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大西美智子 大西巨人と六十五年

2014年3月12日、97歳でこの世を去った作家・大西巨人。その妻美智子さんが書いた本書を最近読んだ。というのも、現在わたしが主催者の一員としてたずさわっている連続講演会の最終回にてテーマとなるのが大西巨人だからだ。チラシの裏面には本書からの引用もある。

大学在学中テキストとして『世界文学の扉をひらく 第一の扉』や『精神のたたかい』を繰り返し読んでいた。いずれにも立野正裕先生と大西巨人さんの対談が収録されている。『神聖喜劇』の重要なエピソードや登場人物たちについてや大西さんの子育てに関する逸話などはよく話題に登るので、うっすら理解したつもりになっているが、肝心の作品を通読したことはまだない。
そんな不勉強な自分にとって、美智子さんが書いた巨人さんとの65年を綴った本書は必読の一冊であった。

18歳の出会いから、主治医に不可能と言われた自宅でのたった一人の看取りまでを綴る

『大西巨人と六十五年』帯文

「金がないことは恥ではない。貧乏に負けてはいけない。貧乏たらしくするな。精神はいつも豊かであることが大切」。同感して、どんな時もその言葉を忘れないで、みすぼらしい家庭にしないよう心がけた。

『大西巨人と六十五年』本文より

人からお金を借りること、カンパしてもらうこと、生活保護を受けること。自分がそう頼まざるを得なくなったと想像するだけで、なぜ後ろめたいと感じるのだろう。食べるために働くことこそが尊い、人に頼らず生きてこそ一人前の大人だと、わたしに深々と植え付けられたこの価値観はどこからやってきたのだろうか。いつだれが植え付けたのだろうか。

大西巨人の生涯を知りその作品群を読めば、彼は自分の仕事を「書くこと」「評論すること」一本に定めていたことがわかる。これは並みの人間にはできないことだ。それを支えた美智子夫人、この人もまた強さを兼ね備えた女性だと感じる。

97歳の夫が病床についた場合、わたしならきっと「これだけ長生きをしたんだから、もう十分ではないか」と考えるだろう。美智子さんはそう考えなかった。少なくとも諦めのような言葉は本書にはほとんど見られない。家に連れて帰るんだ。本に囲まれた自宅に連れ帰り、自分が世話をするんだと、流動食を胃に送るための機械の使い方を覚え、最期の2週間を自宅で介護した。

大西さんを直接知る人からしたら、最期の様子を読むのはどんなに辛いことだろう。しかし、本書が読者一人ひとりにとって、大西巨人がどんな作家であったか、どんな風に生き、読み、考え、書き、死んだかを知ることで、自分を省みたり、残りの人生をどう過ごしていきたいかを考えるきっかけを手にすることができるのは幸いではないかと思う。

療法士のリハビリ中、大西さんが一番親近感を持っておられる作家は、と聞かれた。少し間があって「明治大学教授の……」名前が出ないようだ。立野さんですか。「そうだ」と答えた。療法士は明大で立野正裕さんから『神聖喜劇』の講義を受けたことがある、と話された。

p.222 『大西巨人と六十五年』

大西さんの蔵書の半分を立野先生が引き取ったという話は聞いていたが、それについても本書に書かれていた。「委託」という二文字が脳裏をよぎる、いや、とどまる。

次の土曜日の講演会でどんな話を聴くことになるだろう。1週間かけて、心の準備をして臨みたい。

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