電器売場の店員だった頃、Fさんというメーカーセールスの方がいらした。もう、かなりのご年配の方だった。

とても痩せてて物静かで、どんなことにも受身で答えてくれて温かみのある言葉で返してくれる。(いかりや長介さんにちょっと似ていた。)そんなFさんが、私は大好きだった。

ある日のこと、人間不信に陥るほどのクレームに、私は怒り苦しんでいた。どう考えてもお客のわがままだ!金目当ての腐った人間だ!とそれこそ私の心のほうが、どうしようもないほどに腐っていた。

同情をしてもらいたくて、私はFさんに電話した。(そのクレームが、たまたまFさん担当のメーカー品だった。)どんなにひどいお客だったかを、どんなに私が苦しんだかを私は私の思いのままに話した。

そして、黙って聞いてたFさんが、話し終えた私に向けた言葉はこうだった。

「・・・もう許しなさいよ」

それは恐ろしいほどに、とても静かな言葉だった。

正直言って、私はそのとき、Fさんに腹を立てた。どうしてわかってくれない?どうして許さなきゃならないんだ?と。それで私はFさんと、ケンカしかけたみたいになって、とうとうそれきりになってしまった。(あとで知ったことだけど、Fさんは間もなく退職されたのだった。あんな別れ方をして今もとても悔やまれる。)

どうしてFさんは、あんなことを言ったんだろう?今も私はFさんの言葉が、私のささくれだった心の隅っこに、引っかかってなかなか流れてゆかない。

ようやくこの歳になって、私はFさんのあの言葉に、見えない深さがあるように思えて、なんとなく分かるような気がしてきた。でも、私には、今もそれが解けない宿題になっている。

ただ、本当の意味で、明日というより、残りの人生を思う人たちが行き着く想いはこの「許す」という、ただそのことだろうか?と少しだけ解決の糸口をつかんだような気もしている。

「あぁ、早く明日にならないかなぁ」というあの頃のあの気持ちがため息つくような人生を経験するにつれ、遠ざかってゆくことは、本当に哀しいことだ。でも、その分、私はもっともっと、これから先の人生に対して「許す」心を抱えてゆくんだ、と空を眺めるように思う。

あのときの「許す」とは、たぶん相手のことではなくて、自分が抱えたその苦しみ、すべてひっくるめて「許す」ということだったんじゃないか、という気がしている。

でも、まだ、それが答えじゃないんだ。
たぶん、もっとその先にある。

だから私は明日を待ち望まなきゃならない。

明日がきっと、その答えを
試練のように教えてくれるんだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一