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 5章-(1) 6月・花便り

1学期用にとママが香織にもたせたハガキが15枚、本棚の片隅に積み重ねてある。それが目に入るたびに香織は気が重くなる。まだ3枚しか送って いなかった。大阪の住所は長くて覚えにくくて、香織が間違えると届かないからと、ママはご丁寧にワープロで表書きまで印刷してくれてあった。

富江おばあちゃんが、ママのことをこう言ったことがある。

「香織は、ママが世話を焼きすぎだと思ってるでしょ。ママはね、罪滅ぼししてるの、香織を未熟児で産んで、身体も気も弱い子にしてしまったのは、自分のせいだと思ってるからね。私は香織が20歳になった時、普通に元気で笑ってる子でいたら、それでいいのよ、と言ったのだけどね」

ママは三人目の子ができたとわかった時、上役からスチュワーデスより地上勤務にした方がいいのでは、と勧められたが、機内でのお客相手の仕事が 好きで、評判もよかったママは、大丈夫です、と元の勤務を続けた。順調に育っていたはずだったのに、乗ってた飛行機が緊急着陸して、その時の客との対応や、緊張と気づかれが原因となって、ママは2ヶ月以上早い早産で 香織を産んだ。生まれて後も、黄だんが出たり、ミルクを吐瀉することも 多く、ママの身体も弱って、仕事は諦めたのだって。

香織は時々、おばあちゃんのその話を思い出す。それで、ママにそれは嫌だとか、こうしたいとか、私のことはほっといてなど、言えないでいる。

だから、ママとの約束のハガキを書けないでいるのが、気にかかる。あれもこれも書けない秘密ばかり抱えている気がする。

ある雨の降る夕方、香織はラウンジへ新聞を読みに立ち寄った。ラウンジの窓から見える中庭のあじさいは、ちらほらと花を広げ始めていた。

・・そうだ、花便りにしちゃお。

それいい、ハガキ一杯にあじさいの葉と花を描けば、言葉はほんの2,3行でもいい。それならできるわ。

新聞をざっと読み終えると、夕食の前に描き上げた。カラーペンと色鉛筆でハガキを埋めることができた。

「チーズを初めて食べました。ポールのホストマザーに、テストの時、差し入れをしてもらったの。元気です」

葉の一枚に小さな字で書きこんだ。これでママに責められないで済むわ、と香織は自分のアイデアに得意になった。

ところが、そのハガキがママに届かないうちに、その夜のうちにママから電話があったのだ。

「カオリ、編み針と編み物セットの箱は、どこに仕舞ったか、覚えていない? おじいちゃまの夏のカーディガンを編んで差し上げようと思って、糸を買ってきたのに、どうしても見つからないの。1号から15号までの編み針がたくさんあったでしょう?」

香織はドキッとして、どう答えようかと考えている間に、ママは流れるごとくしゃべり続けた。そしていつものように、香織の沈黙から察してしまった。

「まさか、あなたあれを全部寮へ持って行ったんじゃないでしょね。え?  そうだったのね。入れるとしたら、布団袋の中しかないわね。ほんとに 油断も隙もありゃしない。まさか編み物に熱中して、勉強はおるすじゃないでしょうね。全部荷造りして送り返してよね。5日もあれば、カーデガンは編めるから、明日には送り出してね。おじいちゃまの老人会の旅行に、まに合わせて差し上げたいの、いいわね」

ママの憤慨は止めどがなかった。週に一度のハガキは来ないし、編み物厳禁も破るなんて、踏んだり蹴ったりだ、と。

「はい、ごめんなさい、送ります」

香織は短く低い声で言って、首をすくめた。

「中間考査は終ったでしょう? 結果はどうだったの?」

「う・・まあまあ」

歯切れは悪い。結果はまだ出ていないけれど、3日間の集中勉強だけで、 あの落差を克服できたとはとても思えず、返事のしようがなかった。

「編み物なんか持ち込んで、よそ見してるからよ。期末は今から頑張るのよ。それはそうと、ポールとホストファミリーのお宅へは、お礼はしてますから、カオリが心配することはないのよ」

「ありがとう、ママ」

それだけは素直に言えた。ママは早口でしゃべり続けて、もう話すことがなくなったらしく、電話を切った。

香織はへやに戻るとすぐに、編み針など編み物用具をまとめた。当分編み物には取り組めそうもない。せっかく編んでも、若杉先生を怒らせ、香織も 千奈の靴下を知って、気落ちしてしまったし・・。でも、自分で買った編み糸の球はすべて残し、自分で描いたあじさいの下絵の製図は、残しておいた。ママに送ったって、ママには意味ないもの。しばらくは編めないとしても、いつか時間を見つけてやってみるわ。

中間考査の後、2日ほどたっぷり眠って、疲れを回復した頃から、香織はひそかに決心していた。

今度こそ、丸印をいっぱいつけたのを、若杉先生に見せに行こう。よく続いたね、とほめてもらえるよう、本気でやろう。靴下を受けてもらえるかどうかは、もう考えないことにしよう。精一杯やったことだけは見てもらおう。それがユキさんの〈なるべく気高く〉に、当たるのかどうかはわからない けれど。

   
     (画像は、蘭紗理かざり作)

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