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[パッセンジャー 感想 93/100]

私はまだ20数年ほどしか人生を全うしていない。いや、それどころか人よりも正しく20数年を全うしている自信がない。

一日をyoutubeのみに捧げてきた日が幾度となくある。会社や、大して仲良くない地元の知り合いとの生産性のない飲み会を未だに断れない。

それでも20数年を曲がりなりに生き抜いてきたつもりだ。

今作を鑑賞した後、そんな自分の人生が文明規模、宇宙規模で考えたときに如何にまだまだであるかということを思い知らされた。

というのも、今作は、まるでひとつの文明が盛衰して行く様を見ているような気分に観るものをさせるからである。

作中の登場人物が片手で数える程度しかおらず、話の8割はそのうちの2人で進行していくにも関わらずだ。

それは、2000年以上かけて築き上げた文明をもってしても未だに謎が多く残された宇宙の神秘性と、そんな宇宙空間でこの先90年一人で生きていかなくてはならなくなったジムの境遇に対して感じる絶望感と第三者として見ているからこそ感じてしまうワクワク感、それら全てに対しての我々人類に元来備えつけられた好奇心がそう思わせているのではないだろうか。

好奇心。

主人公のジムは自らの手で文明を作りたいという好奇心にしたがって宇宙へ発った。

もう一人の主役オーロラにしてみても、彼女がいる環境と交遊関係を捨ててでも、宇宙へと発ち、その体験を未来の人類へ直接届けたいという好奇心に従っていた。


この二人の姿勢こそ、偉大な文明を築き上げてきた人類のあるべき姿なのではないかと私は思う。


先述したが、好奇心とは元来人類に平等に備え付けられた先天的な能力だと私は思う。

それを、理性や、協調性、合理性、周囲との不和等、後天的な様々な要素が成長するにつれ備わってきて、好奇心を抑制するブレーキとなるのではないだろうか。

それらのブレーキを破壊し、好奇心に従った者にしか手に入れることのできないものがきっとあるはずだ。

それはジムとオーロラが教えてくれた。

人の好奇心は何人たりとも妨げてはならないものなのだ。

そしてそれを忘れずに持ち続けたものにしか訪れないなにかがきっとあるはずなのだ。

この映画はそんなことを教えてくれた。素晴らしい作品であった。


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