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消耗される「美」

芸術とデザイン。

このところ東洋美術学校講師の中村将大先生がおっしゃっていた
「デザインはインフラ」
が、ずっと心に留まっている。

スーパーのレジに並ぶ自分の違和感。
流れに乗って、自分の順番を待つ。
配置されたカウンター毎に、ご丁寧に設置された映像モニターに同じ動画広告が投影され、待っている時間を潰す。

急に、環境に時間が潰されていくのがわかり、泣きそうになる。
美しいとはなんだろう。


人が迷わないよう、困らないよう、考えられた仕様に対する美しい導線。
効率的、規則的に処置されることで捻出される時間の豊かさと、
そこから生まれる新たな可能性。

迷わない。それが心を平坦にし、時間に価値をなくす。

落ち物ゲームに似ている。

単純な思考で型にはまっていく様を眺める。

「芸術は爆発だ!」と誰かが言ったし、岡本太郎の太陽の塔が、何を現したかったのかを多くの人が体感で感じ取ったのだろうけれど、それらも歴史となりつつある。

私の世界には「デザインされた人工物」が、
こんなにも多く溢れているが、
その多くは愛着を掛けられずに循環していく仕組みになっている。

それらは目まぐるしく入れ替り、目のなかに飛び込んでは消えていく。

それでも、技術は受け継がれ、どこかでは洗練され、
時代に則して変化する。

沢山のこの奇跡のような世界に感謝しながらも
妄信的になれない。

子どもはには、全てが芸術にみえていて、
大人には、全てがデザインに見えているのではないか。

子どもを見ているとそんなふうに思う。
仕組みを知るのと引き換えになるもの。

昨日はFACE展を観てきた。色々な挑戦をしている作品が見ることができた。
きっとみんな考えてる。
きっとみんな戦ってる。

さて、何をしようか。

#es備忘録 #脳内会議
#芸術#デザイン #美 #Face #インフラ  

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