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共通言語をなくしても

カオリ(仮名)の話をしよう。
余談だけど仮名ってどんな名前にすればいいかいつもめっちゃ悩んじゃうから今後は基本的にカオリで統一しようと思う。星新一でいうところの「N氏」だと思ってもらえれば。


カオリと出会ったのは私が小学校4年生の終わり頃だった。
一つ年下のカオリはお父さんの転勤をきっかけに東京に引っ越してきた。
とはいっても学校が同じだったわけではなく、習い事で私たちは出会った。

習い事とはいってもなかなかにエクスクルーシブでハイソサイエティでソフィスティケイティッドな(横文字読みづらいな)(けど日本語にはなおさない)(かぶれ)場だったので私たちは週8で顔を合わせていた。

カオリは器用だったしセンスがあったし顔も可愛かったし、でもちょっとガサツなところがあって、それが私だけでなくみんなの目を引いた。
同年代だけでなくお姉さんたちも先生たちも、みんなカオリをちやほやした。

私は器用でもセンス抜群でもなかったけどただちょっとだけ良いものを持っていて真面目で繊細だった(自分で書くと恥ずかしいな)(でも事実だから)からカオリや他の才能とやる気に満ちた同年代の子たちと毎日毎日一緒に練習をした。

みんなカオリが好きだったはずで、だからペアで何かする時はいつもみんなカオリとやりたがったんだけど、気がついたらカオリのペアは私で固まっていた。
ただ背格好が似ていて諸々やりやすかったっていうのもあるけど、カオリにいつも選ばれる自分が、その時すでに誇らしかった。

いつもいつも注目の的のカオリと、いつもいつも目立たない私が、いつもいつもペアでいる。

みんな不思議に思っていたと思うし、私もそう思っていたし、私が一方的に金魚のフンしてるだけにも思えていて時々ちょっとしんどかった。
いつもペアでいても結局はカオリの方が何もかも優位だったから。
なんでも楽々こなす、誰とでも楽しく話す、自由に振る舞う。
そんなカオリが羨ましくて、真似したくて、できなくて、嫉妬して、大好きだった

携帯禁止、眉毛整えるの禁止、いつもジャージか制服、半ズボン禁止、男女交際禁止、などなどというまあまあ鎖国された環境にいたけど、いや、だからか、内輪の結束はまるで宗教のように私たちの中に巣くった。

カオリとiモードメールやスカイメール(懐かしすぎ)(携帯禁止だったのにね)(みんな隠れて持ってたからね)をし、何ヶ月かに一度しかない練習がお昼すぎに終わる日には、吉祥寺でプリクラをとり、お揃いの筆箱やキーホルダーを買い、シェーキーズかマックでおしゃべりをした。ときどきポケモンもした(通信ケーブルとか懐かしすぎる)。

カオリと出会うまでは遊ぶことも食べることも全く興味のなかった私だけど、カオリといるようになって少しずつ外界が見えてきて、遊ぶって、食べるって、外に出るって、こんなに呼吸が楽になるんだ、と知った。

カオリといると、生きることを取り戻せる気がして、楽しかった。
カオリがどんな気持ちで何を考えて私と遊んでくれてるのか全然わからなかたけど、カオリも私といていつも楽しそうだったし、これで良いじゃんって思ってた。

周りのお友達からは
「なんでいつもカオリに振り回されてるのに一緒にいるの」
と言われたりもしたけど、振り回されているという感覚はなかったし、嫌なときは(あんまりなかったけど)私もちゃんと泣いたりしてた。

「エンデは頭いいから一緒にいて楽だよ」
とカオリが言ってくれて、カオリのお母さんも
「漫画しか読まなかったカオリがエンデちゃんに影響されて本を読んでたの!ありがとう!」
って言ってくれて、私の母親は
「カオリとあんまり遊ぶな」
と言ったけれど、どっちが私のことを認めてくれているかと言ったらそんなの自明にもほどがあるので、私はカオリと遊び続けた(遊びに出かけられたのは年に数回だけど)。


カオリがいなかったらまともに振る舞えないしどこへも行けないな
いつも止まってばかりの私をどこかへ連れてってくれるカオリのこと、好きだな
カオリにはいつまでも私のそばにいてほしいな、どこにも行かないでほしいな
私以外の人と話さないで、ペアを組まないで、他の子のことを見ないで

