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生活が生みだす「平常心是道」というスキル

「 素より然らず。茶道の修養は更にその上のものをねらって居る。何ぞや曰く真実の生活是である。茶の修養は茶室裡にのみ止って居るべきものではない。我々の居間・茶の間・田舎家の炉のほとりにまで進出しなければならぬ。即ち『平常心是道』という所まで進まねばならぬ。日々同事ばかりのようで実は変化窮りないわが家常の中に、極楽世界を見出すことがわが生を潤沢ならしむ。ここに活用してこそお茶のお茶たる功徳がある。」


以上は茶人として高名な奥田正造の言葉です。( 茶味 / 奥田正造 )
奥田正造は、戦前に茶道を教育の核として位置付け実践した教育者です。奥田正造は自身の著書「茶味」の中で、茶道の修養は真実の生活を追求するものと明言しています。この著書は彼が到達した仏教( 禅 )と茶の湯を基底に据えた「真の生活」としての指南書として今もなお多くの人々を先導しています。
元来、お茶自体が栄西禅師によって中国から禅の思想と共に日本にもたらされたものであるので、日本に広められた茶の道は禅無くして語ることができません。禅はそもそも信仰というよりも生まれながらにして持つ「本来の自分」に立ち返ることを目指して修行をしていくものととらえられています。

その修行とは、日々の「その瞬間」に意識を向けて、掃除はもとより何気ない日々の所作を丁寧に行い、過多な感情や思考、雑念を取り払い精神を高めていくことを重視し、それが心を穏やかに保つ秘訣であるとされています。そして、その心を以ってお茶の礼法を磨いていく茶道は禅の思想を拠り所にしていますから、日々の休まない訓練の積み重ねによって高い精神性を育むことで、心技体というある種のスキルへと結晶化していくと考えられています。また、その結晶化は決してひけらかしたりするようなものではなくて、自分の心に向き合うための大切な行いであると同時にお茶とともに生きる茶人の真の生き方そのものであると考えられています。

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足るを知るということにつながる「平常心是道」という心構え。なかなか実践するのは難しいですが、だからこそこの実践には価値があるのだと思います。あえていうならその"難しさ"とは人生の未病であるとし、日々粛々と挑むことで仮に人生に何か問題がおこったとしても解決する力が養われているのではないでしょうか。これは養生の考え方にも似ています。私たちは自分自身を見つめ、より本来の自分に立ち返るためにも、「平常心是道」というスキルが昔から求められ、近年ではその重要性がさらに増しているような気がします。
なお、「平常心是道」の解釈は様々に在りますが、今の私は "普段の当たり前のことが道である"という心構えで改めて日々の営みを大切にしたいと思います。


今日もよき時間をありがとうございました。


○撮影に使用したお茶○
2017年苗栗産 頭等奨東方美人


月 花 美 茶 https://www.yuehuameicha.com


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