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23.余白(2)- iii

再び、「22.余白(2) - ii 」にて細部を観察してまいりました、
フェルメール作<牛乳を注ぐ女>です。

19, vv70, Johannes Vermeer,  De melkmeid, 牛乳を注ぐ女、1657-1658年頃、キャンヴァスに油彩、アムステルダム国立美術館

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画家と作品について、少しだけ、紹介をさせてください。


1.画家フェルメール

(1)生涯

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermee、生没年:1632-1675年)は、17世紀にオランダのデルフトで活動しました。
現在、フェルメールの真作として知られる作品はわずか30数点です。
寡作で、謎の多い画家として知られています。

フェルメールは、裕福な実家を持つ妻と結婚したため、また、普段は父から受け継いだ宿屋兼居酒屋の経営者として生計を立てていたため、画家ではありますが、どうしても絵を売らねばならないという状況だったわけではありませんでした。
ですから、フェルメールの画家としての活動は、ごく少数のパトロンに向けて、別の仕事の合間に少しずつ絵を描いては売る、そんな感じで続けられていたようです。

大工房を構えていたわけでもなく、画家の仕事はあくまで仕事の一つ、という働き方は、美術史の中に出てくる画家としてはかなり珍しいタイプです。
ダブルワーカーあるいはトリプルワーカーとでも呼ぶべき彼のライフスタイルは、副業が推奨されるようになった現代日本の私たちにとっては、なかなか示唆に富む生き方かもしれません。


(2)死後

やがて、フェルメール死後、フェルメールの妻は破産し、遺された作品を遺産管財人に取られた末、亡くなりました(1687年)。また、フェルメールの絵の3分の2ほどを購入していた一番のパトロン、ファン・ライフェンも亡くなり、その遺産を相続した娘婿ヤーコブ・ディシウスも亡くなりました(1695年)。

そして、1696年、5月。
このヤーコブ・ディシウスの所有していたフェルメール作品21点のすべてが、アムステルダムにて売りに出されることになりました。
ディシウス・コレクションの売り立て」です(後でこの話に戻ります)。
この時から、フェルメールの作品は全世界に散らばっていくことになりました。

その後、70点以上もの作品がフェルメール作と認定された時代があったり、贋作騒動があったり、盗難があったり・・・。
フェルメール作品の来歴には、もはやフェルメール本人の与り知らぬドラマがたくさんあるのですが、それはまた別の機会に。


2.展覧会

(1)世界

世界中に散らばった作品が、すべてとは言いませんが、いくつも、一堂に会する特別な機会があります。

それはどんな時でしょう。

そうです。展覧会の時です。

1995年、アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーにて大規模なフェルメール展がありました。それは翌年にかけてヨーロッパ(マウリッツハイツ王立美術館)に巡回し、大成功を収めました。
この展覧会を皮切りに、美術関係業界では世界規模でフェルメール・ブームが起こり、いくつもの展覧会が開かれました。

2004年より、アスベスト対策を含む大規模工事でアムステルダム国立美術館の主要部が閉館していたことも、各種展覧会への重要作品の出展を後押ししました。(何かの事情で「閉館中」というのは、普通なら有り得ないような国宝級の名品が世界各国へ貸し出される非常に重要なチャンスとなります)。


(2)国内

その後、日本でもその影響を受けて、大規模なフェルメール展やそれに関連する展覧会が開催される運びとなりました。

主要なものだけでも以下の通りです。
これら国内の展覧会に行かれた方もいらっしゃると思います。

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・2000年、『フェルメールとその時代』展、大阪市立美術館、巡回無し、企画:財団ハタステフティング

・2007年、『国立新美術館開館記念、アムステルダム国立美術館所蔵フェルメール<牛乳を注ぐ女>とオランダ風俗画』展、国立新美術館(9月~12月)、巡回無し

・2008年、『フェルメール展:光の天才画家とデルフトの巨匠たち』展、東京都美術館(8月~12月)、巡回無し、企画:財団ハタステフティング

・2011年ー2012年、『フェルメールからのラブレター』展、京都市立美術館(2011年6月~10月)、宮城県美術館(2011年10月~12月)、文化村ザ・ミュージアム(2011年12月~2012年3月)、宮城県美術館HPには主催として財団ハタステフティングの記名あり。

・2012年、『マウリッツハイス美術館展:オランダ・フランドル絵画の至宝』、東京都美術館(2012年6月~9月)、神戸市立博物館(9月~2013年1月)

・2018-2019年、『フェルメール展』、上野の森美術館(10月~2019年2月)、大阪市立美術館(2019年2月~5月)、企画:財団ハタステフティング

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企画者としてHP上で確認できるものには「財団ハタステフティング」の名を入れておきました。この「財団ハタステフティング」の秦新二さんのお書きになった本「フェルメール最後の真実」(文春文庫、2018年)をご紹介いたします。

この著者は、日本における各種フェルメール展の企画のまさに中心人物の方です。非常に興味深いことに、学芸員でも美術史家でもない方です。どうして美術展を企画する仕事に行き着いたのでしょうか。ご自身の若い頃の話もあり、展覧会裏話も満載で、とても面白い本です。
そして、ビジネスとして大規模なイベントを主催することの醍醐味や苦労、スリルをも、垣間見ることができます。私も大変興味深く読みました。


