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『漁港の肉子ちゃん』/西加奈子

私にはもう10年近くずっと仲良くしてくれているファビラスなお姉さんがいるんですけど、その人が先週贈ってくれた本を読んだ感想文を書きます。

私がマジでマジでマジで世界に押しつぶされてた時とか、本当に死んでた時とか、何もできないって泣きわめいてた時とか、いつもものすごいタイミングで連絡をくれて、

エンデちゃんは感受性が豊かなだけだからそれでいいんだよとか、そうだよね疲れるよねとか、羨ましくさえ思うよとか、そういうことを素直にいっぱい言ってくれて、

そのお姉さんもお姉さんでいっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい遊んで、いっぱい苦しんで、そしてそういうのを全部隠すけど、どこか隠しきれてなくて、だからこそ私は大好きで、

年に一回会えばいいほうだけど、ずっと仲良くしてくれてるのはありがたいなあという、自慢になってしまったけど、とにかくそんなファビュラスなお姉さんに薦めてもらった小説の感想文です。



まず、西加奈子さんにめちゃくちゃ謝らなくてはいけない。

一年前までは、西さんのお名前をネットや書店で目にしても「若い作家なんて大したことないでしょ」とほんとうに勝手なことを思っていた。
私の方がよっぽど若くて未熟なのに、申し訳なさすぎる。砂漠に穴掘って埋まりたい。うそ。都会でカルピスソーダ飲んでたい。

2018という表記にも慣れ、もうすぐ桜も見頃かな、と世間が浮き足立ってきた、去年のいまごろ。
自由が丘の本屋で地下の空気を吸いながら、平積みにされた西さんの本を手に取って、食い入るように3ページ読んだ。

続きを読みたくて読みたくて、買わなければ、と思ったけれど、こわくて買えなかった。
読んで自分の中の自意識と対峙させられるのがこわいのもあったし、おこがましくも嫉妬してしまう自分も見えて、焦りを感じて、逃げた。


ちょうど一昨日、私ははじめて長編の小説を書き終えた。

日頃から書き溜めたメモをつぎはぎしただけでとても読みづらい、ただの自分の話だけど、書くことで、Wordファイルに収めることで、私の人生もエンタメになればいいと、そう願いながら、正方形さんアプリで切り取った写真をインスタに投稿するかのように、書き付けた。

そして、書き終えてすぐ、西さんの『漁港の肉子ちゃん』を手に取った。

前述の通り、ファビュ姉さんから贈られた本。
その人(肉子ちゃんとキクりんとマリアちゃんとみゆをみんな合わせたような人)から本を薦めてもらったのは、意外にも初めてだった。


内容については、うまくまとめられないけれど、
「見た目が可愛いと言われ」「シンプルな服を好み」「物や動物の声を聞きつつ」「世界に遠慮し生きる」小五のキクりん
と、
その母である「人を疑うことを知らなくて」「ちょっと頭の足りない」「まるまる太った」「二重あごの」肉子ちゃん
を、とりまく世界……とでも言えばいいのかな。

読み始めてすぐに、私の中の奥の奥の奥、横隔膜は悲鳴をあげ、肺は潰れ、気管支は縮こまり、涙腺はショートした。

キクりんが、肉子ちゃんが、みゆが、出てくるみんなが、作者が、心底羨ましかった。
どうして、紙の中の女の子にはいつも、助けてくれる大人がいるの?どうして私には、親身になって話を聞いてくれる大人が、毎晩肺を潰して泣く私に気づく大人が、いなかったの?と、苦しくなった。
私も紙の中でだけ踊っていたい。


『二重あご。』など、そこだけ切り取ればめちゃくちゃ笑える箇所はとても多い。のに。なのに、なぜだか顔を歪め、呼吸を荒くしないと読めなくて、苦しかったけど、どんどん読みたくて、読み終わるのが寂しくて、

「ああこんなにも平易な文で内臓を掻き回すことができるなんて、私が知らないだけでとんでもない人がこの世にはまだまだいるものだ」

と感じ、一方で本当におこがましいけれど、とてつもなく嫉妬した。

キクりんと同じように、加害者になりたくなくて、いつも先回りして傍観者であり被害者である自分の状況をつくる私を、私も今回の長編で描き出したから、余計に私の額のシワは暴れた。




まだまだファンと名乗れるほどではないけれど、他の作品もこれから少しずつ読もうと思う。


私も西さんに少しでも近づけるように、すべての物書きが嫉妬に悶えてしまうような作品を産みだし、それを続けられるように、精進します。

「小説を書くなら主人公はエンデかな」って、小説なんて一生書かなさそうな友人にそう言ってもらえる私に、なりたい。



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