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同和教育とは(1) 部落問題学習(1)

あらためて「同和教育」とは何であるかを問い直してみたい。

同和教育が人権教育へと転換した背景としては、1995年からの「人権教育のための国連10年」が契機となって毎外の人権教育の学習内容や学習方法が広く紹介されることとなり、さらに「人権教育・啓発推進法」(2000)および「人権教育・啓発に関する基本計画」(2002)が制定されたことが大きい。だが、最も大きな契機は1969年以来施行されてきた「特別措置法」の廃止(2002)である。
「同和教育から人権教育への移行」に関しては、様々な立場から識者による分析と考察が行われてきているので、ここでは触れないが、黒田みどり氏の一文は示しておきたい。

「人権」という看板への移行は、部落問題が他の人権問題との関わりの中で考えるという“開かれた”視野を持とうとするに到ったことを意味しており、そのこと自体は重要なことである。しかし、同時にそれが部落問題の“人権一般”への解消として、かねてから部落問題を避けて通りたいと思ってきた人びとが部落問題と向き合うことを回避する正当化のための方便になるとしたら、そこには重大な問題が孕まれている。

(黒川みどり『近代部落史』)

黒川氏の危惧は、残念ながら現実のものとなったと言わざるを得ない。多くの学校現場では部落問題学習に替えてハンセン病問題、障がい者問題、ジェンダー問題などの人権学習を行うようになり、いつしか部落問題を学ぶことなく大人になる世代が増えている。だが、現実には部落差別は残存し続けている。

1960~1990年代、さまざまな問題を抱えながらも「同和教育」は全国の学校園において推進されてきた。その中核は部落問題学習であり、それを部落史学習が支え、仲間づくりの実践が豊かな人間関係を目指し、自らの差別意識と向き合うために道徳の授業が部落問題を教材に展開された。その確かな歩みを目にしてきた者の一人として、果たして同和教育の実践は人権教育に活かされているのだろうかと疑問をもつ。

門外漢を標榜しながら「同和教育」を目の敵のように批判する人間がいる。随分昔の資料を持ち出し、しかも「差別事象」のみを取り上げて、自説の正当性をアピールする「手段」として使う。自説に反する理論に基づいて同和教育の実践が行われていたから「差別事象」が生じたと結論づけて批判する。自分に都合のよい「出来事」を取り上げて、その一部のことを全体にまで拡大させて責任を問う手法は欺瞞でしかない。

確かに、一時期の部落史学習で行われていた「近世政治起源説」の拡大解釈と「貧農史観」の延長から極端な例示によってマイナスイメージを増幅・拡散した責任は大きい。また、強引な仲間づくり、共感的な同一化を図る手法、教師による作為的な誘導など形式的な部落問題学習も偏向教育に陥っていた感がある。特に、国や自治体、教育委員会から強制的に命じられた研修や授業を意に反する「義務」「責務」と感じるがゆえに、その反発として形式的に済ましていた教師の責任も大きい。マニュアルとパターンの教材と授業、借りてきたような指導案、運動団体や同和地区の顔色を窺う指導に終始していた。

教師の本務から重心が逸れていくことに虚しさを感じたり、やる気を失ったりして教職を去る者も多かった。人びとを守るべき法律が、いつしか人びとを縛るようになり、法を盾に大義名分を押しつけてくる学校外の圧力に屈していく屈辱もあった。そんな実態を見ながら、それでも目の前の生徒たちを思い、「被差別の現実」に憤りを覚え、差別解消に尽力しようとする教師も多くいた。

一部の事象や特定の資料を殊更に取り出して、知ったような口ぶりで、鬼の首でも獲ったかのように「同和教育」すべてを断罪する人間がいる。自説の正しさの証拠として、そうした一部の教師を槍玉に挙げ、「同和教育」に携わった教師がすべてそうであるかのように「教師」そのものを批判する。


