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愛と優しさに包まれたのなら

最近の私は有り難いことに順調である。

モデルの仕事が毎日あって
少しずつ人に認められてきたのか
メディア露出が増えてきて
企画イベントも多くの方に
応援してもらい、順調そのもの。

まだまだうまくいかないことは
あるけれど、以前の自分のように
自己卑下して自滅することは無くなった。

生きていることが本当に幸せである。

28歳でうつ病で苦しんでいた時期の私と
幼少期に虐待で生きるのが辛かった私に
今の自分の姿を見せてあげたい。

そして当時、辛かった自分に

「大丈夫だよ。何とかなるから。」 

「生まれて来てくれてありがとう。」

と言って、優しくそっと
抱きしめてあげたいと思う。

どうして、そんな風に思うのかは
幼少期の家庭環境、学校のいじめ
そして何より、私自身の考え方が
歪んでいたからだ。

そしてちょっとだけ
過去を振り返って文章に
まとめてみる。


「お前は悪魔の子!私を苦しめる為に
生まれて来たんでしょ!?」

「地獄に堕ちろ!もっと苦しめ!」

「だからお前は嫌われるんだ。
お前は誰からも愛されない。」

「お前は弱い。ダメな子。」

これは全て家族から言われた言葉である。 

私をそれを全て鵜呑みにしてしまい
自分自身を責めて
現実逃避しては

辛かった。 

「なんの為に私は生きているの?」

「私は生まれてきちゃダメな子だったんだ!」

そんな風に自分を悪く責めて
自分で自分の状況を悪くして
学校ではオドオドとしているから
馴染めずにいじめられていた。

当時は本当に人と喋れなかった。

無口過ぎて 

「この子は喋れない子なんだよ。」 

「コイツはダメな奴だ。」 

「キモい!ヤバい!」

と同級生に言われて
クラス全員に嫌われて
先生たちは心配してくれたけれど

「この子、大丈夫?」

と言われるだけで

1人ぼっちだった。

家に帰れば地獄だし
泣いて帰れば 

「めぐみが弱いからダメなんだよ。」

「弱いから、その泣いた顔に
包丁で切り刻んでやろうか?」

と言われて私は
小学生の時は

ずっと死にたかった。

「どうして神様は私を生かしたんだろう。」

「早く死にたい。」

小学生の時に人には
言えなかったけれど

当時の私の本当の将来の夢は

死ぬことだった。

そして、小学生の頃から私は
人生に絶望していたので 
身近にいたクリスチャンが私を
助けてくれた。

小中学生で人生に絶望した私を
救ってくれたのは宗教だった。

19歳になって宗教の裏側を知った時は
ショックでやめてしまい
また絶望に陥ったけれど
小中学生の時の私を
救ってくれたのは
宗教だったので感謝している。

そして、当時から絵は描いていて
絵に関しては人に認められたので
私の10代の頃の心の支えは

絵と宗教だった。


20代になり
ピチピチと若くて元気!
とは真逆の人生を送っていた。

「私はダメな人間だ。」

「私は要らない人間なんだ。」

そんな歪んだ考えで生活していたので
就職してもうまくいかずに
うつ病になってしまったのだ。

また、その後もたくさんの病名がついて
たくさんの病気を引き寄せた。

統合失調症感情障害、双極性障害2型
適応障害、うつ病、発達障害ADHD疑惑
橋本病、子宮内膜症、過敏性腸症候群
機能性ディスペプシア、、
他にも数えきれないくらい診断されたが
もう覚えていない。 

