研究不正指摘で「不利なエビデンスは隠す」という東京大学の学術倫理

仏教学の研究者である清水俊史さんは、「【ご報告】馬場紀寿「研究倫理上の問題に関する申入書」について」にて次のように書いています。

本案件が多くの方に共有され、よりよい仏教学の発展につながることを祈念いたします。

清水俊史 【ご報告】馬場紀寿「研究倫理上の問題に関する申入書」について

そこで説明されている案件にいたる係争は仏教学に留まらず、学術一般にかかわることであり、多くの方に共有される意義があると考えます。具体的には、東京大学東洋文化研究所教授である馬場紀寿先生が研究不正を正そうと意図していても、第三者からは馬場先生ご自身の学説を守るために不利なエビデンスは隠すと研究不正の指摘を利用していると解釈できることです。「仏教を科学する」をモットーに研究されてきた馬場先生にとって、この係争は科学とは正反対なものです。

社会活動家である東京大学名誉教授の上野千鶴子先生と同様、東京大学では、そして人文学では不利なエビデンスは隠すことが学術倫理として正しい、という事実にかかわっています。

そこでこの係争の雰囲気を伝えるために専門外の立場から理解したことをまとめました。私による意図せぬ誤解を含んで理解されるのを避けるために、興味を持たれた方は、最後に示す参考文献に挙げた資料を直接ご確認ください。

まず、係争の中でのできごとを時系列で示します。そして、係争の概要と発端、係争が起きている理由について説明します。

係争の時系列

2006年
3月 馬場紀寿先生 博士論文[馬場 06]により、東京大学より博士(文学)の学位を取得
2008年
3月 馬場紀寿先生 [馬場 06] に「ブッダゴーサという人物が思想家である」などの新たなアイデアを加えた学術書[馬場 08]刊行
2016年
3月 清水俊史さん 紀要論文[清水 16]を発表
2017年
4月 清水俊史さん「さる先生から自分に研究不正があるとの指摘を受けた」(と大蔵出版に報告。)([大蔵 21]による)
4月 大蔵出版 さる先生から清水俊史さんの著書([清水 21])の出版を取り止めるようにとの連絡を数度にわたり受けた。それを踏まえ、研究不正の指摘に対する第三者委員会を立ち上げ、複数の専門家に双方の資料を精査していただいたところ、全会一致で研究不正にはあたらないとの結論を得た([大蔵 21]による)
9月 佐々木閑先生 日本印度学仏教学会にて清水俊史さんへのハラスメントの現場に居合わせる([佐々木 22]による)
2021年
1月28日 大蔵出版 [清水 21]出版に際しての声明[大蔵 21]をウェブに公開
2月 清水俊史さん 学術書[清水 21]刊行
2022年
3月 佐々木閑先生 評論 [佐々木 22]を発表
2023年
3月 佐々木閑先生 評論 [佐々木 23]を発表
12月 清水俊史さん 新書[清水 23]刊行
2024年
2月1日 馬場紀寿先生 [馬場 24]を佛教大学仏教学会に送付、同時にウェブで公開
[清水 16]への2点の指摘 1つは馬場先生の翻訳を利用したことが言及されておらず、翻訳文の盗用。もう1つは馬場先生の研究成果を踏襲しているのに、新説のように見せている、説の盗用。
2月9日 清水俊史さん [清水 24a]をウェブで公開
「馬場先生の「翻訳の問題」の指摘、すなわち“訳文の類似性”ならびに“引用であることを明記していない”ことが「明らかに研究倫理に悖る」という指摘は、全くの事実無根で、一方的な主張」と反論
2月29日 清水俊史さん [清水 24b]をウェブで公開
馬場先生の請求が差し置かれたことの報告

