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時分の花を咲かそう

このタイトルは,私が最初に作成したHPの名前であり、講演の演題に使ってきたもので、愛着がある。
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私は「自己実現の行路」について、世阿弥が『風姿花伝』で述べている「時分の花」と「真の花」の概念を援用して考えている。私の考えは、世阿弥の考えとは異なるかもしれないが…。

されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり

世阿弥はこの二つの概念について、「真の花」が本物で「時分の花」は偽物だとか、「真の花」が高級で「時分の花」は低級だとか、そんな事は一言も言っていない。ただ「時分の花」はやがて失われると言っているだけである。そして「時分の花」が失われた時、「真の花」を手に入れていない者の能は下がる、「真の花」を手に入れた者の能は下がらない。そう言っているだけである。

私は、人間が成長していく過程において、その時々の「時分の花」を咲かす。成長とともに「時分の花」は枯れ、新しい「時分の花」が咲く。その繰り返しの中で、やがて枯れることのない「真の花」を咲かすことができる。そのためには、その時々の「時分の花」を精一杯の努力によって咲かさなければいけない、と自己解釈している。

「時分の花」を咲かすためには、誠実さと素直さ、謙虚さが必要である。
独善的な傲慢さや偏狭な意固地さは、歪んだ花を咲かす。他者との深い交流によって培われるのであって、他者との交わりを拒んだり他者に対する一方的な批判ばかりでは自分を客観視することも自己変革することもできない。偏向的な自己実現しかできないだろう。
また、深遠な真理や膨大な知識が溢れている偉人たちの著書であっても、独断的な解釈からは真の理解は生まれないだろう。
知識は人を生かすためであって、人を殺すための道具ではない。

部落史や部落問題、ハンセン病問題について、私の専門と言えるほどのものではなく、ただ興味関心と問題意識から長年取り組んできただけである。しかし、知識やものの見方・考え方を学ぶだけでなく、人間としての生き方やあり方、社会のあるべき姿などについて多くを学ぶことができた。
私の人生にとって、「真の花」への歩みを支え、「時分の花」の養分となってくれた。
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【 私のスタンス 】について書いておく。

人にはそれぞれの思いや考えがあり,それに基づいたスタンスがあって然るべきと考えている。例えば、公的ではなく個人のblogやnoteである以上,内容も運営も個人の自由である。

その人がそのように考え,判断し,自らの意図を最も的確に表明するために,その語句や表現方法を選び,記事として書いているのだと思っている。
その人の意見に賛同するかどうか,その人と関係性を構築していくかどうか,それもまた各人の判断である。

その人がその人なりに研究し考察した上で構築した自説を展開しているのであって,その考えや主張,研究成果等に対して賛同するか否かについても各人の判断である。
批判や論争の前提条件は相互の認容であり,互いの研究や考察の進展を目的とするものであると考えている。

無責任な記述は厳に慎み,事実に反する内容や不確な内容を推測や憶測,独断と偏見で書くべきではないと,私は思っている。

これが私のスタンスである。

私が人権問題,その中核として部落問題に関わる理由は,一人の人間として,また教師として,現実社会をよりよい社会へと変革したいと願っているからである。人権尊重の対極にある差別問題の解決をはかることで共生社会の実現を目指していくことが私のスタンスである。
被差別の立場であろうがなかろうが,私はこだわってはいない。人間としての立場で考え,実践していきたい。ただし,差別の相関関係を考えていく視点として被差別の立場を大切にしている。

部落史に関する研究も差別の歴史的背景を明らかにすることが,今ある差別の解明と解決に必要であると考えるからだ。

部落史研究も進展し,新しい研究成果や史資料の発表もあり,それらを生かした学習指導を考えていかなければいけないと思っている。江戸時代の被差別民についても,従来の身分制度のような画一的なとらえ方はできないと思っている。多様な姿を描く必要があるし,差別についても実態に即応した認識が考察されるべきである。現時点での研究成果を整理した部落史学習の体系化を考えたい。

私のnoteを訪問される方へ

時の流れの中にあって,私は自分のスタンスを見失いたくはない。誰のためでもなく自分のために,自らの信念を堅持していきたいと考えています。

私のnoteや記事に対する質問や意見などありましたら,コメントあるいはメールをいただければ対応させていただきます。

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私の部落問題との出会い(原点)と、再び部落史・部落問題の研究にもどってきたことについて書いた一文である。

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今まで書きためてHPやblogに公開してきた「記事」を今年からnoteに移行させている。
随分昔に書いたものや最近書いたものまで混在しているが、自分の「記憶」としても残しておきたいので、重複している内容や文章も多いかもしれないし、逆に時代錯誤や誤謬の内容もあるかもしれない。
部落問題もハンセン病問題も、一時期に比べて時代の流れに埋もれ始めている気もする。しかし、決して終わってはいないし、まして風化させてはいけないと思っている。
その意味において、私の拙い「記事」が、少しでも誰かの、僅かでも何かの役に立つことができれば幸いと思い、ここに残しておこうと考えている。
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私の「記事」は、次の「マガジン」に分類している。



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自己紹介

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。