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http://enosato.com 絵描きです。思考は崩壊、或いは、超安定。2児の育児中。 絵を描くことを続けるに当たっての考えなどをノートとして綴っていけたらと思います。 文体やの乱れ、誤字などご指摘ください。意識なども、心変わりあれば、上書変更していきます。

最近の記事

終戦記念日によせて

今年も終戦記念日が近づいている。近所の公民館で当時の新聞や資料が展示されているのをみた。 ひと月ほど前の、梅雨時期。 一週間くらい、ずっと庭で鼻に突く臭いを感じていた。 草むしりをしていたら、半分白骨化したイタチか何かの仏さま。 ウジが沸き「ああ、これか」と。 子どもも遊ぶ場所だし、放置するわけにもいかないので、土をかけて隠した。 こうしてお墓ってできるんだなぁ。 土が盛り上がった。 土をかけるときによく見ると、足のわずかに残った毛に黒と白の分かれ目がある。 どうやら

    • 白痴

      個々人が 右とか 左とか の話ではなく、 「あいちトリエンナーレ」の”物議”はその「表現の不自由展」という企画名からしても企画段階で物議が起こることが仕組まれたことであることは明確で、多くの人が目を向けているのは確かだと思う。 何を持って成功とするか。評価を基準に考えることも違う気さえしている。 多くの”情”(報)を扱い、多くの人の(感)”情”を受け取る覚悟をして企画・参加者された方々には敬意を感じる。 「傷つく人がいる」とか、 「歴史が忘却される」とか、 おそろしい事

      • 日本鬼子

        大学のころ見た、ドキュメント映画の「日本鬼子」(リーベンクイズ)という映画を、Facebookのやり取りで思い出した。 http://www.magazine9.jp/article/kunio/14869/ (きっかけは川崎での事件に対する、SNSでの「死ぬなら一人で…」はやめよう。との呼び掛けから。) この映画は、教科書では習わない歴史観をありありと、切実に制作されている。映画館から帰る時、世界がグラグラとしていたのを思い出す。 撮影当時、協力した面々が「生きている

        • 4歳、息子の保育参観

          保育参観に参加してきました。 クレパスで鯉のぼりの鱗を色塗りする。という内容。 既にカリキュラムというものがある中で過ごしている。 息子は、子どもらしく楽しんでいた。 線で色を塗り分けるって、日本独特の指導なのかな。 綺麗に塗り分けるのを分かりやすく良しとするのは、整頓能力を高めるように思うのだけれど、いつも混乱と混沌の中にいる自分には、やっぱり苦手。 色の重なりや、隙間を見たり、余白を感じたり、塗り重ねていったときの質感の変化。クレパスは紙の上にのせた瞬間にインパクト

        終戦記念日によせて

          好みというもの

          2歳と4歳の子を育てると、味覚が顕著だか、同じ親に育てられていても、好みは全く違うことに気が付く。 4歳息子は最近、煮た野菜を食べなくなったが、パセリなど香の物を好んで食べる。 2歳娘は、緑茶など、カフェイン入り飲料が飲める。(喉風邪にいいからと医者に進められた。息子は拒否。) だから、自分の好きな人だからとって、何でも同じ好みはあり得ない事を知る。 好みが違う事を気にしない。 嗜好の差異にイラつかない。 割り込まない。 近づいて生活すると、自分と同様の好みであった方

          好みというもの

          作家を感じる

          実を言うと、フランシス・ベーコンという画家。私にとって(偉そうな言い方になってしまうが)大学時代、画集から知識を入れて、実物を観てがっかりした画家の一人なのです。 画集を見たときのインパクトとと、実物のあっさり感、計算されて描かれた感じが、なんだか私の求めていたものとは真逆だった。 結果的には、それこそがベーコンの作品なのだけれど。それも含めて、心に留まっている作家であります。 人は「違う」と思った世界にそこまで欲を感じないものだと思うが、少しでも「かする」ものがあると、全

          作家を感じる

          高下駄をはく心理

          Twitterで、茂木健一郎先生が、何度か「年齢や性別と、考えの偏りとはまるっきり関係ない」(あっという間にツイートが流れてしまって、定かな表現ではない)というような発信をされていて、「なるほど。そのとおりだな。」と思いつつも、津田大介さんが手掛ける愛知トリエンナーレのRTから、ふわふわと浮かんできた世代感。男女感。その中にある考えの偏りのイメージが、自分の中に、わりとはっきりとあることを意識をした。 あえてジェンダーが着目されるような切り口で食い込んでくる芸術祭だが。 こ

