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なぜ教会教職科に入学したいのか


志望動機
私は現在イギリスの伝道団体Friends Internationalで弟子訓練をしている。Friends Internationalは大学都市をベースに活動しており、私はカンタベリーで奉仕している。ほぼ毎日午後から学生に向けたイベントを開催している。その中でも、毎週木曜夜に開催している聖書勉強会は、留学生を対象に夕食と聖書勉強会を実施している。多くの留学生は未信者である。聖書勉強会では、少数のグループに分かれて行っている。私はまだこの少数グループを率いた経験がないのだが、JTJで聖書の学びを深め、まずこの少数グループを率いることが出来るようになりたい。
将来的には、福井県の東尋坊で自殺予防の活動を行う白浜バプテスト基督教会のように、日本で自殺予防、みことばによるゲートキーパーの役割をできるような人材になりたいと思っている。
イエス様に救われる前に、私は社会学や平和学を学んできた。そしてクリスチャンになってから、ホームレス支援、留学生支援を行っている。これらの経験全てを神様が生かしてくださると信じている。現在は生活の糧を得る手段として、そして自分の興味関心から国際協力の仕事をしているが、この経験も神様から頂いた恵みであり、すべてが神様の働きのために使われることを確信している。
私は、JTJ通信コースで聖書の基礎を築き、聖書勉強会をリードするための知識と力を身につけることをはじめ、将来は、人の命に寄り添い、心に寄り添う教会を開拓していきたい。2年間のコースを土台に、日本に暮らす人々の命に寄り添い、神様の愛と憐れみ、聖書と共に歩んでいきたい。
 

私は、2022年4月に東京で救われた。仏教徒の家に生まれ、人並みに仏壇に手を合わせたり、法事に参加したりしていた。2014年末に母が亡くなってから、生と死を理解したい一心で、母がどこへ行ったのか突き詰める一心で、仏教にのめり込んでいった。中国語を身につけていたため、中国の仏教を学んでいた。定期的に、生きたアサリを買っては海に流し(「放生」という儀式の一つ)、毎日暇さえあれば念仏を唱え、それが亡くなった母と私自身を助ける唯一の道だと思っていた。東京で勤務していた間は台東区東上野の仏壇の街に部屋を借り、仕事に行く前に神社で仏壇を拝んでから出勤していた。
しかし、このような生活の中で、救われることができず、仏像に囲まれて生活していた中、悪夢にうなされることが多くあった。夜金縛りに遭い、目を瞑ることすら恐れて電気を付けて眠ることが多くあった。なぜだろう、なぜだろう、こんなに仏教をやっているのに。そう思っていた。悪霊とは夢だけでなく現実的に顔を合わせていた。
仕事に行ってはいたものの、精神的な生活は張り詰めた状況だった。そのためもちろん仕事もうまくいかなかった。
2022年4月、私は母を想って泣いていた。夕方から夜に近かった時間であった。すると窓の方向から光が私の方にやってきて、私は暖かい光に包まれた。そこには小さな船に乗った母がいた。母の横には、私の知らない人が立っていた。母は話さずに、わたしに「大丈夫。心配しなくていいよ。」と教えてくれた。母のその言葉を感じたわたしは、安堵に包まれた。大きな愛に抱きしめられているような感覚。光に包まれたわたしはまるで、天国にいるようだった。
愛に満たされて、私は自分の部屋に戻ってきた。悲しくて泣いていたのに、いつのまにか、嬉し泣きに変わっていた。
翌日、私は高校時代のクラスメイトとファミレスで会った。彼が東京に来るということで、一週間ほど前から約束していた。高校のクラスメイトと会って話している時、涙がぽろぽろと流れていた。
仏教徒として、「あれをしなければならない。これをしてはいけない」というルールに縛られて生きていた。「因果応報」という教えに苦しめられ、亡くなってしまった母のためならなんでもすると決めて生きてきた毎日は修行だった。そんな私が背負っていたものは、背負い切れないほど重すぎた。鎖は私の心にきつく縛られていた。その苦しみが涙となって、無意識に流れていた。
 
私が光を見たと話すと、「えみはもう本当の神様に出会ったんじゃない?」と彼に言われた。初めは信じられなかった。私が信じて毎日拝んでいたのは、仏様であって、イエス様ではなかったからだ。そこに感じたのは、本当の神様だった。それはこの世の「神様」ではなく、この世を造った神様だった。毎日仏を拝んでいる私だから、光が仏から来たのではないことが私にははっきりとわった。私が昨日見た光は、仏様ではなく、すべてのすべての神からきたものであった。
イエス様がだれだとか知らないし、聖書も読んだことがないけれど、あの光は、本当の神様から来たことを信じた私は、その日帰らなければならなかった彼を呼び止めた。彼はその日、鹿児島へは帰らずに、牧師先生と奥様を私の東京の一人暮らしの部屋に呼んで、部屋中を祈ってくれた。そして、私に祈ってくれた。祈られている間、今まで背負ってきたもの、母を看病することのできなかった罪悪感やこれまで自分が犯してきた数々の出来事とそれゆえにわたしを縛り付けていた後悔の念。私を縛り付けていた全ての鎖が解け、背負っていた全ての重荷、罪悪感、後悔、自責、全ての想いが下されるのを感じた。それを全て負ってくださったのが、名前は聞いたことしかなかったイエス・キリストという人であり、神様であった。牧師先生は、「あなたはイエス様を救い主として受け入れますか?」と聞いた。私はイエス様が誰だか知らず、聖書も読んだことがなかったが、あの光が、本当の神様からきたことだと確信していた。私は「はい。」と答えた。
その夜、部屋にあった全ての仏具を牧師先生に渡して処分してもった。
イエス様を受け入れた日から、私の人生は変わった。受け入れた翌日の朝、喜びと共に目覚ました。人生がまるで新しくなり、見るもの全てが新鮮に見えた。わたしは信じたのだ。信じたことで、全ての重荷を下ろすことができた。それが、何よりも、嬉しくて、讃美歌を聴くたびに涙が流れた。本当の愛とは、このようなものだったのか。
それから4ヶ月後の8月25日、私は故郷鹿児島市谷山福音教会で洗礼講座を受け、受洗した。その3日後、渡英し、今はFriends Internationalという団体で伝道師の弟子訓練を受けている。
私は、本当の神様を受け入れるまで30年かかった。いまは、私が自由になった喜びを周りの人に伝えたい。救われた喜びを、イエス様と歩む心からの平安と喜びを、他の日本人の方々に伝えたい、その思いで溢れている。
祈りの中で、神様が「今だ」というタイミングで、日本へ帰国し、開拓伝道を行うつもりである。

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