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不安や恐れはどっから来てる?

先日のこと。

『私、4月に、5歳の娘と北海道にホームステイに行く!』

…と、一度決めたものの、
日が経つにつれて、
決めた時に浮かんでいた
あれやこれやのキラキラが、シューン↓↓↓↓↓
と、輝きを失ってしぼんでいった。
北海道に行くことを、やめようとすら思った。
(自分が悲しく、辛かったなあ。
でも、やめることを決めようとしているのも
また自分、という矛盾。。。)

この『ものごとを一旦決めてから尻すぼみになる
というのは
私が何かを決めて実行しよう、
という段階になって、
私がよく陥るパターン。。。。
(これは、
一度決めたことを明確な理由があって
撤回する、ということではない。
そもそも、やるかやらないか検討する
エネルギーごと、
電源をOFFにしたように
シューンと消えてしまう感じ。)

だけど、そこに不安や恐れの感情があり、
その正体が何か、ということに、
友人たちとの会話や助言があって、気づくことが出来た。

私は、自分だけで、
『準備→計画→実行』して旅をしたことがない。
いつも、ツアーなど用意されたものに乗っかっていただけ。
だから、旅の準備→計画→実行を
うまく楽しめるかどうか、
準備を怠ったことで自分や娘に不利益を被るのが
嫌で、不安だったのだ。

それから、初めての人と交流することにも
不安と恐さがある。
今まで、自分の価値観が狭いと思っておらず、
狭い価値観だけで人を選り好みして
人間関係を紡いでこなかった。
そんな私が、
はじめましての人の場所に飛び込んでいって
気まずくならないかな、
不安だな、こわいな。

不安や恐れの正体が分かった。

…となると、面白いことに
『私がやったことのないことは、
体験してみよう、やってみよう!
そのために生まれてきたんじゃん。
本当は人も好きだよ。
だから、自分が愉しむって
どういうことかやってみたらいい。
結果は受け止めて振り返れば、
次のためのアイテムでしかないやん』
という自分がむくむく顔を出した!

嬉しかったなあ~~~~。

友人たちに感謝。


***********************


私は不安や恐れを感じることを
ダメだとしてきた。

だから、不安や恐れを感じたら、
その感情を「そんなわけない」と思考で
かき消し、否定してきた。

でも、感情は湧き上がってくるもの。
どんな感情も湧いた時点ですでに在る。
と、ひとのことの講座で学んだ。
 
不安や恐れの感情は、それ自体が
いいも悪いもない。

(特に不安や恐れは、生物的に身の危険を
察知するための、根源的な感情と言われている。)
【参考】
  つむぎonline『人間の最も根源的な感情を考える

としたら、
かき消したことにするのではなく
(感情は消したつもりでも消えない。
どこかに存在している。
抑圧した感情は
無意識化に組み込まれ
すべての行動の源に入り込む、
という説も。)

それらの感情を感じている自分に、
『その感情が何故湧いたの?』と
 ジャッジなく
 責めもせず
 ただ穏やかに
 自分にたずねてみると、
 何に対して、どう考えて
 不安や恐れを感じているかが分かる。

この不安や恐れは、
・今の私に必要なものなのか?
・昔の私が感じたものだけど今の私には
 必要ないものなのか?
・今まさに不安や恐れに直面しているものなのか?
・起こってもいないことに対して
 不安や苦しみや恐れを抱いているのか?
・他に意図があって、
 妄想で不安や苦しみや恐れを作り出しているのか?

が、分かる。

感情は、私自身から湧いているもの。

『善か悪か』『正解か不正解か』
という思考ばかりでは、苦しい。
何故なら、その善悪や正解は、
わたし自身の中にある基準ではなく
どこかのだれかの価値基準だから。

思考の時点で、誰かや何かのことを
窺って生きている。

生きながらにして牢獄にINしてるようで
何とも不自由で、もどかしい。

まずは自分の感情を感じ、
寄り添うゆとりを自分に与えよう。

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