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世界の終わり #5-3 グール

 そして現在、わたしは九州の地で市民団体〈TABLE〉の人が運転する車に乗っている。

 ハンドルを握っているのは丹田という男性で、鬚の伸びた四〇代半ばの中年。
 ほんのちょっと渡部篤郎似なうえに、神父っぽい黒い服を着ているから、少し前にBSで観た〈愛のむきだし〉を思いだしちゃう。

 助手席に乗っているのは日並沢という男性で、こちらは見た感じ、わたしよりちょっと年上くらい。
 身体のあちこちに油がついていて、いかにも技術者といった感じ。

 後部座席にはわたしと白石くんが乗り、荒木さんは、カメラマンである柏樹さんの運転する車に乗せてもらっている。

 時刻は午後一時。
 二台は国道3号線を南下していて、柏樹さんのSUVが先頭を走り、わたしたちはそのテールランプを追いかけている。
 そんなわたしたち側の車内はというと、

「やっぱりピカチュウって喋らないからいいんですよね」と白石くん。
「そうだねぇ、言葉を交わせないのに意思が通じあえるっていうのが上手い設定なんだよねぇ」答えたのは助手席に座る日並沢さんだ。
 なにがどうしてピカチュウの話になったのかよく憶えてないけど、〈TABLE〉の本部をでてからずっとこんな感じ。っていうか、ピカチュウって喋っていなかったっけ?
 まあ、
 ピカチュウはさておき、
 白石くんはビックリするくらい他人と打ち解けるのが早い――というか〝常に媚びる〟が基本姿勢的なところを、出会ったばかりのときから感じていた。
 どういう経緯でそんな性格になったんだろう、白石くん。
「これ、本当にもらってもいいんですか?」
「もちろん。野犬に対しては効果抜群だよ。街中を歩いていて最も怖いのは感染した野犬と出会すことだからねえ。キャップを外して周囲に振りまくだけで、野犬は近くに寄ってこなくなるよ。ベルトに装着できるようになってるから、常に腰にさげておくといい」
「ありがとうございます。じゃあ、早速」
 気に入られて、対野犬用のグッズとか貰っちゃってるし。
「効果があるのは野犬だけで、グールには効かないんですか」と、白石くん。
 水筒のようなデザインの対野犬用グッズを、ズボンのベルトに装着しながら上機嫌で尋ねている。
「投げつければ目潰しとして使えるかもしれないけど、基本的に鼻が利く動物にしか効果ないよ。自分よりも大きくて強い相手であることを〝におい〟で察知させて、怖れさせることを目的としているからね」
 あぁ……おそらく、筒の中身は、象やサイといった大型動物の糞を粉末加工したものに違いない。
 お願いだから白石くん、車内でキャップを開けようなんて考えをもたないでね。
「ところでピカチュウの件ですけど」
 え。
 またそこに話が戻るんだ?
「言葉を用いないからこそ関係性が深まるというか、距離が縮まるとでもいいますか、そういうのってありますよね?」
「あるある、あるねぇ。わかるなぁ、そういうの」
「それにピカチュウ、可愛いですし」
「そうだよねえ。可愛いよねえ」
 いい大人なのにどうかと思う会話だけど、まあ、白石くんらしいといえば、白石くんらしいので〝よし〟としよう。
 相変わらずってことで安心感も得られるし。
「言葉が通じなくてもいいんですよね。むしろ、通じないからこそいいんですよね」
 なに? まだ続くの?
 何回同じ……ま、いいや。
 白石くんらしいと納得したばかりなので文句はいうまい。


 九州上陸に不安を抱いていたわたしの心を、ほんの少し、軽くすることができたのは、メンバー内に白石くんのような人がいると知ったからだ。
 暴力や揉めごとが嫌いですってオーラ全開の白石くんとなら、九州に上陸しても大丈夫だろうと思った。
 なにがどう大丈夫なのか具体的に述べよといわれると言葉に詰まってしまうけど、同行する相手が藤枝やわたしの部屋へあがりこんできた男たちではなく、白石くんだったってことは大きい。
 それに白石くんはわたしと同じく、今回がはじめての九州上陸みたいだから、そんなところでも仲間意識を感じるというか、連帯感?


