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人の気持ちを考えられない親に育てられた

はい、私の過去話です。
私の両親はどちらも人の気持ちを考えることが苦手です。

父親はまだそうでもないのですが、母親が特に酷い。
「お母さんとはこう」「子どもとはこう」「だから自分(母親)の理想はこれ」という型にハマった考えしか出来ず、私はそれに当てはまるように育てられました。

ついでにいうと母親は会話が成り立たないことも多いです。

例を挙げると、
私「期末テスト疲れたなー」
母「Aちゃん(同級生)は頭いいもんね」

一見すると「なんで今Aちゃんの話?」なのですが、恐らく母には「期末テスト」という単語しか届いておらず「期末テスト→成績→娘の同級生Aちゃんは頭が良い」という連想ゲームが行われ連想ゲームの結果を口に出してるのだと思います。

上記のような会話になってしまうことはよくあり、父が母に対して「お前は話が通じないから会話したくない」と言ってる現場に遭遇したこともあります。

過干渉母親×無関心父親のよくある毒親コンビに育てられてるので子ども時代の私は人間関係で苦労しました。

両親どちらも人の気持ちを考えられないため、私に対して「目が糸みたいでブス」「泣き虫」だとか父が私に「ママはブタみたいだな」と冗談めかして言ってくることもよくありました。

母に関しては「Bちゃん(近所の子)の家は貧乏」「Cちゃん(いじめられていた同級生)って気持ち悪い」等と私に言ってくることがよくありました。

人の悪口を悪気なく言う両親だったので、私も悪口を悪口と思わずに人前で酷いことを言ってしまったり、いじめられてる子は見下して当然だと思っていました。

そのため、小学校時代の私は「クラスで2番目に嫌われている子」でした。

何故2番目かというと、私は親にバカにされて育った経験から自己肯定感が低く「周りに合わせる」「他人軸でいる」というスキルが身についていた為、クラス替え当初などはそれなりに周囲に馴染んでいたからです。

また、愛着障害が原因で人との距離感がバグっていた為に一見するとフレンドリーで親しみやすい印象だったからだと思います。

なのでまず少し変わっている子がいじめの標的にされ、その次に自分の意見がなく思った事をなんでも口にしてしまう私が標的になるという構図でした。

小学校時代はそれで過ごしていたのですが、中学にあがるとさすがに私も人間関係で酷く悩むようになりました。

自分の意見がなく、他人を無意識に見下す。また距離感がおかしくまだ仲良くなってもいない子に異常に親しく接する。

多感な時期の子どものコミュニティでは浮いてしまい、あっという間に嫌われ者でした。

中学時代に悪口を悪口と思わず発してしまい「あっこれってダメなんだ」と気がついた決定的な出来事がありました。

それは部活で3年生が引退する時期。
当時私は2年生でした。

引退する3年生に向けて色紙を書くことになり、1、2年生が部室に集まり雑多に会話などをしながら色紙を回して書いていました。

私はとある3年生の色紙に面白いだろうと思い「くたばれw」と鉛筆でラクガキをしました。

今考えると最低でありえないのですが、私の頭の中では「誰だよこれ書いたのー笑」と場が盛り上がると本気で思っていました。

ささっとラクガキしその場を離れ、誰かが気がつくのを待っていると同級生が「何これ?これ書いたの誰?」と怖い顔で言い始めました。

その雰囲気でヤバい、と感じた私は部室をこっそり抜け出しトイレへ逃げました。そしてしれっと部室に戻ると既に犯人探しが始まっていました。

その時点でそれを書いたのは1年生だろうと何故か決めつけられており、当然書いたのは私なので犯人は見つからず同級生達はこんなこと書くなんて本当にありえない、と怒っていました。

内心ドキドキしなから当然名乗り出ることはできずその件は有耶無耶で終わりましたがそこでようやく「自分はダメなことをした」と自覚しました。

しかしこの時点では「くたばれ」と書いたことが良くなったぐらいの認識で根本的なところを反省することは出来ず、そのまま中学を卒業し高校生になります。

そこでも持ち前の距離感バグで最初はクラス内でも上手くやっていました。
しかし度々「とわいちゃんって毒舌だよね笑」と言われることがありました。

それは勿論、私が悪口を悪口と思わず発言していたからです。

次第に私はクラスで浮いていき、隅っこにいるポジションに落ち着きました。

やっぱり人間関係で上手くいかない。なんでだろう。そう考えた私は発言する前に「クラスの中心にいるDちゃんならこんなこというかな?」と考えるようになります。

この考え方をするようになったことはある意味でターニングポイントだったように感じます。

人の気持ちを考えられない私でしたが、これにより少しだけ発言に気を使うことが出来るようになりました。

まだ他人軸で行動し自分の意見がない状態でしたが、失言をすることがぐんと減りました。そして少しづつですが、友達とも上手くやれるようになりました。

発言には気をつけられるようになったのですが、今度は人との距離感がわからなくなり非常に消極的に。そして人間関係で悩む。

高校卒業、短大中退、フリーター……時間が経つにつれて私は段々と人との会話パターンや距離感を学んでいきました。

実を言えば中学時代に精神疾患の症状が出ていたのですが心療内科へ行くことは認められず、短大を中退した19歳の時にようやく心療内科へ連れて行ってもらいました。

それから自分が虐待されていたことに気が付き、自己肯定感の低さを直すこと、自分らしく振る舞うことの大切さなどを考え現在に至ります。

ただ人の気持ちを考えられず、コミュニケーションに苦労した経験から会話や考え方をパターン化している節があり、それには現在も悩まされています。

Aと言われたらBと返す
こういう場面ではこういった発言や振る舞いをする

要は自分の気持ちよりもその場にあった最適解を発言してしまうんですね。

"こういう時はこう"
その縛りに悩んでいます。

少しづつですが自分らしく発言・振る舞えて時にはわがままだったり常識から外れたことを言えたり人間らしくなりたいものです。


追記(読まなくてもいいです)
私は現在双極性障害の診断が下りていて、鬱が酷い時など現在通っている夜間大学を休むことがあるのですが休む度に母に「休むの?なんで?病院行ったら?そんなんじゃ社会でやっていけない」と弾丸を浴びせられます。

で、それに対し「調子が悪いから休むのに理由を問い詰めたりして追い詰めるのはやめて欲しい。自分のことは自分で一番わかってるから」と伝えたのですが…

今度は「大丈夫なの?休んで平気?だってお母さん心配だから…」と"心配している"というていで責められるようになりました。

なんというか、母はやはり文面通りにしか物事を受け取れないんだなと感じています。

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