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デザインとは


幅広い定義

至る所で多用される「デザイン」という言葉。多くの場合 “意匠”、いわゆる “見た目”、ないしはその設計と認識されることが多い様です。たとえば、この車の “デザイン”、なかなかいいね、という風に。
今回は、そのデザインについてのお話です。

デザインとは何か。これを考え始めると、終わりなき奥深さに驚きます。
学術的な定義はさておき、実際にものづくりに携わる人の間でも今も議論は続き、絶対的な正解はありません。しかし、ものづくりの際にこの言葉をどの様に解釈し創造に臨むかで、その結果と成果は大きく左右されます。

自分の半生を振り返ってみると、機械語からサーバー上まで様々なプログラムを書いて走らせ、巨大な通信システムを構築し、国際標準規格を巡って喧嘩をし、新しい通信サービスを開発し、基地局やスマートフォンといった機械のOSとハードを製作し…と、よく考えてみると実に多彩な「ものづくり」に携わってきました。

こうしたミクロ・マクロといった異なるスケール、ハード・ソフトという有形・無形といった両面の視点と経験を通じて、私は、デザインとは「創造の全てを設計する行為」ではないかと考えています。

デザイン = 創造物の全てを設計する

デザインを設計であるとするならば、設計とは何でしょうか。
ともすると「設計」は、意匠を考案したり図面を引く作業と考えられがちです。巷で用いられる「デザインする」という動詞も、同じようなイメージで使われていると思います。
しかし実際のものづくりの現場における設計は、図面制作といった範囲を遥かに超えて、とても複雑で奥の深い多様な行為です。この感覚は、実際に現場でものづくりの最初から最後までを経験してみないと分かりにくいかもしれません。

それでは、ものづくりの現場における「設計」とは何か、少し掘り下げてみましょう。

設計は、あるべき未来像の想像から始まります。
正解も手本もありません。意外にもこの未来像が無い、もしくは曖昧なままいきなり設計を始める方が多いのですが、それはゴールを決めずに走り出すようなものです。大概は迷走する羽目になり、良いものは生まれません。
この未来像の想像は、誰かに言われて、または人に求められて初めて考えるものではありません。常に、四六時中意識をして、自身の中で考え続ける必要があります。

次に課題を設定します。
あるべき未来像をもとに、現実世界を見つめ、理想と現実のギャップを探り、解決すべき課題を設定する作業です。この課題設定も重要で、創ろうとするものが満たすべき性能と期待される成果、いわゆる目標となる要求仕様がここで定まります。これもまた意外なことに、課題設定が無いまま要求仕様が先に決められることが少なくありません。何のために作られたのか訝しい、意味不明の不適切なものが生まれる原因はここにあります。

設定された課題に対し、次は解決方法を考えます。
いわゆるアイデアの発想です。
多くの場合そのアイデアは、創りたいと考えるものの最終完成形として考案され、イメージ図や設計図、完成予想図が作成されます。
おそらく、この「設計図」を描くことを「設計」と思われている方が多いのではないでしょうか。

設計で重要な「言語化」

しかしこの視覚化は、設計の核ではありません。
これまでのものづくりの経験を通じて痛感した真理は、設計で最も重要なことは「言語化」であるということでした。

未来像、課題、解決するアイデア。
これらの多くは、いずれもぼんやりとしたイメージで語られがちであり、その世界を詳しく言語化する試みが圧倒的に不足しています。
なぜその形は不適切なのか。なぜこの線は必要なのか。なぜその構造が最適なのか。一貫性のある最適なものを生み出すためには、それらの理由は徹底的に言葉で語られ、説明出来なければなりません。

しかし多くの場合、前例に従いました、そういう指示です、そう決まったからです(ちなみに殆どの場合、誰が何のために決めたかは誰も知りません)という答えが返ってくる、中身のない「形だけ」の設計となっているケースが多いのです。
時には、あれ? 何ででしょうね…(でも、まぁいいや)と、思考放棄されることも珍しくないのです。

現代のものつくりの現場には、作り手自身も、何を何のために作っているのかよく分かっていないという、なにやら不条理な世界が広がっています。本当により良い「もの」が少ないことの主因はここにあります。

設計哲学

どのような未来を目指すのか。どうしてそれが最適なのか。今の何が課題なのか。それを解決し目指す未来に近づくには何が必要か。それら全てを貫く世界観・価値観、現実を把握するモデル、行動と選択の基準は何か。
こうした考えを言語化し、製作者全員で共有し、製品のあらゆる細部に貫かれるいわゆる「設計哲学」を確立することこそが設計の核心です。
デザインとは、その哲学を現実の形にする行為とも言えるでしょう。

プロダクトデザインにおける設計哲学で留意すべき点は、創造しようとする「製品」は顧客のために作られるものであり、設計者や意匠デザイナー自身の「作品」ではないことです。そして、顧客のために、いかなる細部も疎かにせず、見えない隅々にまで設計哲学の意識を注ぎ込むことが大切です。

心を打つ "narrative"

残念ながら現代の市場においては、世の多くの製品・サービスは製造者論理で作られがちです。設計哲学が不在のままコストパフォーマンスの名の下に中抜きされ、作為の美を競い、細部の詰めや造りが甘い、まるで空虚な劣化コピーのような製品が少なくありません。そうした製品からは、人々の心を打つ優れた物語、いわゆるnarrativeが生まれることはありません。

逆に、優れた設計哲学が貫かれた製品からは深いnarrativeが広がり、魂を震わせる官能を生み出し、それは伝説となります。形あるものの外形をコピーすることは出来ても、このnarrativeをコピーすることは出来ません。
優れたものづくり。それは独自の設計哲学を追求し、narrativeを生み出すことに尽きる。そう思うのです。

零戦、ポルシェ911、iPhone。
これら時代を超えて傑作と呼ばれるものは、いずれも優れた設計哲学のもとに生み出され、永遠に語り継がれるnarrativeを紡ぎ続けます。
もしご興味があれば、その設計哲学と、開発製造が辿った歩みに触れることをお勧めします。

デザインとは「創造の全てを設計する行為」です。
優れたデザインとは、優れた設計哲学のもとに生まれます。
そして優れた設計哲学は、時代を超えた物語を生み出します。
何かを創ろうと臨む設計者、意匠デザイナー、開発者、技術者、経営者は、この要諦を忘れずに、未知の可能性に挑戦して欲しいと願っています。

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