「本当にそうかな。普通は、言葉が通じない相手には畏怖し、距離を置くものじゃないかな」なぜかこのタイミングで、ハンドルを握っている丹田さんが口を挟んできた。「だからこそ、いまのような事態に陥っていると思わないか」
「いまの事態って?」白石くんが問い返す。
 バックミラー越しに、丹田さんは答える。
「人間とグールの関係性だよ。みんなはグールと呼んで化物のように怖れているが、実際は感染してしまっただけの、いわば病人じゃないか。見た目が変わって、意思の疎通が行えなくなって、ゾンビと同様に死後復活もあるとわかった途端に、みんなは害のある存在と見なすようになった。グールと言葉を交わすことが可能だったら、現状は変わっていたんじゃないかって、おれは思うんだ」
「はぁ――」考えこむように、白石くんが声を発する。
「そう、ですね」と日並沢さん。
 丹田さんの主張はわかるけど、ピカチュウの話とは少々ズレたような気がしないでもないが――まぁいいや。議論を交わすつもりなんてないし、変に口を挟んでややこしくなっても困る。
 首を伸ばしてダッシュボードに取りつけられているカーナビの画面を見た。
 現在、久留米市内。
 ワゴン車を路駐している場所へかなり近づいた。
 福岡と熊本の境界にも。

 そろそろいいタイミングだろう。

 座席のうしろに置いていた大きな鞄へ手を伸ばす。
 白石くんが不思議そうな目で見てきたけど無視。
 ほんの少し鞄の口を開いて、手を中に入れ、コツリ。と爪の先にあたった固い物体を握った。
 危険な目にあったときには使えといわれて、荒木さんから渡された棒状タイプのスタンガンだ。

「――うん」
 スタンガンを鞄から取りだして、しっかり両手で握り締めた。
 先のピカチュウじゃないけど、わたしの〝わざ〟は一〇まんボルト。
「板野さん?」
 白石くんが不安げな声を発したが気にしない。白石くんは動かない。積極的に動くことはない。わたしの手からスタンガンを奪うことは絶対にないだろう。争いごとが嫌いだから、なにもせず、わたしの言葉に従うはずだ。
 姿勢を正し、椅子に座り直して深呼吸。
 よし。
 わたしは、できる子。
「前を走っている車に気づかれないように、少しずつ減速して」
 ちょっとだけ強い口調で、丹田さんへ向けて命じた。
「どうかしたのかい?」と丹田さん。
 わたしの目論みに気づいている様子はない。
「いわれたとおりにしてくれる? 気づかれないように少しずつ減速。どこかで左折して、山の方向を目指して」
「山? 山って高良山のことか? 悪いけど勝手に道をそれるのは――」話している途中で、丹田さんは口を横に結んだ。
 気がついたようだ。
 わたしが手にしているスタンガンに。
「板野さん、あの、それって――」
 白石くんと日並沢さんとが、スタンガンを見て顔を引き攣らせている。こうなるとあとは簡単だ。わたしは説明と要求を述べるだけでいい。
「お願いだから、いうとおりにして。できることなら誰も傷つけたくないの。だから素直に、わたしの指示に従って」
「そ、それ、スタンガン……ですよね。あ、あの」
 シートベルトを外そうとしている日並沢さんへ向けて、スタンガンを突きだす。日並沢さんは、うわあぁああぁと悲鳴に近い声をあげて身体を仰け反らせた。
「動かないでッ! 少しでも変な真似をしたら放電するからね。使いかたはわかってるんだから。ちょっと、白石くん、もう少し離れなさいよ」
「あ、は、はい。はい」
「なぁ、待て。落ち着け。なんのつもりだ。そんなものでおれたちを脅して、どうするつもりだ」
 流石にハンドルを握っている者には放電しないだろうと思ってか、丹田さんは冷静な態度で文句をいってきた。
 ドライバーに向けて使うつもりはないけど、日並沢さんや白石くんを思いやる心をもっているのなら、わたしの言葉に従うはずだ。
「フォレストホテルって場所わかる? ゴルフ場や商業施設なんかと一緒になった大きいホテルらしいんだけど」
「フォレスト?」
「場所はわかる? わからないの?」再度スタンガンを突きだす。
「あ、あの、調べます、カーナビで」丹田さんと違ってスタンガンの脅威に晒されている日並沢さんは従順だ。年下であるわたしに対して敬語を使い、早速カーナビを操作してくれる。
「お、おい、日並沢」
「前を。前をちゃんと見ててくださいよ、丹田さんッ」
 おかしな真似をしないだろうか、と注意深く動作を観察したけど、日並沢さんは素早くフォレストホテルの場所を検索して画面に表示させた。
 福岡と熊本の境目辺りに、フォレストホテルの文字が記されている。
「うん、その場所。前の車に気づかれないように減速して、どこからか左折して、フォレストホテルを目指すの」
 ミラー越しに丹田さんと視線が重なる。
 嫌な目つきだった。
 なめられるわけにはいかない。
 スイッチ、スイッチ――あれ? スイッチどれだっけ。
 火花が散り、車内の空気が震えた。
「わかったッ、わかったよ! 頼むからおれにあてるなよッ!」
 効果抜群。すぐさま車のスピードが落ちた。
「お願い」
 ここまでは予定どおり。
 横目で白石くんを見ると、ドアにくっつき、顔を顰めて口を尖らせていた。

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