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MMM2009-2018:定点観測(MMM2010)

 「最も大変だった年」は2009年、「最も辛かった年」は2011年とすると、2010年は「最も人生に絶望していた年」だったなあ、と振り返ると思う。

絶望と言ってもそんなネガティブなものではない。要するに昨年度の「高い意識」が、MMM2009と博士課程のフォーマル発表終了の反動で消え、のんびり作家活動と非常勤講師業で細々と生きていければいいかな、なんてナメたことを考えていた。

まあ振り返れば、仕方ないよなって年で、月給7万円で生活できず、その年に母が亡くなり家族のケアに気を使い、就職した彼女(当時)とは疎遠になり、研究室が小川研に移り、その後多大なるご恩を受けるとは言え、さすがにまだ関係性が見えずに、さすがのぼくも戸惑っていた。MMMの代表職は日高くんが引き受け、緒方くんは、1年目でもウマが凄い合った(清水)健祐とMMMを取りまとめる体制になっていった。そんな中で、ぼくは極めてぬるい作品制作活動に従事、…いや、逃避していた。

もちろんMMMを辞めたわけではない(し、自分の作品を発表することにもなっていた)のだけど、この年の7月ぐらいまでの記憶があまりない。5月か6月に緒方くんに偶然会い、自分でも分かるぐらい間の抜けたことを言ってしまい、軽蔑した顔をされたことだけ、覚えている。その後緒方くんが体調を崩し、私はMMMに戻ることになる。

MMM2009と2010の違いは、展示場所が駅だけでなく商店街まで拡張されたことにある。緒方くんと(清水)健祐が、「商店街の回遊性向上」をMMMの目的として掲げたからだ。那珂湊の中心地に定点カメラを設置し、会期中と会期外で人の通りが変わればMMMの意義はある…ということで、近隣の商店に許可を得た上で、作品が多数展示されているゾーンに定点カメラを設置した。

写真はその一枚。ぼくの横にいる「みのる堂」さんの店舗前に磯山徳沙さんの作品『今日のおやつはなんですか』が展示されていた。この作品は、毎日作品となる「おやつが入るはずの器」をスタッフが宿舎から持っていき、みのる堂さんに挨拶して置かせてもらう、という日課があった。この日課、ぼくは結構好きで、ちょくちょくやるうちに「みのる堂」さんと話すようになり、仲良くなっていった。

この写真はたぶんMMMの終盤。「みのる堂」さんが「よそ者のMMMがこんなことをやってるなら、俺たちもやらなきゃいけない」と嬉しいことを言ってくださり、MMMのフラッグにいたく感動した話をしているところだと思う。

この後、東日本大震災を経て、MMMは関わる人が大きく変わることになる。緒方くんと健祐はこの年限りでMMMを離れることになった。みのる堂さんは、その後しばらくして閉店し、彼オリジナルのフラッグを見ることは結局できなかった。この定点観測も、論文のデータとしては使えるものにはならず、結局はお蔵入りになった。

でも、こうやって書いてることで、ふと気づいた。

ぼくの定点観測はまだ終わってないんだな、と。

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