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【795回】沼田和也「牧師、閉鎖病棟に入る」

牧師が、精神科の閉鎖病棟に入院する?
牧師、精神科、閉鎖病棟というあまりつながらないように見えるキーワードで構成された本。

著者と自分の共通点が身に沁みる。

すなわち、

「『あなたはありのままでいい』ということは、あなたは今のままでいい、だからわたしはあなたになにもしないという、他者への無関心を糖で包んだ言葉に過ぎなかったのではないか。あるいは、わたしも今のままで行くから、あなたはわたしに余計な干渉を一切しないでくれという、自己と他者のあいだに壁をつくることだったのではないか」

p121-122

「『ありのまま』という言葉を武器にして、多弁な言い訳によって自分を糊塗し、なんでも人のせいにする。自分は無垢な被害者なのであり、つねに他者こそがわたしへの加害者であると、他者を断罪し続ける」

p122

という姿勢。もう20年以上前になる学生時代の自分。今は逆に、「他者」ではなく「ありのままの理想の自分に到達できない自分」を断罪し続けているのだ。

責める方向が他者か自分か。責めながら生き続けてしまっている。
仕事がうまくいっているときは、責める量が少なくなった、もしくは、うまく回避できた。責める癖はずっと残っている。

著者を治療する、主治医の言葉が苦しい。
まわりに人に労ってもらうのではない。

「これまで積み重ねてきた挫折の数々。あなたはそこにある共通点を見つけ出し、見つめ、内省を深めなければならないんです。そうでなければ、あなたはこれからも同じ挫折を繰り返すだけです」

p120

なんで、自分だけが変わらないといけないんだ。この不満、まわりへの嫉妬感がつきまとう。
変わりたくないなら、変わらなければいい。苦しいだけ。
変わりたいなら、変わる努力をしよう。苦しいけど。
変わろうとしているのは自分だけではない。相手も日々、変わろうとしている。

忘れていた言葉。

「相手にも言いぶんがある」

p169


相手には相手の事情があるのだ。
決めたではないか。相手を変えようとするのではない。自分を変えようとするほうが圧倒的に楽なのだ。
そうやって過ごしてきたではないか。

相手はきっとこうやって自分を責めている。
自分のせいでみんなに迷惑をかけている。
自分はこうしなければならない。
相手のせいだ、僕は悪くない。

こういう思考が生まれたとき、即座に気づき、「本当にそうか?」と反応できるようになったではないか。

苦しんで、再度、牧師として生き始めた著者を見て、
僕も、再度、教師として生き始めてみる。


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