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信じているものは何(33)

タイに住み始めて、私の生活が変わったことは
より日本を意識するようになりました。

なぜなら、自然と日本の情報をとりに行くんですね。
そんな中で、目にしたのが日本人の歴史観でした。

やはり、日本を語る上で、日本人のアイデンティティーなどを
問われた場合に答えられるように、見つめ直した結果、まず
たどり着いたのが「君が代」と「日の丸」でした。

ここタイでは、いまだに朝の8時と午後6時には公共の場では
国家が流れ、国民は立ち止まって国家を聞くのです。
その光景を見た時、私は日本人として国歌を何回歌っただろうと
考えた。

おそらく数えるほどしか歌ってないと思うが、あまり覚えていない。
それだけ、希薄だったのかもしれない。
しかし、しっかり歌えるのは、私がギリギリ戦後教育の先生に
幼少期は教えられていたの関係があるのだろう。

小学校低学年の時の先生で印象的なのは、田中先生。
おばちゃんだが、厳しかった記憶があり、田中角栄と冗談を
行ったりすると良く叱られた。
年のころは四十後半から五十くらいであろうと思われます。
非常にテキパキしていて、声も大きく、いつもジャージのような
服装でした。

君が代に話を戻しますが、歌うことも度々あり、
習ったのであろうことから、歌うことはできたが
あまり深く意味を考えてはいなかった。

そして、調べていくと、国歌を歌わない人々が
一定数いることも承知していたが、かなり教育の場に
入っていることに驚いた。

日本の教職に就く(公務員)たる者が、国歌を歌わないなんて
私には、信じがたいものでした。
おそらく、子供の教育へも影響しただろう。

かろうじて私は国歌を歌うことに抵抗はなく、むしろ
喜びを感じていた。それは外国で生活をし始めてより
感じるようになった。

そして君が代を深掘りしていくと、古今和歌集にたどり着いた。
まさに神話と隣り合わせの時代まで遡ったのです。

そして、古事記などを経て、天照大神にたどり着いた。

神話として、認識はしていたが、しっかり深掘りすることは
日本にいた時には、微塵も思わなかった。

恥ずかしながら、建国の歴史やその前後の物語など
人に話せるほどではなかった。まあ、今もそうですが・・・

そんなことから、日本を外から眺めることにより
より日本の良さが見え、同時にネガティブな部分も
見えるようになった。

外国で感じることの一つに、宗教観があります。
タイでは仏教徒が多く、人々の敬虔さに驚いたことは
そう昔のことではありませんでした。

そこで日本はと考えた時、日本も仏教国だな・・・

いや、待てよ、日本の建国は、神々によって作られ
その流れで、天皇が座し、天皇は神道の頭であることから
日本は神道の国 であることが正しいのではないだろうか

そう思った。

私はクリスチャンではありますが、日本の神道
八百万の神(全てのものに神が宿る)という考え方が
とても好きだ。

お天道様が見てるよ と 言われて育った日本人の
証なのかもしれませんね。

この八百万の神の考え方と一神教の考え方、キリスト教での
考え方ですが、私は同じだと考えています。

一神教=神は一つ
八百万の神=神は複数

紙面上の数字をみれは、違うように見えますが
神という存在で考えた時、「一神教は普遍的な存在である」
と教わった。
要するに、「全ての物事に当てはまる、広く行き渡る」
などの意味がある。

これは、まさしく八百万の神、「全ての物には神が宿る」
と同じではないかと考えました。

キリスト教=誰も見てなくても、神様は見てますよ
神道=全ての物に神が宿っていますよ

この時から、神道とはなんだろう。
なぜ、日本にはこのような考え方があるのだろうと
考えるようになりました。

そして、どんどんいろいろなことがわかっていくにつれて
私の信じているものが、小さい点ではなく、大きな円に
変わろうとしていました。

つづく。

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