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山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』(河出書房新社)

我が国の大地に、ブラジルへと続く、底のない穴を空けましょう。「なぜそんな穴を?」「だって近道じゃありませんか」

昨年、文藝賞を受賞した山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』、朝日新聞の書評で取り上げられていたので気になって読んでみた。地球の裏側まで通じる穴を掘っている人、の話ではなく、地球の裏側まで通じる穴をうがつことを企画立案した官僚の思いが、長年かけてとうとう具体化。彼の没後とうとう着工されたのだが、極秘計画として、公表されることなく計画は遂行され、事業を担当する会社が、いつか穴が開通して、全世界に事業内容を公開することになった時のために、広報担当を置いた、その広報担当が主人公。本当に開通するかもわからない穴のために、誰かに読んでもらえるかもわからない広報記事を書き続ける主人公。しかも掘削技術が非公開とされたため、彼は、柵で囲われた工事現場に一度として立ち入ることもなく、穴の現物を見ることもなく、何十年も、上司に言われるまま、穴計画を考えた官僚の伝記をまとめたり、海外から様子を伺いに来たマスコミの目くらましをしたり、反対側から穴を掘っているブラジルの広報官とメッセージのやり取りをしたりしている。最初に掘った穴からは温泉が出てしまい、そこには温浴施設が作られ、実際に穴掘りに従事している作業員と風呂で交流したりもするが、再度掘削が始まった穴の中で何が起こっていて、どんな技術が使われているかは知らぬままだ。見たこともない穴のための人生...妙に哲学的というか形而上学的というか。

高校時代、水泳部で活躍していたのに、引退前最後の試合で足がつって思うようなレースが出来なかったトラウマが、ある意味幻想的なラストとつながっていたりする。作者は、細かい仕掛けを考えながら小説を書き進めていて楽しかっただろうな、と思う。

文藝賞、って、わたしの世代だと何といっても堀田あけみ『1980アイコ十六歳』、その前の年に田中康夫『なんとなく、クリスタル』、圧倒的に面白かった芦原すなお『青春デンデケデケデケ』、ちょっと時代が下ると、綿矢りさ『インストール』、白岩玄『野ブタ。をプロデュース』などが印象的で、なんとなく青春と純文学の結び目、みたいな印象のあった新人賞だが、『いつか深い穴に落ちるまで』の前の年の受賞作が若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』だったりして、一気に青春とは別世界に連れていかれた感じ(コピーに玄冬小説、って書いてある)。そして『いつか深い穴に落ちるまで』も青春文学的ナイーブさは残っているが、やはり青春文学ではないなぁ、と読んでいて思った。まぁ山田詠美『ベッドタイムアイズ』だって文藝賞だった訳で。Wikipediaで文藝賞の歴代受賞作のタイトル見ていて、いろんな時代があっていろんなことがあったね、と気持ちがトリップしてしまったことである。海燕新人賞(よしもとばなな、小林恭二、佐伯一麦などを輩出)みたいにたった15年で終わってしまった賞はなんだかさびしい。文藝賞は1962年スタートだから(第1回の長編賞は高橋和巳『悲の器』だ)、半世紀以上、日本の文学シーンを担ってきた、ということを思うとまた感慨深い。

作者が次にどんな小説を書いて、文学界で生き残っていけるのか、よくわからないけれど、半世紀以上の、底のない穴の物語を、これだけコンパクトに、でもそれなりに波乱万丈に書けるのはなかなか素敵だと思う。次にどんな物語であっと言わせてくれるか、期待。

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