ここに2冊の本がある。徳島県板野郡板野中学校の同和教育実践記録集『峠を越えて』と、「全体学習」という実践を創り上げた同校の教諭であった森口健司氏の同和教育実践集『よろこび 第3号』である。
第46回全国同和教育研究協議会(1994)が徳島県で開催された。その「特別報告」で実践発表を行ったのが森口健司氏であった。その時に、長い行列の先で買い求めたのが『峠を越えて』であった。
ホテルに帰り、一睡もせずに読み耽ったことは今も鮮明に覚えている。あれから幾度読み返したことだろう。心が折れそうになったとき、つまずきそうになったとき、必ず読み返して、その都度に自分を振り返り、そして顔を上げて前を向く勇気をもらってきた。

何色かのマーカーやアンダーライン、そして付箋と書き込みでいっぱいになった、これらの本を10数年ぶりに開いている。

それは差別意識を植えつけられてきた私たち教師が、同和教育への研究も研修も不十分なままで教壇に立ち、自分の学級だけでその表面的な価値観を押しつけてきた授業であり、自らの差別意識をごまかした教師が「差別はいけません」と言い聞かせやお説教をしてきた授業であった。また、その授業の大半は、部落差別の現実が示された資料を読んで、感想を言わせるだけの授業であり、決まり切ったことしか語れない状況でしらけきった生徒たちに、感想を書かせて終わっていた。そこには自らの内面にある差別意識をごまかして、教師に評価される内容をひたすら書き続けた生徒の姿があった。

森口健司『よろこび 第3号』

こうした同和教育、部落問題学習が広く行われていた事実を私も知っている。しかし、反面で真剣に部落差別を解消するための実践を求めていた多くの教師も知っている。自分の授業や部落問題学習について苦悩し、どうすれば生徒に伝えられるだろうか、差別に立ち向かう生徒を育てられるだろうかと真摯に向き合っている教師を多く見てきた。

森口健司氏は、このような授業を「密室の同和教育」と批判し、その打開策として<全体学習>を生み出した。この2冊に集録された授業記録は、彼を中心に板野中学校の教師が実践している<全体学習>の「記録」である。授業での教師と生徒の発言をテープに起こした「記録」は、まさに本音と本心が語られた部落差別の核心、差別意識を洗い流していく授業であり、授業に臨む教師が自分自身をさらけ出した「主題設定の理由」は一人の人間としての自分を見つめ直す「思い」である。

生徒と教師が共に一人の人間として部落問題と正面からぶつかり合い、語り合うことができなければ、表面的な希薄な学習になってしまう。
教師が自らを語らず生徒だけに強要することは、逆に差別を再生産することにつながるのではないか。

同上

同和教育について一面的な批判の愚かさは、教育を「人間関係の営み」と捉えられず、単に「知識の伝達」としか認識できないからである。教師も多様である。部落史に関する「知識」が不十分であっても、生徒に寄り添い、本心で部落差別への怒りと解消への願いを生徒に問いかけることで、生徒の心に「反差別」「反部落差別」の思いを灯した教師を幾人も私は見てきた。


私は部落史学習に関して正しい知識と認識が重要であると言明しているが、部落問題学習と<両輪>でなければならないと常に思っている。史実を正しく分析し考察した部落史像を提示すること、つまり歴史の中で被差別民(賤民)の果たしてきた役割と成果(貢献)、差別の歴史的背景、差別に抗してきた被差別民の姿を明らかにして伝えることが部落史学習の目的であると考えている。
だが、それだけでは不十分である。知識だけに終わってしまう。部落差別とは何か、なぜ部落に対する差別があり続けているのか、差別意識とは何か、差別のない社会や差別を克服した人間関係を構築するためにはどうすればよいのか、自らの生き方やあり方を考えていく、そのような部落問題学習が必要である。それゆえに<両輪>なのである。

いくら部落史が見直されようとも、それは「知識の改変」でしかない。人間の意識や感情はそれほどに単純なものではない。従来の「知識」がまちがっていて、新しく正しい「知識」が与えられても、人はそれを「知識」として認識しても、果たして自らの生き方やあり方にまで受け入れて、部落を差別することを改めるだろうか。同情や融和で終わるのではないだろうか。「他人事」としては受容しても、「自分事」とは認識しないだろう。

だからこそ、自らの差別意識を洗い流すことが必要なのだ。「自分事」として受容し、自らの生き方やあり方を問い直していく営みが必要なのである。それが部落問題学習である。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。