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台所で、命のはなしをしよう②




病室でほぼ力尽きながら、ひとつの大仕事を終えたばかりのわたしの代わりに、Joが方々に連絡をとっていた。


病院から宿泊施設に予約をとる際に、
食事のリクエストを聞かれた。

これはちょうど機内食と同じで
日本ではベジタリアンのオプションは一般的ではないが

欧米では食事のチョイスとして
通常か、菜食かくらいは必ず選択肢がある。



普通のとベジタリアンがあるけど、どうする?と聞かれ、

間髪入れずにベジタリアンをお願いした。




わたしが当初出産をする予定だった滞在先は

老婆の営む小ぶりなオーガニックファームであった。

忙しい時期は手伝いの若者や
近所の老人が出入りしながら運営されているようだったが、

南半球の6月は、次第に休みの時期に入る頃で

ちょうど短い期間ぼとぼとと落ちる
2、3本のフィジョワの木や

アーモンドやくるみの木から落ちた湿った殻付きの

実を拾い集め、乾かすために暖炉のそばの部屋が
ナッツで埋め尽くされるという

冬の農家特有の光景が繰り広げられていた。


裏の小屋には、

何匹かの羊と、ぶたと、にわとりがいた。


ときどき餌やりを頼まれてひとり、いくのだが

勝手がまったくわからず、餌の分量もわからず、
ほんとうにこれで合ってるのだろうか?と思いながら

中途半端な仕事をして家に戻るのが、

かなり苦痛であった。





その場所の主でもある老婆は

かなりストイックなヴィーガン(卵乳製品なしの菜食主義)だった。

かなりストイックなヴィーガンなだけならまだマシだったが、
彼女は
肉やジャンクフードを食べることに対して、
はっきりとした否定的な態度を貫いており

毎回、
雑食の人間に対する文句や、環境破壊だの
不健康だの携帯電話の電波が人間をおかしくするだの、
とにもかくにも批判が絶えなかった。

必ず最後の締めくくりは、


「わたしは自給自足のこの菜食生活をしているので
この上なく、天国にいるように幸せなのよ」

であった。



わたしは
同じフレーズを毎日聞くたびに、
ノイローゼになりそうであった。



わたしはその抑圧の反動なのか単に
臨月だからなのか全然わからないが、

とにかくジャンクフードが食べたくて食べたくて
仕方がなく、


巨大なチョコレートや
スナック菓子をスーパーで買っては、
彼女の目の届かない自分の部屋のタンスの中にしまいこみ、

こそこそと腹を膨らませた。




もし今現在彼女のもとに滞在したら、

堂々と彼女の部屋でパソコンを開き、

「はっはー」と笑いながら


マクドナルドのハンバーガーや虹色のアイスクリームをむさぼることが
可能だろうが

当時は違ったのである。



わたしは怯えるようにして、罪悪感にまみれながら
彼女の言葉を遮るようにして、

カロリーの高いものを欲している妊娠中の自分の身体を、
小汚い存在のように感じながら

毎日自分を偽りながら

食べた気のしない

食事を続けた。



彼女の育てた野菜をたくさん食べると、
老婆は目をキラキラさせて、喜んだ。



そのひとは
性質的に

自分とよく似た部分をたくさん持っており、


そのなかの要素のひとつは

「疑いなく純粋である」ということが挙げられた。




一度、ハムを買って
とても遠慮がちに、冷蔵庫の端っこに入れておいたのを見つけた老婆が、


わたしのことを
手伝いにきてくれたDoulaに

「マイがハムを買って冷蔵庫に入れているのだ、
頭がおかしいんじゃないか」


と愚痴を言っていたことを
間接的に知り、

軽いトラウマになった。




これから神聖な新しいいのちを迎え入れるというときに
その環境は実に悪夢のようであるが、

アメリカで長らく菜食の料理をしていて
自分も菜食時期が長かったこともあり、

こんなやりとりがそこらじゅうでとり行われているのを
ずっと見てきたので

ある意味わたしにとって、


その状況は