          高下駄をはく心理

          消耗される「美」

          芸術とデザイン。 このところ東洋美術学校講師の中村将大先生がおっしゃっていた 「デザインはインフラ」 が、ずっと心に留まっている。 スーパーのレジに並ぶ自分の違和感。 流れに乗って、自分の順番を待つ。 配置されたカウンター毎に、ご丁寧に設置された映像モニターに同じ動画広告が投影され、待っている時間を潰す。 急に、環境に時間が潰されていくのがわかり、泣きそうになる。 美しいとはなんだろう。 人が迷わないよう、困らないよう、考えられた仕様に対する美しい導線。 効率的、規則

          消耗される「美」

          頭のなかの設計図

          気がつけば、またこんなものを買っている。 キャリーのタイヤ。 ひとつ98円。 しかも3つ。 使う想像はして買っているのだか、本当に設計して作って使用するのかわからないものを買ってしまうときがある。 ちゃんとやるのかな。 続いたら、また、noteで続けます。

          頭のなかの設計図

          腐ることと枯れること

          昨日はくさくさしていた 「くさくさする」って言葉、 初めて使うのだけど 昨日ふと、 「なんかくさくさするなー」 って思って 「ん?くさくさするってどういう意味?」 って、ネットで調べて (面白くないことがあって落ち込む様子とか、憂鬱とか) そういった意味だったので 「あぁ。やっぱりくさくさしてた!」 と、思ったのでした。 日常で使うことあるのかな? どこかで読んだのかな? とにかく「くさくさ」がすっと、自分の感情の中に入ってきた。 その言葉のイントネーションを響

          腐ることと枯れること

          顎の真ん中に「デキモノ」ができた。

          親指でさわると、 「あ。これはできたな」 ふぅ。どうしても気になるので、潰してしまう。 「ばいきんが入るよ」頭のなかで声がする。 「痛い痛い」 あ、血が出てしまった。。。 女性として、妻として、人間としてどうなの?とも思うが、私は鏡をほとんど見ない。 気が向いた時しか見ない。顔を洗っても、自分の髪型や見栄えを観る習慣がない。 そもそも習慣というものが定着しない性格。1日24時間という時間軸とかもかなり怪しい。(子育てで大分鍛えられてきている(?)気がするけど) でも、

          顎の真ん中に「デキモノ」ができた。

          自分の衝動性

          コントロールできない。 そもそもコントロールしようとしている部分と、 やりたいと思っていることと、 結果どうなるかを予測している頭が、 全然違うところにいる。 子どもたちはおばあちゃん家で過ごす1日。 今日は搬出の日。 東京まで片道、二時間 ひとつ見たい展覧会もある。 まだ時間は大丈夫かな。 何に使うか宛もなく 「いつかやりたい」と思っていた 字消ゴムはんこを掘り出す。 いやぁ。ほれたほれた。 「いいものになってんのか?」 「それ、なににつかうの?」 「考えが

          自分の衝動性

          ADHDの私

          絵を描いています。色んな絵を描いています。 こんな絵も描いています。 作品タイトル「脳内会議」→「混乱と衝動」 油彩 この作品を家に飾っておいたら 4歳の息子が 「ぼくこの絵、好きなんだ。」 と。 「そうなんだ。へぇ。」    自分で描いておいて言葉に詰まる母。 「なんかねぇ。かーちゃんに、ちょっとにてる!!」 お、お、お!!何という息子の母への愛情でしょう(か)?! そんなことってあるの?!どのへんがにてるの?と、心の中で動揺しながら。

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          ADHDの私

          耳のない父・口のない母・目のない子供(2004年 制作)

          【過去作品紹介・とりとめない日記】 性差につての表記や発言が難しくなっている昨今であるが、父・母という言葉も、これからは廃れていくのだろうか。 男女を表すピクトグラムも。 ・言葉というもの ・デザインというもの ・文化というもの そのあたりのことを農道で自転車こぎながらぐるぐると考えている。 人が生活するには、道がないと不便だ。 道路標識にしても、ピクトグラムは私の脳にすんなりと浸透し、デザインされたモノたちはだいたいのものが、自分ではない誰かの甚大な努力と、功績によっ

          耳のない父・口のない母・目のない子供(2004年 制作)