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13年前のあの頃

東日本大地震から13年目になり、あの時期は何をしてたか?何を考えていたかを当時の心境を思い出して書いてみた。

ニュースで知ったあの日の地震

13年前は諸事情によりアルバイトを辞め無職になり、毎日求人誌を見て「生活キツい...お金欲しい...」そんな時に基金訓練制度をある事を知ってすぐハロワに行って申し込んだ。
出席するだけで毎月10万貰えるのは生活が困窮しかけてたぺんさんにはありがたかったなぁ...。

半年コースの訓練校を2回講義を受け、色んな人達と出会った。
それはそれで結構面白かった。

最初に通ってた訓練校から帰ってきてすぐTVを付けた途端、ニュース速報で「東日本大地震」があったのを知った。住んでた地域は地震の影響が無いけど、知り合いが何人かいてすぐ連絡した。

みんなが無事であったのを確認してほっとした束の間、色んな二次・三次災害のニュースを見て怖くなった。

スーパーで見た被災者支援のカードの掲示物

被災した人達がぺんさんの住んでた地域に避難して来た。

当時のスーパーのレジに「被災者支援カードを提示してください。」みたいな掲示物を見かけるようになった。
被災者支援カードみたいなのがあって、被災地から引っ越して来た人を支援する物があって、へぇそんな制度あるんだってのを覚えてる。

2回目の訓練校では、他の地域から被災者が避難して来た人が何人か基金訓練に通ってて「見知らぬ場所で勉強しながら暮らすの大変だろうなぁ。」と思いながら過ごしてた。

パニックに便乗した商売と高笑いのいびつさ

2回目の訓練校に通いながら、色んな商売のやり方を教える講師がいて、面白い変な人だなと思いながら授業を受けてた。

余震や放射能のパニックがあり、毎日ニュースで「色んなものが危ない!」とか不安を煽るような報道でうーんって思いながら見てた。

その講師はそのパニックに便乗した商売をすぐ始めて、「この時こそ、水不足になるから『安い飲料水が高く売れるんだよwこれはかなり儲けるぞ!』みんなもそういう稼ぎ方しなよ。」って教えてた。凄いな...。

講師がドヤ顔でそんなの言うんだ。ってうっすら引いてた。
当時それが転売って事が分からず「そんな商売があるんだ、参考にしたくないけど。」と思った。
高笑いしたあの人の顔は忘れられない。

その後スーパーから飲料水がなくなりかけ、買うのに苦労して色々大変だった。
地震と直接は関係ない地域だけど、こんな形で巻き込まれる事があるのか...って複雑な気分だった。

訓練卒業後に、就職先で福島と縁がいくつかあって、当時の心境とか話を聞く事もあった。
当時の事を思い出す度に、今でも複雑な心境になる。

飲料水を転売したあの講師は今どうしてるでしょうね。
正直どうなってるかは知らないけど、コロナ期や今回の地震でも同じ事やってそうだなと考えると、虫唾が走った。
多分、あの人はろくな死に方をしないね。

そんな意地の悪い人達に対して、冷静に対処する事も大事なんだろうなって。

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