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「上位互換はいる。」 でもそれがAIなのは嫌だ。

先輩に布教(?笑)されて、短歌を作り始めて気づけば半年。言葉をパン生地のようにこねて丸めてたまに踏みつけて、下手なりに日々悩みつつ150首ほど作ってきた。Twitterに投稿していたら、歌人の方からいいねやフォローを頂けたことで最近は調子にのって#短歌とかつけたりしてる。

でも私は、アマチュアとも呼べないドシロウト。先輩に勧められて応募した投稿サイトもnoteでの推し短歌企画も全滅。「あぁやっぱ才能ないんやなぁ」と納得しつつも短歌作りの楽しさを知ってしまって辞められない。31文字で何をどう表現したいのか。読者に何が伝わってほしいのか。どこまで世界を広げ/物事にフォーカスできるか。楽しい。(…まぁ素人考えだけど。どれも出来ていないから一向にダメなんだし笑)

一方、先輩はすごい。全国的な賞や詩句サイト、NHK短歌の常連。著名な歌人の方々から絶大な評価をされているすごい人なのだ。だからといって応募した全作品が評価された、という訳ではないんだろう。きっと先輩も「どうしてこの作品の方が選ばれるんだ?」「選ばれた作品と自分の作品の違いは何だったんだ?」と悩んだことがあるはずだ、と思う。それを乗り越えて作品を作り続けてきたからこそ、今の評価がある。そこが「才能ないからなぁ」で終わる私との大きな違いだ。(才能の有無が大きな違いと言われれば、まぁそうなんだけど…)

そうやって、言葉にもがいて自分を信じて栄光を勝ち取る人が必ずいる。
さらにその人の“上位互換”も必ずいる。上には上がある。キリがない。
でもそれは、人間同士の才能のぶつかり合いであるからこそ成り立つ。“上位互換”がAIなんてまっぴらごめんだ。

短歌に限らず、作品の入選技術に『選考者の好みと賞の傾向を知る』というのがあるらしい。読者(選考者)ターゲットを絞ってその媒体にあった作品を提示する、ことなのだそう。確かにターゲットにどストライクの作品かつ傾向を熟知した作品なら、間違いなく入選するだろう。
…でもそれって、AIの手法なんじゃないかな??

選考者の作品や過去に選んできた作品、インタビュー記事なんかを学習させ、その賞の創設時からの全作品を読み込ませる。学習能力に優れたAIなら、選考者にどストライクの賞にぴったりの作品をポンポン出せるだろう。実際に、AIが文学賞を受賞したり漫画を書いたりしている。
そうなると常にライバルの“上位互換”は人間ではなくなってしまうの…かな…?

先輩はこんな才能のない私にも色々な機会への応募を勧めてくれる。
だけど先輩でさえ敵わなくなる“上位互換”が現れてしまう世界だ。私がかすりもしなくて当たり前なのだ。

それより、ただ、楽しみたい。
短歌を。短歌にしたくなる風景や心情を。31文字を詠むこと、そのものを。“楽しむ”は、まだAIが到達していない世界だろう。短歌が楽しい。それだけで、下手でも下位でも関係なく作り続けられるのだ。
だからこれからも、有名無名関係なく短歌を“楽しむ”人たちのいるTwitterにド下手な作品を投稿していく。
誰の顔色も気にしない一首が、誰か一人でも心に届いたら。それが一番嬉しい。

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