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Jazz The New Chapter 5 序文 for Web

20代のころの僕は、ひたすらCDとレコードを買う生活を続けていたが、たぶん10年くらい前、そこから少し変化が出始めて、音楽の歴史みたいなことへの関心が増してきて、ジャズの本を買って読んだり、時間を見つけては国会図書館に行って、『スイングジャーナル』とその関連誌の『アドリブ』のバックナンバーを創刊から順番にひたすら読んでいた。
(※この件は『adawho』とか、何度か取材で話したことがある。)

1947年に創刊された『スイングジャーナル』は2010年に休刊するまで67年間、日本のジャズ評論を担ってきた雑誌で、ある時期までは、この雑誌の歴史が日本のジャズ評論史とほぼイコールといっていいくらいの存在だ。創刊した47年はアメリカではビバップが猛威を振るっていた時期で、チャーリー・パーカーらによるビバップが隆盛していた時期で、マイルス・デイヴィスが初リーダー・セッションを行った年で、蛭子能収や高田純次が生まれた年でもある。そんな歴史ある雑誌を読んでいて、気づいたことがいくつかあった。

それまでに僕が思っていたジャズのイメージは実にぼんやりしたもので、ざっくり言うと《ジャズの伝統=ビバップ》くらいの認識。ジャズの本を読めば、その手の名盤を聴けと書いてあったからということもある。そうは言っても、ビバップの前にはニューオーリンズジャズやスウィングジャズがあったり、みたいなことはもちろん知っていたけど、ジャズってジャンルはビバップ以降に一気に発展したものってイメージもあり、とりあえず、ビバップから先の《モダンジャズ》的なものを聴いてれば問題ないだろうと思っていた。要はモダンジャズ以前はオマケみたいなもの、程度の認識だった。今思えば、ずいぶん雑な認識だが、一般的にもジャズのイメージなんてそんなもんだろう。

ただ、スイングジャーナルを読むと、創刊直後には「ビバップが流行りだして、ジャズの伝統が軽視されている。スイングジャズを取り戻すべきだ」という旨の原稿が載っていて、ビバップが出てきたころはかなりの論争になっていたことを知った。結局、ビバップは定着してある種の正統のように認識されていくわけだが、そこから時代を経ていくとエリック・ドルフィーらが登場した60年代にはそれらの登場でジャズの伝統が壊れる可能性への警告が書かれていたりもした。更に70年代になるとファンクに傾倒するジャズミュージシャンを危惧した原稿が載っていた。言うまでもないが、80年代以降の危惧モードはそんなものではない。そんな調子でジャズ・メディアには伝統をいつも心配して、嘆いている原稿が載っていたことを知った。

ここでは「新しいものが出てきたら叩く老害がウザい」みたいな話がしたいわけではない。僕が思ったのは、「ところでジャズの伝統って何?」ということだった。

映画『ラ・ラ・ランド』でも、ジャズの描写に関しては、「ジャズの伝統であるビバップ(やハードバップ)」と「R&Bやヒップホップと混ざった現在のジャズ」みたいなものが対立的に描かれていた。主人公のセブはジャズの伝統を復権したいというようなことをたびたび語るが、その際に彼が思い浮かべているのは、ビバップだったと思われる。おそらくこれは「伝統的な音楽としてのジャズ」みたいなもののパブリックイメージをそのまま形にしたってことなんだろう。

ただ、スイングジャーナルを読んでからは、危惧されながら、心配されながら、失われたと嘆かれながらも、ジャズの伝統とやらはどんどん形を変えて新しくなりながら生き続けていたことだけはわかった。ただ、僕はそれと引き換えに《ジャズの伝統》ってものがますますわからなくなったわけだ。

それ以来、僕は伝統についてぼんやりと考えるようになった。ジャズの仕事をするようになってから「ジャズの伝統」について業界の年上の方から問われることも多かった。要は「君が話しているヒップホップが混ざってる音楽はジャズの伝統とは関係がないじゃないか」というような筋の問いだ。そういう時に笑顔で頷きながら、「いろいろ言ってるけど、そもそもこの人はジャズの伝統をどう定義しているんだろう」と腹の中では思っていた。

