報われない悲しみは嫉妬に変わる②成長編

大学四年間を劣等感に振り回されたわたしは、モラハラ男との別れ、セフレとのあれこれ、という怒涛の展開を経て社会人になる。

研修期間に配属された職場は高卒が多く、大学時代のコンプレックスとは無縁の場所だった。
すごく気楽だった。
別に争わなくてもいいのだ。
みんな楽しむことに一生懸命なのだ。

しかもモラハラ元彼と再会し、話し合ったことでグダグダ悩んでいたものが吹っ切れた。

そんなわけで少し楽になったわたしは、なぜか「ポジティブになろう」と思えたのである。

そこでわたしは主に3つのことを実践してきた。
それが下の3つである↓↓

①あいみょんを認める
②幸せなカップルのインスタを認める
③自己投資をする

きっと根っからのポジティブな人なら当たり前にできることばかりだ。

①あいみょんを認める
ひねくれていたわたしは、ミーハーなものを嫌っていた。万人ウケする歌なんて陳腐だ、歌詞の内容も平和すぎる(曲によるが)、こんな綺麗な物語に収まるわけないだろ、と思った。
代表的な存在としてあいみょんを挙げたが、他のアーティストも然りである。

だけど、万人ウケするものって、分かりやすくハッピーになれるコンテンツなのでは?と考えを改めて、頑張って聴いてみた。
そしたら案外ハマった。
わたしの中のひねくれ度が少し下がった。

②幸せなカップルのインスタを認める
わたしの中の歪んだ男女間を見直そうと思った。こんな平和な人間が存在して、平和な危険な刺激のない日常を過ごしているんだなあ、と歯ぎしりしながら眺めた。
最初はセフレとのグダグダを描いた投稿とかを見る頻度が高かったけど、だんだん嫌味のない幸せなカップルにはほのぼのできるようになった。
知らない人だし、見たくなきゃ見なきゃいい、という距離感が良い。
新しい彼氏がここでできたのもあり、克服した。

③自己投資をする
自分のためにものを買うのは贅沢だと思い込んでいた。
他人へのプレゼントには惜しみなくお金を使えるのに。
親が良くも悪くもケチで、お小遣いも定期的にはもらえなかったので、欲しいものは顔色を伺いながら深刻に相談し、そんなもの、と一蹴されながら、結局親も認めるものだけを買ってもらっていたツケである。

自分を喜ばせるため、好き嫌いをはっきりさせるために自分のすきなものにお金を使うことにした。

社会人一年目はこんな感じだった。
文句ばかり言っているようだが変わろうとはしている。
その時にぶつかる、発見した自分の中の思い込みというのがどうしようもないものだった時、おもわず文句になってしまう。

今はインスタとかで楽しく平和なカップルを見て、いいな〜わたしもこうなりたいな〜と思える。
わたしにとってはこの方が楽だし、絶対将来的には幸せなのだ。
憧れていたものを素直に「憧れです」というのが、今までのわたしにとってどれだけ難しいことであったか。
自分が憧れに近づけないことにひねくれて、思わずそれから遠ざかってしまう人生は可哀想だった。

少しはまともになってきた。
次回はより現実に即した現在の作戦である。

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