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安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』(毎日読書メモ(527))

安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』(集英社)を読んだ。昨年(2023年)の本屋大賞第2位(1位は凪良ゆう『汝、星の如し』)。チェロが重要な役割を果たすと聞いていて気になって、買ったまま1年間積ん読してしまったが、ようやく読めた。

子どもの頃、習っていたチェロを、ある事件をきっかけに失い、なんとなく屈折した育ち方をした主人公橘樹たちばないつき。全日本音楽著作権連盟という会社に就職した樹は、社内の派閥抗争のとばっちりを受け、ミカサ音楽教室でチェロのレッスンを受けろという上司命令に従うことになる。

という前段を読んだだけで、これがJASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)と、ヤマハなど音楽教室運営者との間で争われた、音楽教室で著作権の切れていない曲を演奏したら、都度著作権料が発生する、というJASRACの訴えに音楽教室側が反発し、最高裁に及ぶ裁判が行われた事件を元に書かれた小説であることがわかる。
報道されていたのは聞いていたが、自分が当事者じゃない、と思っていると、結論などすぐ忘れてしまうものだ。確認したら、当初は音楽教室で演奏したら、それが指導者の演奏であっても教わりに来た生徒の演奏であったとしても一律著作権料が発生する、という判決が下りていたが(2020年2月、東京地裁)、控訴審で、先生はともかく、生徒の演奏は、利益を得ることを目的とした演奏ではない以上、生徒と教師を線引きして、生徒の演奏分については著作権料は徴収すべきでない、という音楽教室側の意見が、2021年2月の控訴審で認められ、2022年10月の上告審(最高裁)で「生徒の演奏についての演奏主体は生徒であり、その結果、音楽教室において、その多くの割合を占める生徒の演奏には演奏権はおよばない」という判決が下りた。
また、JASRACの職員が身分を隠し、ヤマハ音楽教室でヴァイオリンのレッスンを受け、その際に音楽教室での実情を探っていた、という事件が実際に起こっている(レッスンを受けたJASRAC職員はその後裁判等でも証言)。

樹は、家から離れた二子玉川のミカサ音楽教室で、身分を公務員と偽り、浅葉桜太郎というチェリストからレッスンを受けるようになる。胸に挿しているボールペン型の録音機をチェロ演奏時にははずしてテーブルの上に置き、レッスンの際にどんな曲を弾いているか録音して帰り、上司に提出する。
幼少時に巻き込まれた事件で、チェロを弾き続けることができなくなった樹は、再び楽器を手にすることで、自分の心のわだかまりがほぐれ、結果として長年苦しんできた不眠も解消の方向に向かい、発表会をきっかけに、浅葉の生徒たちとの交流も出来てくる。最初から、潜入捜査のために講師に偽ってレッスンを受けている良心の呵責があったのが、チェロを通じて自分が変革していくにつれ、いつか自分の身分を明かして、裁判の場でミカサ音楽教室と対決しなくてはならなくなるのだ、という葛藤がどんどん大きくなっていく。
え…楽器の演奏履歴があるというだけで、スパイ的な素養のない一般社員を、身分を隠させて敵地に送り込む、って、その上司のやり方が生ぬるかったのでは? 別にドラマ「VIVANT」の「別班」とまでは言わないが、自分の感情を封じこめ、組織のために、潜入捜査をやり遂げる。そういう人材でないと、2年近くもレッスンに通って、人間関係まで築いて、そこで手のひらをかえすなんて、そうそう出来ることではない。
勿論その葛藤こそが小説のテーマなんだけど、樹が得られた心の平安と逆に増大する不安が、読者には痛々しく、辛く見える。
音楽への愛情。チェロのレッスンで浅葉が樹に伝えること、音程の正確さを追及するあまり、左手の指使いにばかり集中力が向いて、弓の動きがおざなりになりがちな樹を修正しようとする浅葉。
樹は本当はバッハの無伴奏が弾いてみたい。しかし潜入調査なので、音楽教室がどんなに無造作に著作権が切れていない曲をほいほい提示してくるかをエビデンスとしてとりたいので、いつもポップス系の曲ばかり講師に依頼して弾いている。発表会で現代作曲家小野瀬晃の昔の映画音楽「戦慄わななきのラブカ」を弾き、小野瀬晃楽曲をいとぐちに、人間関係が盛り上がり、逆に、自分の使命への抵抗感が芽生える。

「初めての発表会を間近に控えてのアドバイス。本番は、ちょっと遠くの小窓の向こうに音を届けるように弾いてみて」
(中略)
「でも、暗い深海で響かせるような曲なんですよね、これは」
「そうだよ」
「深海のイメージと遠くの小窓、いまいち重ならないんですけど」
(中略)
「難しい話になっちゃうけどさ、深海っていうのはあくまでイメージっていうか、曲の世界観のことじゃない? 聴き手がいる演奏では、聴き手にもその世界観を届けてあげられるように、少しだけ他人への意識を残しておかないと」
深海の曲だろうが地獄の曲だろうが、外界への窓をきちんと残しておくのが演奏家ってもんだからさ、と、少し照れくさそうに浅葉がまた首を掻く。

p.119 

作者は特に音楽に詳しい訳ということもなく、楽器の演奏履歴などもなく、小説の素材として音楽を選び、物語構築にあたって調べて知ったことでこの小説を書いたとのことだが、ところどころはっとする表現があり、惹きつけられた。ひとに音楽を聴いてもらうときは、ちょっと遠くの小窓のその向こうに届けるように弾くのか、ふむ。
勿論音楽をすべて言語化は出来ないし、演奏するその姿が伝える本能のあらわれ、という人も沢山いるだろう。
でも、こうした言葉で表現されたものの中に、自分の心に響くものもあるのだ、ということは幸せなことだなぁと。

樹はラブカ(軟骨魚綱カグラザメ目ラブカ科に分類されるサメ、こわい姿をした深海魚)に導かれ、この潜入捜査に一定のけりをつける。別れがあり、再会があり、樹は最後に「バッハがやりたいです」と自分の希望が口にできるようになる。不眠外来でも、ずっと自分の本心を隠していたのが、自分の気持ちをさらけ出せるようになり、きっと、薬なしでも眠れるようになる。

音楽は政争の手段ではなく、ただ、音楽であってほしい。
そして、著作権を護りつつ、よい形で音楽が普及していくことを願う。
音楽に携わる、すべての人に、幸福を。

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