『Jazz The New Chapter』を含め、膨大な数の取材をする中で、現役ジャズミュージシャンからジャズのことをたくさん話してもらった。その中でも過去のジャズからの影響の話がたくさん出てきたし、それと同時に「僕はジャズって音楽はこういうものだと思っている」みたいな話がたくさん出てきた。ただ、それは「何をもってジャズの伝統とするか」というような話ではなく、「そもそもアメリカの音楽っていうのはどんなものか」というようなもっとスケールの大きな話ばかりだった。特にジュリアン・ラージが話してくれたアメリカの音楽についての話はこの本の起点になった。

そもそもジャズっていう音楽の成り立ちが「アフリカとカリブとヨーロッパの要素がアメリカのニューオーリンズで混ざり合ってできたミクスチャー」だっていう話から始まり、ゆえに「混ざり合うことや変化していくことこそが正しい在り方」だっていう話だった。だからこそ、「歴史を学んだあとは、自由に混ぜ合わせて、変化させていってもいいんだ」とも。そして、カマシ・ワシントンを含め、多くのアーティストが僕に同じことを言っていた。「すべての音楽は繋がっていて、全ての音楽は関係があるんだよ」と。つまり、そもそもがビバップ云々みたいな小さな次元の話ではないのだ。

それから僕は、「現在のようにジャズが進化していったこと」と、「ミュージシャンたちのジャズという音楽の成り立ちへの認識が変わったこと」、そして、「アメリカでのジャズ教育におけるジャズ史の捉え方が変化したこと」はすべてパラレルなんじゃないないかと思うようになった。

(Clothing : Alice and Louie Clothing || Designer / Stylist : Tiffany Wright)

『Jazz The New Chapter』は最初の『1』を出したのが2014年の2月。そこから4年が経った。その間に同シリーズを3冊作り、マイルス・デイヴィスを再解釈する『Miles Reimagined』を、そして、異なる世代が集まってジャズ史を語りなおす『100年のジャズを聴く』を作った。その過程で当初やっていた「現状のシーンを俯瞰して、他ジャンルとの関係をも見据えて大まかな見取り図を作る」という部分はかなり充たされた実感があり、これからはその「そもそもジャズって何なの?」って部分に答えていく本になるべきなのかなと思っていた。そんな時に、2015~2017年にクリスチャン・スコットジェイソン・モランフレッド・ハーシュジェイコブ・コリアーティグラン・ハマシアン挾間美帆らが興味深い話をしてくれたことが僕の背中を押してくれた。

さらに言えば、村井康司『あなたの聴き方を変えるジャズ史』『現代ジャズのレッスン』のような本が出たことも、僕がやりたいことを加速させた理由の一つだ。「ジャズとは何か?」をはじめ、ジャズ史を意識的に問い直すテキストを過去から時系列に進む形で書いた村井さんの正統派な本が既にあれば、僕は現在のジャズから遡る形で「ジャズとは何か?」を示すための亜流以外の何物でもない無謀なチャレンジも許されるだろうと思ったから。村井さんがどう思うかは知らないが、僕にとってはこの本は『あなたの聴き方を変えるジャズ史』『現代ジャズのレッスン』と対になるようなイメージだったりする。

2010年代になって、アメリカのスミソニアン博物館のレーベルがヒップホップの歴史を総括した編集盤CD『Smithsonian Anthology of Hip-Hop and Rap』を制作するというニュースがあったり、

スミソニアン博物館内の国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館ではヒップホップに関するものが展示されていて、Jディラが愛用した機材が収蔵されたというようなニュースが度々流れてくる。

そうやって自国から湧き出てくるクリエイティブを早い段階でどんどん歴史にしていって、歴史を書き換えていくだけでなく、その定義さえもどんどん変えていくのがアメリカだ。ケンドリック・ラマーの登場や、トラップの隆盛はアメリカのヒップホップ史を書き換えるだろう。そんなことを考えながら、LAジャズ特集を改めて綴ってみた。

2010年に出たスミソニアンによる『JAZZ The Smithonian Anthology』では最後はトマシュ・スタンコらのヨーロッパの名手から、ウィントン・マルサリス、スティーヴ・コールマン、メデスキ・マーティン&ウッド、そしてジョン・ゾーンによるマサダと80年代あたりで終わっている。

これからアメリカは90年代以降、そして、21世紀をどう定義づけていくのだろう。それに合わせて、20世紀の歴史をどう書き換えていくのだろう。そして、ヒップホップはジャズ史にどう組み込まれて行くのだろう。想像は尽きない。そんな日々更新されているジャズ史を体感してもらうために、00年代以降のジャズ・サックス入門を用意してみた。ここ20年くらいのジャズ・サックス史の一端を見るだけでも、21世紀以降のジャズがいかに過去の歴史を再編し、そこから新たな表現を生み出しているかがわかると思う。

