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『違う』から生まれるのは、否定ではなく『価値』

おはようございます。
子育てを応援する楽しく遊ぶichigoです。

子どもをお手本に生きる私のnoteです。よろしくお願いします。

『好き』『嫌い』。捉え方にはグラデーションがある

保育士でも、子どもがみんな好き!とは限らないし、「大好きなの子ども!」っていってた人が実習が終わって、毎日子どもと関わるとなったら嫌だなって思って、保育士になるのをやめた人もいるから・・・・・好きには種類があるんだよな・・・グラデーションみたいなの。

今日は、そんなことをきっかけに書いていくnoteになりそうです。

「可愛いよね」と友達と洋服見ていても、バック見ていても、その好きもグラデションが全く同じかというとそうではないんだろうなぁ・・・って思うのです。

ましてや、どこが可愛いか??を話たら、私は、いろ。友達は、かたち。

って可愛いと思ってる部分まで違う。

なんていうことなんだろう・・・。
完璧に一緒のポイントで、「可愛い」を感じることなんてあるんだろか??

と、価値観について考えていたら思ったのです。
そうやって、考えと個人を取り巻く環境で、「価値観の違い」って当たり前じゃん。
離婚する芸能人が、「価値観が違うので、別々の道を歩みます。」っていうたびに違和感があったのは、これだったのかもしれません。

そもそもみんな違う!

教育学者の故太田尭さんは、人間の特徴として
『ちがう かかわる 変わる』
の3種類をあげています。
私の尊敬する保育士さんは、金子みすずさんの詩について・・・
「みんなちがってみんないいじゃなくて、『みんなちがうのは当たり前』でしょ」
と一時期、熱く語られていました。

そうそう。多分、言いたいのは、『良い』とか『悪い』を超越した世界に価値観は位置している。
ということ・・・。

価値観の『観』って、個人の考えや見方の話だと思うので、この観がなくなったら、
『価値』なんですよね。
そもそも、みんなに価値があるんだ。
ということ。

それでも人は、「いっしょ」が好き。

1歳という年齢を超えてくると・・・「一緒」大好きになります。
明らかに同じじゃなくても、『雰囲気』が重なっていれOK!という雰囲気なのです。

共有したいのは、全く同じ見えるものではなくて、どちらかといいと気持ち。

大人になった私たちは、よく見えるので、よく感じられるで、よく聞こえるので、ちゃんと『違い』に気づくようになりました。
でも、その違いを超えても、もっと先に重なる部分を見出すことができます。

ヨガのイントラをしていて、同じポーズをとろとしても全く同じなんてありえない。
そもそも骨格が違いますから、同じ風はできるけど、同じにはなりません。
でも、それを「だめだ」「嫌だ」といっていたら、話は始まらなくて、結局は自己探求に繋がっていく。

きっかけは、違い でも、そのさきは自分で決めていい。
終着点は選べる。『価値』は自分で決めていいのです。

1歳児が感じていたのは、同じを通して感じる違いの『価値』なのかもしれません。
そう思うと、たくさんの「一緒ね」感じながら、自分は価値があること体感してもらいたいなって思います。
一人では感じることができない。
大切な気持ちです。

その気持ちが育っているからこそ、『違い』にも気づける。
『違い』は否定を生み出すものではなく、『価値』を生み出すものなんですね。

大事にしてるものがわかりやすく出ているだけ。

今日もきっとたくさんの『違い』を見るでしょう。
でも、そこには、一人一人が大切にしてるものがある。
そこにフォーカスを当てながら、過ごして行けたらなって思います。

新しい朝は希望の朝。
今日も素敵な「違い」に出会っていこう。
いってらっしゃーい。また明日!

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