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新卒入社10日で辞めたハナシ

研修先のトイレで過呼吸になったのは何年前のことだっけ。

こんにちは、兎Y月(トワイ ライト)です。

現在は学生をしているわたしだけど、新卒カードを手に就活していた時期があった。

と言っても当時のわたしの就活は就活と呼んでいいのかわからないくらいイージーだった。

就活の時期。どこの企業を受けようかなーと考えていたわたしに担任の先生が声をかけてくれた。

卒業生が何人も就職している会社で、新幹線の距離の場所にある会社にも関わらずお偉いさんが学校へ来て希望者は面接を受けることができる、受けてみない? と。

わたしは二つ返事で了承した。
その会社はIT系の会社で、授業でそれらしいことは習っていたもののITのことは無知だったし興味すらなかったのに。

じゃあ何故二つ返事で了承してしまったのかと言うと、それは家族との関係にある。

わたしが躁鬱になったきっかけ、家庭環境。
つまりなんでもいいから家を出たかった。

それでまぁ、わたしはその会社の面接に参加した。

わたしは面接が得意だった。面接での印象がハチャメチャに良い。それっぽい志望動機を述べて、笑顔で話して、積極的に質問をして……わたしIT系の仕事に興味があるんです!一生懸命頑張りたいです!と言わんばかりに。

もちろんIT系の仕事にはこれっぽっちも興味はなかった。家を出たい一心。それから学校で面接受けられるなんて楽ちんじゃーん!みたいな惰性もあった。

最低だけど、当時は躁鬱が酷く対処法も自分でわかっていない時期で深く考えることなんて出来やしなかった。

面接が得意だった私はその企業に内定を貰った。
クラスで内定第1号だったこともあって、クラス全員の前で担任から褒められたりもした。

そして月日は流れ学校を卒業し、実家を出て一人暮らしを初め、やっと実家から抜け出せた!と喜びを噛み締めていた。

実家から抜け出せたという喜びが大きく、仕事が大変だとかそんなことは1ミリくらいしか考えていなかった。

そしていざ入社。

そこでようやく、わたしは自分が場違いであることに気がつく。

小さな会社だったので同期は2人。
その2人がプログラムが云々とかわたしには理解不能な専門的な話で盛り上がっていて、ここでようやく焦り始める。

遅い、遅すぎる。

で、でも新人研修があるし大丈夫でしょ!となんとか自分を奮い立たせて、いざ新人研修へ。

新人研修は他の会社の新入社員と合同で行われ、確か全員で10人くらい。
最初の2週間はマナー講習やグループワークがメインで、それは普通に乗り切ることができた。

そしてついに専門的な研修が始まる。

面接の際に未経験?専門知識ゼロ?大丈夫!研修あるから!と言われていた。

今思えば、そんなものは方便だとわかる。
いや、正確に言えばその分野に興味があって積極的に学べる人なら大丈夫!だったんだろう。

わたしは興味もなければ積極性もなかった。

あの時期は本当にどうかしていたし、学校やその会社にもかなりの迷惑をかけた。それはわかっているが、過去のことなので反省する以外に贖罪の方法は無い。

いざ始まった専門的な研修。
今まで研修を担当していた女性の講師と一緒に男性の講師が部屋に入ってくる。

PCを立ち上げ、ソフトを起動し、それから……

専門用語!
専門用語!!
専門用語!!!
専門用語!!!!!!

えっ?となっている間に男性講師はどんどん話を進めていく。質問をする暇なんてない。

周囲を見る。

カタカタカタカタ……カタカタカタカタ……カタカタカタカタカタ……カタカタ……!

なんということでしょう。

ついていけてないのはわたしだけ。
みんな男性講師の言っていることは当たり前とでも言うようにどんどん画面に何かを打ち込み、表示させている。

喉の奥と目の奥から何かが込み上げてくるのを感じたわたしは、部屋の1番後ろにいた女性講師に断ってトイレへ駆け込んだ。

止まらない過呼吸。あまりに長い時間わたしが戻らなかったからか心配した女性講師の方がトイレへ来て、空いている部屋でわたしを落ち着かせてくれた。

そしてわたしは全てのことを打ち明け……そこからはトントン拍子で退職が決まった。

けれどある意味、これは人生のターニングポイントだった。

わたしは実家に戻らずその地でフリーター生活を始めた。ガッチガチに縛られた実家からの解放。そこでわたしは初めてやりたいことを見つけた。

毎日が充実していたが、フリーターなのでお金はなかった。メンタルは悪化。加えて、ようやく逃げることが出来たと思った実家からの鬼LINE、鬼電の毎日。ノイローゼ。

わたしは職場で倒れて、病院へと搬送された。

結局、その地での一人暮らし生活は1年程で幕を閉じわたしは地元へ帰った。

けれどやりたいことが見つかったというのは大きく、就職に失敗したことと倒れて搬送されたことで親もわたしを無理に働かせようとはしなかった。

実はこの就職の前に鬱が酷くバイトをしていない時期があったのだが、バイトをしろ!と連日両親から怒鳴られ仕方なく面接に行き、合格し、3日でバックれた思い出もある。それはまたの機会にでも。

甘ったれるな!とお叱りを受けそうな内容ですが、過去の話です。こんなこともあったんだーぐらいに受け取ってください。

10代で精神疾患を発症しているからか中々に困難な人生を送ってきた。これからも躁鬱との付き合いは続くし、それで苦労することもあると思う。

けどまぁ、頑張ります。

みんな、俺みたいにはなるな!


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