あの日の朝

今日は阪神淡路大震災から25年目の日。

今でも覚えている。

あの日、あの時間、私は嫁ぎ先の家で朝ごはんを食べていた。

実は、私は、震災が起きる1ヶ月前の1994年12月に、今の夫と結婚式を挙げている。

でも、私の当時の勤務先は、今の家から40キロほど離れた山の中の僻地校で、当時はまだ道も整備されておらず、ダム湖沿いの秘境のような道を車で走らなくてはいけなかった。
特に冬、標高1000メートルの高山地域なので、春まで氷と雪に閉ざされる。私の運転技術では毎日通勤するなんてことは、絶対に不可能。
そのため、平日は学校の近くにある教員住宅で生活し、週末になると夫が待つ家に車で帰る・・・という単身赴任生活を送っていた。

◇◇◇

そう、あの日は月曜日だった。
私は5時に起きて朝ごはんを食べていた。

そして、まだ薄暗いなかを出発。6時頃に家を出た。

なるべく凍結していない道を選びながら車を走らせ、やがて、山岳道路へと入っていく。

グネグネした崖づたいの道を走り抜け、ようやく学校がある集落に到着する頃には、始業直前の8時になっていた。

片道2時間のドライブで、クタクタになっていた。しかも外はものすごく寒い。

事故なく無事に学校に到着し、安堵しながら、私は職員室に向かった。

◇◇◇

職員室では、いつもと同じ日常が始まっていた。いや、始まるはずだった。

ところが、誰かが「神戸で大きな地震があったみたいやぞ!」と言い、教頭先生が職員室にあるテレビをピッとつけた。

ニュース番組にチャンネルを合わせる。アナウンサーが「関西地方で大きな地震が起きました」と話していた。
朝の段階では、まだ地震の全容がわからず、「怪我人をした人が数名」とか、「死者・行方不明者はいない模様・・」とか、割りと軽めな報道内容だった。

しかし、時間が経つにしたがって、負傷者の数や死者・行方不明者の数が、数人から数十人になり、やがて数百人になり、更にどんどん増えていった。

この尋常ならぬ数の増え方に、私たちは今までとは違う、ただならぬものを感じた。

この日は、職員室のテレビは一日中つけっぱなしになっていて、授業から戻って来た先生が、「どうやった?」「どうなってた?」と慌ててテレビのニュースに見入っていた。

やがて、少しずつ現地の状況がわかり始め、動画でクリアに紹介されるようになった。

次々と流れてくる被災地の様子に、私たちは息を飲んだ。

こんなことが起きるなんて…。

神戸には、前年度に職員旅行で行ったばかりだった。見覚えのある地名や街の風景が、想像を絶する風景に変わり果てていて、心が押しつぶされそうだった。

まるで戦争のようだ・・・。戦時中のことは実際に体験していないから分からないけど、空襲に遭った街はこんな感じだったのかもしれない・・・。そんなことを思った。

◇◇◇

生徒の中には、岐阜県と長野県の県境に近くに住んでいる子もいて、その子の集落は御岳の麓にあった。その子達の話によると、地震が発生したあの時間、その集落はものすごく揺れたそうである。

ちなみに、昔から御岳は日本の各地と地下で繋がっているのか、国内のどこかで大きな地震が起きると、連動してその辺り一帯も揺れるのだという。遠いところだと九州の火山噴火でも、連動して揺れるのだとか。

そして、あの朝も御岳に近い地区は強烈に揺れたそうで、ビックリして飛び起きたのだとか。ここ(地元)が震源地の地震が起きたのか・・・と驚いたそうである。

でも、テレビで確認したら、ここではなくて関西だった…と。

そんなことを、その集落に住んでいる子供たちが話してくれた。

◇◇◇

あの震災によって、日本中が大きな衝撃を受けた。

被災していない私たちも、今までの生ぬるい温かい世界ではなく、現実味を帯びた厳しい世界に頭から突き落とされた・・・そんな感じだった。

そして、いつ何が起きてもおかしくない、そんな不安定で不確実な世界の中を、私たちは生きているんだ・・・ということを強く痛感した。

阪神淡路大震災が起きて、その数ヵ月後には地下鉄サリン事件が起きて、いろんなことがあった一年だった。時はまさに世紀末で、社会全体が不穏な空気に包まれていた。

そんな最中に、私は子供を授かり、息子を産んだ。

◇◇◇

その息子も、今年25歳になる。

息子が中学校を卒業した数日後(2011年3月11日)に、今度は東日本大震災が起きた。あのときも、被害の痛ましさに胸が押しつぶされそうになった。

息子と同い年の子達は、震災が人生に大きく関わっているようだ。

その息子は、高校生の時に東日本大震災の被災地へボランティアに出かけ、大学在学中は神戸の友人に案内されて1月17日に神戸へ行っている。

きっと息子も彼なりに、何か思うところがあり、また何かを感じているのだろう。

◇◇◇

あれから25年。

あの震災から、私たちは変わらざるを得なくなり、時代も大きく変わった。

社会の様子が変わり、人々の意識が変わり、人生観も変わり、災害に対する感覚も大きく変わった。

もう他人事にはできない。他人事では済まされない。

この25年の間に、日本各地で様々な自然災害が発生し、今や「何も起きていない所はない」と言うくらい、日本中の人々が災害を体験している。

そして世界でも・・・。

いつ何が起きるか分からない時代だからこそ、他人事とは思わないように、常に「自分の身」に置き換えながら、真摯に現実を受け止めていかなくてはいけないと思う。

25年前のあの日に感じたこと・見たこと・思ったことを決して忘れないように・・・。

しっかり心に留めて、いろいろなことか起きるこの不安定な世界を、強くしなやかに生きていきたい・・・と思う。

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