係争について

1 学術書[清水 21]の出版差し止め請求と請求却下

[大蔵 21]によれば、2017年、刊行準備中の[清水 21]の出版を取り止めるよう出版社である大蔵出版に連絡があった。理由は研究不正で、内容は「申入書の内容や論点は、7年前に馬場先生が私に送り付けてきたものとほぼ同一」[清水 24a]とのことから[馬場 24]とほぼ同じ。この研究不正の指摘に対する第三者委員会は、複数の専門家による双方の資料の精査から、全会一致で研究不正にはあたらないとの結論に至り[大蔵 21]、[清水 21]は刊行された。

2 清水さんの紀要論文[清水 16]への「追補」の請求却下

2024年、[清水 16]は翻訳文のモザイク盗用と先行研究のデータと結論の盗用という研究倫理に反する部分を含むと馬場先生は主張し、掲載誌の出版者である佛教大学仏教学会に研究倫理に反したことを清水さんが認める「追補」の掲載を請求しました[馬場 24]。しかし、佛教大学仏教学会は1か月弱の協議の末、その請求を退けました。[清水 24b]

3 圧力

[清水 23] のあとがきに、馬場先生からの圧力があったと清水さんが記す一方、馬場先生は[馬場 24] で「そのような事実は一切ありません」と否定しています。つまり、[大蔵 21] 、[佐々木 22] の記述は事実ではないか、馬場先生以外による圧力であると、馬場先生の否定は示しています。
また、研究不正の指摘は本来圧力ではありませんが、一度却下された指摘を繰り返すのは、不正を正す以外の圧力的な意図を感じても不思議ではありません。特に、2017年の一度目の指摘が複数の専門家による第三者委員会で全会一致で却下された結果は、同じ指摘を2024年に繰り返しても認められる可能性がほぼないことを示しています。それにもかかわらず、不正でないと専門家により認められたものを再び不正だと、数々の受賞歴を持つ東京大学教授というその分野の権威が公言した事実は、指摘が却下されても圧力になり得るのではないでしょうか。

係争の発端

馬場先生と清水さんは、[佐々木 22]によると、「仏教史の中のブッダゴーサの位置づけという重大問題をめぐって相反する説を主張し,論争」しています。

「馬場氏が博士論文を提出した時点では,ブッダゴーサを,独自の思想によって『清浄道論』やニカーヤ註を著した思想家だと考えてはいなかった。」しかし、[馬場 08]の第三篇では「これまでは単なる1註釈者とみなされがちであったブッダゴーサが,実は上座部大寺派の在り方を決定づけた思想家だった」と結論付けたことで、馬場先生の説は「ブッダゴーサの素顔をはじめて世に知らしめた研究として大いに評価された」。
「ところがこれに対して2016年,清水氏が反論を提示する。それは馬場説の要ともいうべき第三篇の全体に対する批判であり,ブッダゴーサは,馬場氏が言うような独自の思想を持った思想家ではなく,あくまで1人の註釈家であったというのが清水氏の主張である。もし清水氏が正しいとすると,馬場『上座部仏教』の第三篇の全体が否定され,さらにはその第三篇と連結すべく論じられている第一篇,第二篇に関しても,ブッダゴーサとの関連性を主張する箇所については否定されることになる。学説そのものの浮沈に関わる重大な批判である。」

つまり、「ブッダゴーサという人物が思想家である」と論じた馬場先生と、その説を踏まえたうえで「ブッダゴーサは従来通り1人の註釈家である」とする清水さんとの間で係争が起きています。

「ブッダゴーサは思想家」説の大切さ

馬場先生は[東京大学 19]で、「ブッダゴーサは思想家」説を「世界の研究者たちと互角にやりあっていく覚悟と自信」を自分に与えたものと説明し、そのひらめきを『シエナの奇跡』と評しています。

