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滝口悠生『死んでいない者』(毎日読書メモ(494))

滝口悠生が『死んでいない者』(文藝春秋、のち文春文庫)で芥川賞をとったのが2016年下期、本谷有希子『異類婚姻譚』と同時で、ちなみに1期前が又吉直樹『火花』と羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』だった。
最近あんまりきちんと芥川賞受賞作をフォローしていなくて、この頃の受賞作、あまり読んでなかった。評判の良かった『長い一日』(講談社)を読んだのをきっかけに、近作『水平線』(新潮社)も読み、満を持して(違うか)、芥川受賞作『死んでいない者』に戻ってきた。猪熊弦一郎の表紙が印象的。
お通夜のシーンで物語が始まる。喪主である長男のモノローグから始まるが、あとから振り返ったら、故人には名前が与えられていない。死んでいない者じゃないからか(でも、既に亡くなっている故人の妻には名前があるんだよねぇ)。
故人には子どもが5人いて、それぞれ結婚して子どもがいて、一部には更に孫(故人のひ孫)までいて、血筋的な代と世代にずれがあるから、入り乱れる人々それぞれが、誰が自分にとっての何であるか、ぱっとはわからない状態。いろんな人が入れ代わり立ち代わり現れ、読んでいる方も眩暈がしてくる。まるで、ガルシア=マルケス『百年の孤独』みたい。いや、あんなに複雑じゃないんだけど! 一族じゃない人は、故人の幼馴染のはっちゃん一人だけで、あとの「死んでいない者」は、表舞台に出てこない人も含め、僅か24人である。ノーベル文学賞と芥川賞の差か(ちゃうねん)。
でも、何人かクローズアップされる登場人物がいて(紗重とダニエルの夫婦とか、美之と知花の兄妹とか、その場に現れない寛とその家族と)、お通夜の場にいなかった美之と寛が、この小説の主人公なのかもしれない。死んでいない者どころか、その場にいない者か!
酒好きの一族らしい。酒で身を持ち崩して失踪した寛だけでなく、未成年の孫・ひ孫世代まで、大人の眼があってもしれっと酒を飲む(そしてぶっ倒れたり)。『長い一日』の主要登場人物だった窓目くんも、深酒をして失敗するキャラだった(語り手滝口の友人である窓目くんの手記が、「文學界」で不定期に連載されていたようなので、また別の本で窓目くんと会うことが出来るかもしれない)。飲酒について、作者はニュートラルに書いているけれど、死んでいない者のひとつの重要な要素としてとらえている感じなのかな。
最初は頭の中で家系図を書きながら読んでいたけれど、結局もやもやが大きくなってきたので、紙に家系図を書き出してみた。意識的に関係の遠いところを順番に書いているようで、最初に書いてみたメモでは、枠内にきちんと家系図が書けず、別の紙に清書。それから、「死んでいない者」で画像検索して、ネットに誰かが出している家系図と答え合わせ。本文中で年齢に言及のある登場人物については年齢も脇に書きつけてみる。普段は離れて暮らしていて、滅多に顔を合わすことのない一族が、親族であることはわかっているけれど、その人が自分から見て何にあたるかわからず、なんとなく群れ集い、通夜の線香を守り、近くのスーパー銭湯に行き、酒を飲む。通夜の会場である近隣の集会場から子どもたちだけで故人が住んでいた家に行き、夜中にお寺の鐘を撞きに行こうという話になる。結局お寺にはたどり着かなかったのに、お寺の鐘が鳴り出し、通夜の大人たちは子どもたちが撞いたんだと思っているけれど、子どもたちはいったい誰が、と思っている。これは解き明かす必要のない謎で、付けても付けなくてもいいオチ、という響きがえもいえずいい。
(『百年の孤独』も、家系図の画像検索をしたら出てきた...もはやこちらの記憶がついていかないので、検証は出来ないけれど)
そして、一族の中にまともな者とまともでない者がいる、と思いながら、別にまともでない者を否定していない。離れて暮らす親族だからそんなものか、自分に具体的な迷惑がかからなければ、非難したりけなしたりする必要はなく、そんなもの、と思って受容していられるってことかな。
死んでいない者たちは、包容力のある者たちだった。故人もそうだったのかな、なむなむ。安らかに眠れ。

単行本で読んだのだが、文庫版には、単行本未収録の「夜曲」という作品が収録されているらしい。

『百年の孤独』って文庫化されていないのか! ある意味驚く。

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