という感じで、ただの現状のジャズシーン解説の域を超えた最高傑作ができたと僕は自負しているし、ようやく満足がいくものにかなり近づけた気もしている。この『Jazz The New Chapter 5』を読みながら、過去の音楽や歴史がいかにスリリングであるか、そして、それをスリリングにしてくれるのはいつも現在進行形の新しい音楽だということを感じてもらえたらうれしい。

最後に『Jazz The New Chapter 5』制作時に繰り返し聴いていた音源を紹介しておこう。

ひとつは Owen Broder『Heritage: The American Roots Project』

作編曲家のオーウェン・ブローダーがアメリカのルーツミュージックをテーマに挾間美帆、ライアン・トゥルースデル、ジム・マクニーリーら現在のラージアンサンブル最前線の作曲家たちとともに作り上げたラージアンサンブルによるアメリカーナの逸品。ブルース、ブルーグラス、カントリー、ゴスペル、そしてクラシックとジャズが美しく響き合う。今回の本の公式BGMがあるとしたらカマシ・ワシントン『Heaven & Earth』と並んで間違いなく本作がある。

もうひとつはGreg Saunier​/​Mary Halvorson​/​Ron Miles『New American Songbooks, Volume 1』

ディアフーフのドラマーのグレッグ・ソーニアとジャズシーンの異才によるコラボで新しいアメリカン・スタンダードとしてエリオット・スミス、フィオナ・アップル、さらには新しいところだとエンプレス・オブがカヴァーされている。映画音楽のジョン・ウィリアムス、フィリップ・グラスの先生でもある現代音楽の作曲家ヴィンセント・パーシケッティといったセレクトからは21世紀のアメリカ音楽像が見えてくる。

この2作品は共にサブスクにはないが、ぜひ聴いてもらいたいと思っている。

『Jazz The New Chapter 5』はカマシ・ワシントンがひたすらクラシック音楽の話をしているインタビューが載ってたりするおかしな本だ。でも、それは時代もジャンルも新譜も旧譜も関係なく、全てがただのデータとしてなんのヒエラルキーもなくフラットにクラウド上にアップされていて、自分から取りに行けば、何にでもいつでもアクセスできるサブスクリプション時代における僕らからの音楽の楽しみ方の提案だと思ってほしい。

カマシ・ワシントンが語ってくれるストラヴィンスキーやプロコフィエフなんてあまりに未知すぎて、僕らにとってはもはや新譜みたいなものなのだから。

ーーJazz The New Chapter監修者 柳樂光隆

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Jazz The New Chapter 5 

現在進行形のジャズを読み解くムック、第5弾が登場! !

「セロニアス・モンクはオリジナル・ヒップホップ・ピアノ・プレイヤーだ。
だから、俺はJ・ディラとのミックスも思いついた」——ロバート・グラスパー

カマシ・ワシントンの「Heaven & Earth」から始まる現代ジャズの手引き。

西海岸LAで生まれ育ち、サックスを手にジャズを演奏し、スヌープ・ドッグやケンドリック・ラマーらヒップホップ 勢に貢献、自身の作品ではクラシック音楽をも視野に入れた壮大なサウンドを作り出すカマシの音楽には現代ジャズの様々な エッセンスが詰まっている。

本書では彼を出発点にLAヒップホップとジャズの関係、サックス奏者たちの進化、そして、ジャズの歴史やクラシッ ク音楽とジャズの関係をもとに「ジャズとは何か?」を考察する。

ロバート・グラスパー、テラス・マーティン、マリア・シュナイダー、クリスチャン・スコット、ジュリアン・ラージ など重要人物の言葉と共に現代のジャズを解き明かす、大ヒットシリーズ第5弾! !

Around The Experiment
ロバート・グラスパーと彼の共演者たちの今
what is the role of Jazz Media?
アートワークからライヴまで一貫したリヴァイヴ・ミュージックの美意識DISC SELECTION ― New Standards 2017-2018
今聴かれるべき120枚のアルバム
bring a new perspective on Saxophone
主役に返り咲いた今、語り直すサックスという楽器
inside and alongside the L.A. Jazz Scene
西海岸ヒップホップとジャズ ― ―LAシーンの背景
What Is Jazz? feat. Americana, Classical Music etc.
現代の状況から遡って考える〈ジャズって何?〉

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