20代なのに1日薬を10種類以上飲んでいた。

そんな風に身体が弱くて精神疾患を患い
中々普通の仕事が続かないので
10回以上は転職しては辞めて
引きこもって、布団で泣いていた。

生活保護も受給していたこともある。

そんな完璧な悲劇のヒロインばりな
不幸な人生を送っていた時に
転機は起きた。

当時の私にとって運命の人と出会い
結婚したのだ。

そしたら、人生は少し良くなって
生きる気力が見出だせた。
うつ病で「ずっと死にたい。」と
言っていたからだ。

しばらくは幸せだった。

「やっと私は人に愛された。」

そう思えたのだ。

「結婚したら幸せになれる。」

そう信じていたが

そうでも無かった。


当時の私は歪んだ考えで 
生きていたので
同じような相手を
引き寄せてしまったのだ。

完全に元旦那とは共依存に陥って
また自分の家庭環境と同じ状況に
なりそうだったのだ。

だから私は離婚した。 

25歳の時だった。 


そしてその後はまたうつ病に
なって仕事がうまくいかずに

お酒と男に逃げて
たくさん失敗した。

そんな不幸な人生を
自ら引き寄せていて
腐りかけていた時に
また新しいパートナーと
巡り会えた。

そしてプロポーズされて

再婚するはずだった。
再婚したかった。

でも世の中うまくいかなくて
出来なかった。

再婚は出来なかったけれど
元彼のお陰でモデルと絵描きで
頑張ろうと励みになれたので
感謝している。

再婚する為に
当時の正社員の仕事を辞めて
同棲で引っ越ししたのに
ダメになって

仕事もお金も男も家も
全て失った私を

流石に親は心配になったのか

「帰っておいで。」 

と優しくしてくれた。

あの時の両親の優しさは忘れられない。
親の愛に感謝した。


27歳、仕事もお金も結婚も
全てうまくいかない。

またうつ病になった。

泣きながら布団でスマホを眺めていた。

facebook友達が
「好きな事で起業して
今は日本全国飛び回っています。」
「私も過去はうつ病でした。」

そんな投稿をみては
羨ましくて
私もそういう発信する側に
なりたいと思っていた。

その頃からすでに
モデルに興味があったので

「もし、モデルが仕事になって
毎日モデルの仕事をして
日本各地を回れたら幸せだ。」

そんな風に思っていた。


そして、28歳の頃
親はよく態度が
急変する方なので
いつも通りに急変して

「めぐみがいるせいで。ダメだ。
邪魔だから出て行って!」

幼少期にたくさん暴言を
吐いてもらったお陰で
言われても特に
ショックでは無かった。

「わかった。出ていくよ!
こんな家、二度と戻らないから!」

たくさんの暴言は
人の心を傷つける。

私は家庭でたくさん言葉で
傷付いたから
私は人に優しい言葉を
掛けてあげられる愛のある人間に
なろうと思えた。

そんな風に考えさせてくれた
反面教師の親に感謝しよう。


それから家を出た私は
また仕事がうまくいかなくて
大変だったけれど
29歳くらいに始めた美術モデルの
仕事で生活したいと決意し
30歳でモデルで起業した。

いや、普通に仕事が出来ないので
社会に適応出来ず
計画通りでもなく起業して
個人事業主になったのだ。

モデルになってからは
うまくいかないことも
たくさんあったけれど
会社員時代に比べて
本当に気持ちが楽になった。


そしてヌードモデルの仕事で

ようやく

「人の役に立つ。」
「社会に貢献する喜び。」

を得られたのだ。

会社員時代に出来なかった
社会貢献がようやく
今、出来ている。

「ようやく人に認められた。」

そして、ようやく私自身が
「自分を認められる」
ようになったんだ。

今までの私は
全部自分の歪んだ考えで
引き起こしていた出来事なのに
それを周りのせいにして
勝手に不幸な人生だと
思い込んでいたのだ。

そんな風に考え方を
変えてくれたのは
ヌードモデルの業界から
絵描き繫がりの
アーティストたちの
触れ合いから
私は変わっていった。

そして、変わりたいと思って
変わったのもある。 


人は考え方次第で
人生を変えられる。


人と話せなかった私が
今ではMCのオファーも
入るくらいになった。

ちょっと人より波乱な人生を
送って来たので、人1倍
人の優しさと愛の有難みを
たくさん感じてこれたから

だからこそ
私は
愛と優しさを人に
表現出来る人になりたい。


人生を通して
自分の作品を通して
そして私の発する言葉を通して

私と同じような辛い経験で
悩んだ人たちに
勇気と希望を与えたい。

そんな思いでこれからも
私はモデルとして
絵描きとして
MCとして
飛躍して輝いて
HAPPYな発信をしていく。
 

自分の為にも
人の為にも
自分を愛して
優しく認めて
人にも愛と優しさを
表現活動を通して
前へ前へ進んでいきたい。

そんな風に考える
今は毎日が幸せな
33歳の絵野めぐみであった。


全てが愛と優しさに包まれたのなら

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