見出し画像

Guitar1003

"Affirmation"に向き合ってみようシリーズの途中なんだけど、また寄り道でThe Beatlesの"Across the universe"を歌うことにした。(前回の"The lover after me"で浮かんでしまった。)

私はUKロックやバンドは好きなんだけど、実はビートルズはあんまり聴いたことがない。それがQueenを歌う前に、あまり知らないビートルズの、歌詞も把握していないレベルの曲を歌うことになるとは(個人の嗜好とは別に、やっぱりレジェンドだから非常によくかかるーサウンドを全く意識しないで歌詞が耳に入るレベルまで回数を聴いている曲は歌詞把握までしている。HelpとかLet it be、ソロではImagineとかYesterdayとかかな)、、
加えて、これもまたおかしな話なんだけど、前にタイトルがそれそのものの"Universe"(Savage Garden)を歌って、その後斜め発想で浮かんだ曲達を連続で歌っていた飛び火シリーズの時には出てこなかった曲なんだよね、"Across the Universe"。今回は"Am I all alone in the universe?"という歌詞のところから出てきたんだと思う。そういえばこの曲にもSavage Garden"Universe"にも"caress"という語が共通して出ている。ダレンもこの曲を意識していたんだろうか?

私はやっぱり自分の準備ができている段階で、自分で一歩踏み出そうとするきっかけが無いと、何かに深く関わるようになることが無いのだろう。くるりもCoccoフジファブリックもそうだった。周りにプッシュしている人がいたり、個人的におすすめされたりしてもみんな、はじめの段階ではスルーしていた。考えてみれば近代純文学も同じだな。それが、時が来て、自ら手に取った後は全然別物の、特別なものになる。
Savage Gardenは、最初から自分で掴みにいった。そこまでプッシュはされていなかったけど、ヒットしていた"I want you"のPVを観て、ダレンを何て美しい人なんだろうと思ってアルバムを買った(私は自分がある程度の面喰いであることも自覚している。。でも最近思うのは、やっぱり顔って造形だけでなくその人の人となりが現れるということなんだよね。)そしていざかけてみたらものすごくツボで、ヒットしていたシングルカット曲以外を特に好んで繰り返し聴き続けていた。当時はその理由もよくわからないまま。

The Beatlesといえば洋楽好きの王道中の王道だろう。私の好きなアーティストも多くが愛し影響を受けているしカバーをしていることもある。しかし私にいまいちフックがかからなかったのは、(知っている曲が限られるから実際は違うこところがあるかもしれないけど)歌詞の抽象度や余白がそこまで高くない部分があるからなのかな、と思っている。
私は日常や特に直球のラブソングでない曲を好む傾向がある。多様な解釈が可能でこれはどういうことなのかな、と考えさせられるような詩が好きだ。はじめから答えなど求めていないし、わからなくても、その謎やもやもやを抱えながら、たとえ作り手の意図とは違ってずれてしまったとしても自分の中に落として育てていけるようなもの。

"Across the universe"、はじめて歌詞を読んだけど、良かった。だから全部歌うことにした。
んだけど、動画を確認したらなんとかバージョンみたいなのがたくさん出てきてしまって、オリジナルバージョンがよくわからなかった。。まあ少し調べればすぐわかることなんだろうけど、その日の気分で突然歌う曲を決める野鳥に出かけて実際歌うまでの時間は無い。仕方ないので、オリジナル版ではなく、以前聴いて良いと思ったことのあるRufus Wainwrightのカバーを参考にすることにした。

うーんやっぱりいきなりだと口が回らないね。"Jai guru deva"が来ると安心している感がありあり。サビは音域が低く伸ばす部分が多くてきついんだけど。
でも聞き返すと、高いところから低いところに下がる時より、(はじめが低すぎると出ないけど)低いところから高いところへ上がるほうが楽なのかな、という感じがする。あと、最近(ある程度低くても何故か歌いやすい)ダレンの曲でリハビリしながら微妙な音域のものを多く歌っているから、以前よりは低い部分も少しずつ出るようになってきている。
Coccoの「鳥の歌」の時もそうだったんだけど、未知の言語?を発音が定着する段階まで聞き込まずに読み上げて歌っている時は発音がずれる。。今回は"Jai"が違う。やっぱり私の脳は認知や記憶の優先度が「ことば<メロディー」なんだろう。鳥頭だからそんなに一気にたくさんのことを覚えきれないよ、、悲しい。。でも、(音楽と一緒の時の)ことばの認識や記憶に文字のサポートが有効っぽいというのがわかってきたのは良かったのかも。わかっていても振り仮名はふらないんだけど。

The Beatlesには特別な思い入れがある方が多そうだから野鳥版は無し(あんまり知らないで触れるのに気が引ける、、し、訳も多く出回っている)。
ただ、"Nothing's gonna change my world"に関して。これは直訳すると「何者・何事も僕の世界を変えることはない、何によっても自分の世界は変えられることがない」といった意味合いになって、おそらく一般的には「自分は自分の世界を侵されないぞ」という意志や決意、あるいはその保証の確信、その裏にある自己肯定や自信、といった意味合いで受け止められているのではないかと思う。
しかし、これも「作者の死」なんだろうけど私にとってこの部分は違って、「自分を含む何者、何事によっても、自分の背負ったものを変えられることはない」と聞こえてくる。そして今回参考にしたRufus Wainwrightのカバーを聴いた時にも、「この人ももしかしたら、、」と思ったのだ。彼の"Across the universe"は物憂げで、背後に絶望と諦めが透けて見えるような気がして、私には特に響いた。

"Across the universe"といえば、もうずいぶん昔の話になってしまったし、記憶も薄れソースも不確かになってしまったんだけど、フジファブリックの志村さんは、クリスマスの日に部屋を真っ暗にして独りで"Across the universe"を聴いているという話があった気がする(志村さんがクリスマスイブイブの日に亡くなってしまった時、「何でこんな時に」と思ったのと、暗い部屋で独りこの曲をヘッドフォンで聴いている志村さんの姿が浮かんだ記憶があるから、おそらく無いことではないと思うんだけど、、)。
志村さんは"Nothing's gonna change my world"をどんな風に受け止めていたのだろう?
実際確かに(身近な人にもファンなど多くの人にも)愛されていたのに、曲の中では「僕は一人だ(Anthem)」、「独りで行くと決めたのだろう(浮雲)」と、闇の世界と共に「一人、独り」を歌っていた、そしてあまりにも早く亡くなってしまった、唯一無二の人。

ダレン"The lover after me"で"Am I all alone in the universe?"と自問し"There's no love on these streets"と愛を探そうとしていた。
私は違う。私にとっては"Am I all alone in the universe?"は問うても仕方ないものであり、"I am all alone in the universe."が自明なのだから、そこから先の"So, what or how can I do?"が考えるべき問いである。そして、制限や実現性を考慮しながら自分が取りうる少しでもbetterな方策を模索してきた。それは全盲で生まれた方が、視覚の代わりにあらゆる感覚を駆使して生き、私にはとても知覚できない細かな点字、意識していない情報等をフル活用しているのと同じようなもの。たとえバリアがあっても、バリアを越える方策が選択可能であれば、バリアはバリアでなくなったり、その程度を下げたりしていくことができる。
しかし、それも過去のこと。

そろそろ金木犀も香り出すかな。ずいぶん時間がかかってしまっている。スピードを上げていかなくてはいけない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?