実に、肌馴染みのよい
身近な感覚だったのである。




妊娠中はとっくに私はベジタリアンじゃなかったが、

よかれと思ってその老婆の家を紹介してくれた
これまたストイックな菜食の友人夫妻の手前

わたしはどうしていいかわからないまま
相変わらず

修行のような日々を過ごしていたのである。





Joに聞かれ、

当然のように、「ベジタリアン」をリクエストした直後


ふと我にかえり、

「魔が差した」ような気分になった瞬間がきた。


その頃、普段の意識下とは異なる状態にいたわたしは
老婆の洗脳が抜けきっておらず、

通常の食事(肉や魚を食べる一般の食事)は

完全なるタブーであった。




そう、タブーを犯すときがきたのである。

すぐさまJoに頼んで

通常の食事に変更するように連絡をしてもらった。





わたしはまだ、人にどう思われるかを
過敏に気にして生きており、

Joは、悪く思わないだろうか?
ホストの老婆にはバレやしないだろうか?


本当に、普通の食事を食べても許されるのだろうか?


などと内心胸をどきどきさせながら、
そのリクエストをしたのをよく覚えている。






そしてその夜施設に移り

朗らかな笑顔のスタッフにより運ばれてきた食事は、



巨大なプレート山盛りの、
ローストビーフとチーズ
ハムに、パンに、

デザートまで載っている、

見たことのないような食事であった。




そんな大量の肉を見たのは、
ニュージーランドに来てから


初めてのことであった。



瞑想センターと菜食の友人宅に滞在し、
その後老婆の家に移ってから

わたしの前に供されるものは

ほとんど野菜と果物ばかりであった。




そのおおぶりの皿には山盛りの肉だけではなく、
きちんと野菜と果物もバランスよく乗せられており



遠慮がちに、時々
こそこそと口にした、


例のトラウマハム、薄い一切れではなく



それは
口いっぱいにいれても十分に

余るくらいの量の、
ローストビーフやハムで




わたしはそれをひとくち食べた瞬間に、

声を出して泣いた。







乳房はパンパンに張っていて、

誰に教わったわけでもないのに、その小さな動物は
わたしの乳房を咥えた。

誰に教わったわけでもないのに、
わたしの身体は、乳を絞りだすことを知っていた。


わたしの身体は、
激しいくらいに、

動物のエネルギーを欲していたのに、


わたしはずっと、それを無視して抑えつけてきた
数週間だったのである。





妊娠する前には
一切興味もなく、

見向きもしなかった肉の塊が、

そのときわたしの身体を生かしていた。



堰を切ったようにわたしは次々にそれを口にいれ、

噛んで、味わうと、


「生きている」気がした。


それは

ほんとうに久しぶりの感覚で、

わたしは
すやすやと小さな新生児ベッドで眠る生物の横で

泣きじゃくりながら

食べて、食べて、

食べた。










巨大なプレートの上は、
お腹いっぱいにハムやチーズを食べて一息ついたあとも、

まだ食べきれないくらい残っていて

わたしはそれを、
次の日もまた次の日も

大事にポケットに忍び込ませて
何日もかけて


食べたいくらいだと

そう思った。





残った食事を下げていいか聞きにきたスタッフに、
あとでまた食べるから、捨てないでほしい

と言うと、快諾してくれた。



戦時中ではなく、

二千十四年の南半球

静かな、冬の夜。



その建物の廊下をまっすぐに歩くと、つきあたりに
小さな冷蔵庫のおいてある給湯室があって


食堂と呼ぶにはふさわしくないくらい小さな
その場所に、

チョコレートや、クッキーや

自由に飲んでいい甘い飲み物がおいてあり


わたしは安堵した。



翌日その場所の冷蔵庫を開けると、

ちゃんとわたしの食べ残したお皿が、

ラップをかけられて
しずかに佇んでいた。


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