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原動力

所属している同好会の展示査定までの暇つぶしに二応を清掃していた。
そこに先輩がやって来た。その先輩に唐突に聞かれた。

「君が予算委員として活動し続けられる『原動力』って何?」

その問いは僕自身、事務局長になって数ヶ月経過した時から抱いていた。
ただ、中々答えは出てこなかった。

事実、予算委員は予算委員であるだけで嫌われることもある。
更に多くの時間を拘束されるにもかかわらず何の報酬も存在しない。
時には難しい判断を迫られ、親しい友人さえも失う。

こんな組織に普通なら居続けたいとは思わないだろう。
それでも居続けるということは何らかの「原動力」が存在するのは確かだと思う。


そもそも予算委員会に入ったきっかけは、この学校に入学したなら自治に首を突っ込まないのは勿体ないなという感情によるものだった。

事務局長になったのも飽くまでもその延長線上だった。
自治に首を突っ込むならとことん突っ込んでやろうという心理に基づくものだった。

勿論事務局長になることによって発生する自分へのブランディングなどの副作用ともいえる事象も気にはなった。
ただそれでも事務局長になろうという決意は変わらなかった。

そうして晴れて事務局長になった。

正直、事務局長まで辿り着いた時は僕の当初の目的であった「折角この学校に入学したなら自治に首を突っ込む」ということは十分すぎるほど達成されたと思った。

今でもこの目標に基いて考えるならば十分すぎるほど達成されたと思う。
実際、目的が達成されたが為に僕は今年度を持って予算委員を辞めるつもりだった。

ただ、いざ今年度が終わりそうになっている今、僕の気持ちは揺らいでいる。
僕が予算委員であり続ける目的が無意識的に変わっていたのだ。

では変わった目的は何なのか。

これが分かれば冒頭で述べた「原動力」も、目的を達成するために発生したものであると説明がつく。

そこで考え続けた。

そして昨日、答えにたどり着いた。


きっかけは第75回文化祭実行委員会決算だった。

中身は衝撃的な物だった。

段ボールの門の製作に18万円、
クオリティーが低いと悪評高いパーテーションの製作に数十万円、
パーテーションの製作費に関しては具体的に使用された金額すら分からない。
更に当事者すらも仕方ないと言い誰も改善する気のない5000円の不明金。

これらの決算の問題点に一切関心が向けられること無く、決算は本会議やクラス審議を通過した。

勧誘ビラが配りたくても3000円の印刷費が下りずにビラが配れない団体すらある。
そんな中で平気で数十万円単位で金をどぶに捨てている決算が通ったのだ。

久しぶりに絶望感に襲われた。


ただ、同時に気が付いた。

今回取り上げた第75回文化祭実行委員会決算の様な理不尽を解消することが僕の予算委員として活動する目標なのだと。

そして、この目標を達成することこそが僕が予算委員を続ける原動力なのだと。


この様な理不尽な状態は様々な箇所で発生している。

100万円以上も使って開催される殆どの生徒がやる気のない運動会、
毎回3000円以上も使って印刷される誰も読まない広報、
大事な決定にも関わらず全く自分事として扱われないクラス審議。

これらの理不尽を解消するためには背後にある様々な問題を解消していく必要がある。

中には僕が数ヶ月事務局長を務めているだけで解消できた問題も存在する。

ただ、中には構造的問題から中々解消されない問題も存在する。

具体例を見ていく。

例えば今回の第75回文化祭実行委員会決算。
上記の様な理不尽な点が多くあったにも関わらずクラス審議の場ではその理不尽な項目について強くは言及できなかった。

それは文実からの目線を意識してしまったからだ。

文実は他の組織と比べると構成員一人一人を認め、連帯感を生んでいく組織だ。
この連帯感こそが唯一無二の友人や仲間を生み、最高の文化祭を作って行く。

ただこういった良い側面と表裏一体ともいえる危険な個所も持ち合わせている。

文実には局によって違いがあるにはしても他の組織と比べると変化を好まない傾向がある。
変わろうとしないのだ。

何故そうなるのか。
ロジックはシンプルだ。

変化とは現状を否定することだからだ。

変化=否定という式に基いて考えると幾ら組織に対して意見を呈してもそれは自らへの否定意見としか捉えられない。

どんな組織にだって必ず改善点は存在する。
ただその改善点を解消するための変化を拒んでいては組織としては崩壊していく一方だ。

しかも文実は構成員が多く、強い連帯感によって発生するナショナリズムを持っている。

その為に敵には回せないのだ。

意見を呈しても自らへの否定意見と受け止められてしまい、相手の数が多く強い連帯感で結ばれてるという構造的問題により文実の金銭的問題は中々解決されないのだ。

勿論文実の中でも局によって雰囲気が違う事、更には各個人によっても価値判断が違うことは承知しているつもりである。
不本意な括られ方に不満や不快感を抱いた場合は非常に申し訳ないが、文章の都合上一般化しているのだと思ってもらえると有難い。


構造的問題を抱えた組織は勿論文実に留まらず、
広報を紙で大量にすり続ける予算委員会や、
紙での投票を行い続ける選挙管理委員会、
機能不全に陥ってるクラス審議など各所に形は違えど存在する。

こういった問題は僕が事務局長在任中には解消できなかった。

中には一生徒や一委員では解決できない問題がある。

ただそれでも一つでも多くの理不尽を解消することを目標とし、
その目標を達成することを原動力として、
予算委員の置かれる境遇や理不尽な現状への絶望感に敗ける時までは僕は引き続き予算委員を続けていくのだろう。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。
当文書は筆者の所属する組織の見解とは一切関係はございません。
ご了承ください。

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