ついでに、もうひとつご紹介。

<牛乳を注ぐ女>運搬のドキュメンタリーミニ動画です。

アムステルダム国立美術館が、<牛乳を注ぐ女>を2018年の展覧会のために上野の森美術館まで運ぶにあたって、あの高級ブランドの老舗鞄屋ルイ・ヴィトンに対して、特別の専用鞄を発注しました。
職人が皮を切って鞄を作り、作品を梱包し、上野まで運ばれる様子が、ルイ・ヴィトン社のインスタグラムでスタイリッシュな3分弱のショート・ムービーとして公開されています。最後には、クロネコヤマトの美術品輸送専門の方々が開梱する様子も見ることができ、なかなか貴重な映像です。


3.1696年の175ギルダー

(1)最も高い絵は?

さて、話は1696年に戻ります。

1696年、アムステルダムで「ディシウス・コレクションの売り立て」が行われた時に売られた作品の中で、現存作品と一致すると推定されているものはおよそ15点あります(注1)。以下は、そのうちの三点です。

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ひとつ、問題です。

この三点のうち、最も高く売れたのはどの絵でしょうか。


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中央と右の作品は、「21.余白(2)没入感 - i 」で見てきました作品のうちの二つです。

また、一番左は、言わずと知れたかの有名な<真珠の耳飾りの少女>です。

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作品全体を見ると、確かに大きな真珠のイヤリングの輪郭を感じるのですが、細部を拡大してみると、真珠の部分には、輪郭などありはしません。そのあっさりした描写は、拍子抜けするほどです。
強い煌めきを示す濃い白が左上側に、白襟を映し込む薄い白が下側にあるだけです。画家はこの大胆な二度の刷毛塗りしかしていないようにも見えます。

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(★、筆者によるトリミング加工あり)

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三点のうち、一番高く売れたのはどれでしょう。

また、自分なら、どれを、いくらくらいに、設定するでしょうか。

考えやすいように一つ情報を出します。
<牛乳を注ぐ女>は、175ギルダーで売れました。

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(2)なぜ高価か


答えです。




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<牛乳を注ぐ女>だけが、非常に高価なんです!。

<真珠の耳飾りの少女>は、驚くことに、その5分の1ほどの値段にしかすぎません。<レースを編む女>はもっとお安い値段です。

わたしたちは、これをどのように考えたらよいのでしょうか。

特に同時代証言が残っているわけではないので、細かいことは何一つわかりません。しかしそれでも、以下のように、断片的に推測できることもあります。

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ところで、何が絵の値段を決めるのか。

なかなか難しい問題なのですが、ごく一般的に言えば、例えば以下の条件は絵の値段を左右します。絵特有の条件もありますし、例えばメルカリやヤフオクで中古品一般を売る時と変わらないような条件もあります。

・画家の知名度
・絵画市場での流通の流行(流行中は高くなる)
・絵の寸法(大きい方が高くなる)
・画材・原材料の価値(高価な画材を使えば材料費そのものが高くなる、例えば金箔など)
・画家のサイン(一般的には、ある方が値が上がる)
・作品の状態(傷んでいないほうが、値が上がる)
等々。
その他、いろいろありますが・・・。

↓↓↓

いま、作品の「寸法」にピンと来て、寸法を再確認した方は、鋭いです!。
実は、<レースを編む女>は、寸法がかなり小さいのです。
この小ささが安さの一因であることは間違いないでしょう。
(私は、ちょっと意地悪をして、作品三点をまるで同じ大きさであるかのような図版を載せていました。写真を見る時は、常にオリジナルの寸法のことを忘れないようにしなくてはいけません。)

それから、これはちょっと知識が必要ですが、ラピスラズリを原料とする「ウルトラマリン」という青い顔料が非常に高価であることをご存知の方もいらっしゃたと思います。
<牛乳を注ぐ女>の女中のエプロンやテーブルクロスなどをご覧ください。
美しい青が濃くふんだんに使われています。べらぼうに材料費ががかかっているのがこの<牛乳を注ぐ女>なのです。
ウルトラマリンの大量使用がこの作品の値を上げている一因であることは、間違いないでしょう。


4.2014年の11億円

現在、上野の国立西洋美術館には、このフェルメール(に帰属される)作品<聖女プラクセデス>があります。

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忽然と現れた20世紀半ばまでの来歴は不明です。
1943年にニューヨークで所在が確認され、別の資産家を経て、1987年にジョンソン・エンド・ジョンソン設立者の未亡人のバーバラ・ピアセッカ・ジョンソンの財団によって購入されました。
そしてこの未亡人の没後、2014年7月、クリスティーズのオークションに出品された折、この作品<聖女プラクセデス>は約11億円で落札されました。

落札者は日本人だそうです。
2015年より、この作品は「個人蔵」のまま、国立西洋美術館に寄託という形で常設展示され、今に至っています。


もちろん、1696年にどの作品がいくらで売れたのか、
2014年にどの作品がいくらで売れたのか、
フェルメール本人は、知る由もありません。



最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。


(注1)John Micheal Montias, "Vermeer and His Milieu: A Web of Social History", Princeton U.P., Princeton, New Jersey, 1989, pp.363-364.

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