そんな仏教の波及を目の当たりにした旅先での経験から、大学院では「仏教を科学する」をモットーに、上座部仏教について、社会に大きな影響を与えた文化現象として実証的に研究しようと博士論文を仕上げた。「審査した先生たちからは厳しいコメントもありました。私の論文には3つの主題があったのですが、それらがつながっていなかったのです」。
それから東大の助教になり、2006年にケンブリッジ大学に留学してからも、四六時中、博士論文の問題を考え続けていた。転機が訪れたのは翌年、ナポリの大学で研究発表した後、中世の街並みがそのまま残るトスカーナ地方のシエナを旅したときのことだ。
「旅行中も博士論文のことが頭を離れませんでした。ところがシエナにあるカンポ広場を見渡せるカフェでメモ帳とペンを取り出した瞬間に閃いて、問題がきれいに解決したのです。自分でひそかに『シエナの奇跡』と呼んでいますが、研究の主軸となる論理展開が出来上がったのです」
これで世界の研究者たちと互角にやりあっていく覚悟と自信を得た馬場は帰国後、その内容を最初の著作『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』にまとめた。

[東京大学 19]

この説を記した[馬場 08]は日本南アジア学会賞、日本学術振興会賞などを馬場先生にもたらしています。

授賞理由
「思想・正典形成・言語イデオロギーを中心とする上座部仏教形成史の研究」
(A Study on the Early History of Theravāda Buddhism in Terms of Thoughts, Canonization, and Language Ideology)
馬場紀寿氏は上座部仏教を研究対象とし、スリランカや東南アジア大陸部に広まる上座部仏教の独自性と同一性がいかに成立したかを明らかにしてきた。馬場氏の主著『上座部仏教の思想形成─ブッダからブッダゴーサへ』では、上座部仏教の中でも最も権威ある著者として知られるスリランカのブッダゴーサという五世紀の学匠の作品に焦点を当て、パーリ語のみならずサンスクリット語、漢訳、チベット語訳のテクストを比較検討し、大乗仏教を含むインド本土の仏教に対抗する中で上座部仏教に独自の思想と正典が確立する過程を解明している。結果的に、上座部仏教を大乗仏教に先行させる一般的な通念を部分的に覆す独創的な研究成果を生み出している。
研究業績は、旧来の仏教学にとどまらず、比較宗教学、歴史学、社会言語学、地域研究等に及ぶ学際性を有しており、研究のさらなる発展と波及効果を期待させる。以上の理由により、馬場氏は日本学術振興会賞にふさわしい人物であると判断される。

日本学術振興会賞 授賞理由

学術賞
2009年 - 日本南アジア学会賞『上座部仏教の思想形成-ブッダからブッダゴーサへ』(2008年、春秋社)に対して
2018年 - 日本学術振興会賞「思想・正典形成・言語イデオロギーを中心とする上座部仏教形成史の研究」に対して

このように「独創的な研究成果」と高く評価される説を清水さんは批判的に検討しました。その方法を[佐々木 23]では次のように説明しています。

清水氏の批判方法は、単に馬場氏が提示している資料の解釈を批判するのではなく、馬場氏が著作の中で用いていない情報は、註釈文献群を渉猟して探し出してきて、それをもとに馬場氏の主張を否定するというものである。しかもそれは、単に馬場氏の説に対する反例を探してきて馬場説と対峙させるということではなく、馬場氏が提示している情報もすべて包含し、承認したうえで、そこに新たに見つけ出した情報を付加することにより、その全体から、馬場氏の説とは異なる結論を導き出すという手法である。

 [佐々木 23]

馬場先生が用いた情報をすべて用いたうえで、その説とは異なる結論が導かれた、となると、馬場先生が解明したはずのことがしていないことになり、独創的な研究成果も成果ではなくなってしまいます。それは、[清水 16]、[清水 21]がこの世の中から消えたとしても変わりません。清水さんが異なる結論を導いた過程を検討し覆さない限り、馬場先生の説は不確かなままです。

日本学術振興会賞 授賞理由に記されている「大乗仏教を含むインド本土の仏教に対抗する中で上座部仏教に独自の思想と正典が確立する過程を解明している」はずが、していないことになるので、賞を授ける理由は失われ、受賞者を決めた方々の見識も疑われることなります。

