■しっかり者=結婚は難しい?
■結婚できないと言われ続けてきた
祖母から言われ続けてきたこと。
「あんたはしっかりしすぎちょうけ、結婚は難しいじゃろう」
生まれたときから高校卒業まで、ずっと祖母と暮らしていた。
こう言われ始めたのは、小学生くらいの頃から。
よくある、母(祖母)と娘の確執的な要素ではなく、
単純に、祖母という立場で、近くでみてきてそう思ったんだと思う。
言った後、祖母はカラカラと笑っていた。
自覚はある。
私は、しっかりしすぎてしまった。
小学校高学年から母がマルチ商法にハマり、会社の寮に入ると家を出た。
父はせっかくの昇進を断り、次第に仕事に行かなくなった。
私は、しばらくしてバイトに励んだ。
学生、主婦、家事、炊事、弟の面倒、父の世話、バイト。
さらに美術部に所属し、先輩たちとバンドもやっていた。
いち女子高生だったけど、なんやかんや忙しかった。
そして、家には誰も頼る人がいなかったため、
なんでも一人でできるようになったのだ。
というか、やるしかなかった。
■しっかり者とは?
●しっかり者→あらゆることが一人でできる、人に頼らない、頼れない
文字にすると過酷に見えるけど、
私は親がほぼいない状況と、勉強しなくていい!ラッキー!大人の社会ってこんなにも自由で楽しい!
バイトするとお金になるし!とのびのび暮らしていた。
バイト帰りに、暗くなった公園のベンチで食べたおにぎり。
うどん屋の女将さんが、残りもので作ってくれた。
母と娘の像、というハゲかけたバカでかい噴水から流れる水を、ぼんやり見ながらパクつく。
食べても食べてもお腹がすいたあの頃。
その後、家に帰って家族にご飯を食べさせる。
時間があるときは、小さな弟を自転車の後ろに乗せて、友達の家に遊びに行き、アイスを食べた。
友達の親はスナックを経営していたから、夕方以降はその娘以外誰もいない。私は行くたびに5cmくらいの小さい缶ビールを貰った。
夜、自転車でうろついて、
アイスとビールなんて、なんだか不良になったみたいだった。
でも不良とかヤンキーの類ではなかった。
しかし、この生活のおかげで、できることは増えていった。
■結婚した、できた
祖母はやっぱりことあるごとに
「あんたはしっかりしすぎた。貰い手はおらんじゃろう」
と言っていたが、私は全く気にしていなかった。
なぜならば、結婚というのは、自分には関係ないもの、
自分史上ない文字、事柄だと思っていたから。
二十代、三十代になっても一切変わらなかった。
でも三十九歳になって、結婚した、できた。
なぜだ?
理由は簡単。
子供が欲しかったから。
そして私も頑なではなくなっていた。
結婚という形式にのっかってもいい、と思えた。
そんなこんなで、
しっかり者=結婚できない、しにくい、ということはない。
身を持って感じた。
そして、自分ではしっかり者だと思っていても、
それ以上に間抜けな部分が目立つこともあるし、
他人にはおかしく見えることもある。
そして、結婚してから、
自分はなんて、偏った視点だったのだろうと思った。
でもそれがわかるのって、年取ってからなんだよなあ。
「コイツ何言ってんの?」
「うっせえ」というあの歌のように思うことは、日常で多々ある。
今わからなくても、年月が経って役に立つ、気づかせてくれることはあるから、気にしなくていいと思う。
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