いつしかナチュラルにそう思うようになっていた。


中学に上がったくらいから、その感情はさらに強く強く、汚いものになっていった。
表面上は変わらなく見えていても、私のカオリに対する執着はどんどん膨れ上がった。

私に1年遅れて同じ中学に入ってきたカオリは、元の仲間とも学校の友達ともお姉さんたちとも、やっぱりみんなとうまくやっていて、また私との差を見せつけられた気がした。

どこにいても何にも馴染めなくていつも漂いさまよってる私だったから(今でもか)、中高のお姉さんたちも先生も、私とカオリの仲がいいなんて信じられなさそうだったし、確かに学校ではあんまり話したりもしなかった。

単に学年が違うというだけではなく、学校というくくりの中では私に関わりたくないんだろうなと感じていた。
それはカオリに限ったことではなく、同じ学年の仲間も普通の同級生も、私にあんまり話しかけたりしてこなかったし。

それでも習い事の場ではなんだかんだずっと近くにいたし、たまに午後の時間が空くと遊びに行ったし(中学くらいになると渋谷にも行くようになった)、相変わらず
「エンデといると楽だな、エンデはいいね」
って言ってくれて、認められている気がして、私は本当にカオリが好きだった。

そう、過去形。

私がその学校内で進学しなかったから高校から別になって、カオリも彼女が高一の時に習い事をやめて、それでもハタチくらいまでは定期的に会って遊んで過去や人生についてああでもないこうでもないって言ってときどき人の悪口も言って、変わらず過ごしていたつもりだった。
普通の、どこにでもいる、昔からの知り合いの、大学生同士の友達、だった。

私はいつまでもああいう関係が続くと思っていたけど、知らないうちにそれは終わった。


カオリが就活をしだした頃から(私は2年フラフラしてから大学に入ったので社会に放たれるのがカオリよりも1年遅れている)、LINEも素っ気なくなりSNSでもリプ飛ばしてこなくなり他の子とばっかり遊ぶのを見かけるようになった。

つらかった。
何をしたってわけでもないと思うのに、避けられている気がした。
ツイッターのサブ垢作って私のことフォローしたくせにフォロー許可はしないの意味わかんねえ!とか思ったり、カオリがずっと引きずってた初めての彼氏の話もしてくれなくなったり、どっちが先に結婚するかなーって話して友人代表スピーチとか緊張してやばいね!とか言ってたのになって悲しくなったり、それでもずっとずっと気になっちゃうくらいに、私はカオリが好きで、でもカオリにはもう私が見えていないように感じた。

私の中に君はたくさんいるのに、君の中に私はもういないんだね

なんて手帳にもツイッターにもLINEのタイムラインにも書いた(しつこいな)。


思えばその頃から少しずつ、今後の私たちの生活が重ならなくなる未来が見えていた気がする。
カオリもそれを感じとっていたのかもしれないし、ただ就活でストレスが溜まっていて、昔カオリに教わった通りのびのびと生きている(ように見える)私が羨ましく思えてイライラしていたのかも、しれない。
何にもわからないけど。

自由で奔放で、それでいて誰からも好かれる、そんなカオリが、そんなカオリに振り回される自分が、振り回すカオリに付き合う自分が、好きだったのかもしれない。
そう懐疑的に考えてもみたけど、やっぱり純粋にカオリといるのは楽しかったと思う。

初めて子供だけでどこかに出かけて、買い物をして、長電話をして、初潮を迎えたことを親より誰より先に報告して、秘密の合言葉を作って、隠れてお菓子を食べて、いろんなことを私はカオリと共に経験した。

カオリの経験は私の経験だったし、私の経験もカオリの経験だと思っていた。
私の友達はみんなカオリを知っていたし、カオリの友達もほとんどみんな私を認識していた。
私といえばカオリ、カオリといえば私。だった。
今の私たちの間には何があるんだろう、もう思い出も共通の言語も何もない気がする。

今となっては私も自分で自分の人生を奔放に生きられるようになったから、もうあの頃のカオリは必要ないし、今カオリとまた近い関係になっても生活も考え方も何もかも合わなくなっているのかもしれないんだけど。
やっぱりちょっと、いや結構、懐かしいし、さみしい。


これまでもカオリについては何度か書いたけど、また書きたくなっちゃったから。
カオリについての過去記事は恥ずかしいからリンク貼らないけど、暇で興味があってどうしても読みたいという私のことが好きな人はがんばって探して読んで♡をつけてください。

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