東京大学では「不利なエビデンスは隠す」のは当然

それにもかかわらず、研究不正を理由に[清水 16]、[清水 21]を存在しないものにしようとするのは、「不利なエビデンスは隠す。それを悪いと思わない」と解釈できます。社会活動家である東京大学名誉教授の上野千鶴子先生が「不利なエビデンスは隠す」ことを2016年出版の書籍で肯定した後、2019年の入学式の来賓として迎えた東京大学では、(学術に疎い私にとって不可解な)「不利なエビデンスは隠す」ことが学術倫理として正しい、むしろ望ましいということを、馬場先生の一連の行動が裏付けました。

STAP細胞を思い起こさせる馬場先生の独創的な学説

この係争は、独創的な研究成果と高く評価される馬場先生の学説と従来通りの説(独創的な説はデータから導かれない)との間で起きています。これはSTAP細胞をめぐる騒動との類似を見て取ることができます。

STAP細胞とは、以前では再生医療に必須な万能細胞をつくるには複雑な操作が必要だったのに対して、非常に単純な操作だけで万能細胞をつくれる、という独創的な研究成果でした。しかし、その独創的な研究成果を再現しようとしても成功する人はおらず、その研究成果が間違いである、と結論付けられました。

馬場先生の「ブッダゴーサという人物が思想家である」学説も独創的な研究成果と評されていますが、清水さんが再現に成功できない(馬場先生の情報すべてに新たな情報を加えたとき、馬場先生の学説が導かれない)ために、馬場先生の学説が正しいと断定できない、と考えられます。今後再現に成功したという報告が続々と出てこない限り、馬場先生の学説の正しさはゆらぎ、STAP細胞との類似は色濃くなるでしょう。

馬場先生の学説に必要なのは、[清水16]、[清水21]をなかったことにするのではなく、これらで示された新たな情報を加えた上で、「ブッダゴーサという人物が思想家である」ことを導くことだといえます。

参考文献

[佐々木 22] 佐々木閑 ブッダゴーサの歴史的位置づけをめぐる馬場紀寿氏と清水俊史氏の論争(1)序言 禪學研究 100, pp. 123–138 2022 https://hu.repo.nii.ac.jp/records/1313
[佐々木 23] 佐々木閑 ブッダゴーサの歴史的位置づけをめぐる馬場紀寿氏と清水俊史氏の論争(2)禪學研究 101, pp. 55-73 2023
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I032937348
[清水 16] 清水俊史 パーリ上座部における「小部」の成立と受容——結集と隠没の伝承を巡って 佛教大学仏教学会紀要 21, pp. 77-146 2016
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_BK002100008318
[清水 21] 清水俊史 上座部仏教における聖典論の研究 大蔵出版 2021
[清水 23] 清水俊史 ブッダという男 ちくま新書 筑摩書房 2023
[清水 24a] 清水俊史 馬場紀寿「佛教大学仏教学会への申入書」について 2024
https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/933603/68c8b079c8c7cee9654561a6e332861e?frame_id=1661550
[清水 24b] 清水俊史 【ご報告】馬場紀寿「研究倫理上の問題に関する申入書」について 2024
https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/933603/01d7cb7d5f43458191315c2e292e6a21?frame_id=1661550
[大蔵 21] 大蔵出版 『上座部仏教における聖典論の研究』に関する声明 https://www.daizoshuppan.jp/news/n39180.html
[東京大学 19] 「仏教を科学する」をモットーに、仏教の歴史と思想的源泉を探る。 UTOKYO VOICES 054 2019 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/voices054.html
[馬場 06] 馬場紀寿 三明説の伝承史的研究:部派仏教における仏伝の変容と修行論の成立 博士論文 東京大学 2006
http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=120910
[馬場 08] 馬場紀寿 上座部仏教の思想形成——ブッダからブッダゴーサへ 春秋社 2008
[馬場 24] 馬場紀寿 研究倫理上の問題に関する申入書 2024 https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/933603/68c8b079c8c7cee9654561a6e332861e