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実は似たようなもんじゃん。

うちにワラジムシが大発生していたことがある。洗濯機が置いてある一部屋限定の大発生。

ワラジムシとダンゴムシの違いは、丸くなるかならないか。ワラジムシの方が少し平たくて、背中はゴムのような弾力性を感じさせるマットな質感。ダンゴムシに対して抱く「かわいい」がここでかたちを成さないのは、その表面にしっとりとした潤いを感じるからだと私は思っている。

彼らに遭遇したときの対処方法は2つ用意していた。

① 踏まないようにつま先立ちで洗濯機まで行って、つま先立ちで戻る

② 箒と塵取りで彼らを集めて外に出す

②は、①が物理的に無理になった時にする。それが私の中の決まりだった。
施行の割合はおおよそ ① : ② =5:1くらいだったと思う。

②について具体的に話をしよう。

右手に片手箒、左手に塵取りを持って、しゃがんで足元のワラジムシを集めていく。
学校の掃除の時間は端から順々に掃いていって最後にゴミをひとまとめにしたんだよなぁ、なんて思い出したけれど、ワラジムシは順々に掃いたら順々に逃げるから、その都度塵取りに入れていかなければならない。
彼らは意外と足が速いので逃げようと思えば逃げられるはずで、何十、何百という数のワラジムシが縦横無尽に逃げ出したら私には打つ手がないと思う。だけどそういう事態に陥ったことはなくて、毎回山盛りのワラジムシが捕獲された。

タイル張りの床全体をワラジムシが這っていた。日によって変わるのは、その密度。
大きいのと小さいのと中くらいのがいて、小さい者は目地のくぼみに収まって箒の一掃を逃れることがあった。角に入り込んだ者も逃れることがあった。

古い壁は所々表面が浮き上がっていて、下にワラジムシが隠れていた。満員電車さながらにぎっしりと。
ぽろぽろと壁の表面を剥がすのは、隠れ家や防空壕を壊して侵入するようなもので、私はアドレナリン溢れる巨大な力のモンスターになっていた。
ここでもさっと速足で逃げる者や、壁の穴の奥の方にしっかりと入り込む者が何匹かいた。多くは抵抗せずに塵取りに収まった。

白くて粉っぽい瓦礫にまみれて塵取りの中にかたまるワラジムシ。
全ての関わりを突然断たれ、彼らは桜の木の下に放られた。

彼らの生活が洗濯機の部屋に限定されていたとすれば、その部屋で生まれてその部屋を世界の全てと認識していた者も多かっただろう。
部屋の中にはいくつかのスポットがあったけれど、それぞれコミュニティみたいなものが形成されていたのかもしれない。

「このままにしておけば壁がどんどん侵食されてしまうから」というのが私の信じた大義名分だった。
実際は、彼らは家を壊すほどの力は持っていなかったと思う。
現に数年後、降水量の少ない2つの冬を境に彼らはすっかり姿を消してしまった。

気づかないふりをしていたけれど、本当は、私は少し彼らに親近感を抱いていたと思う。
実は似たようなもんじゃん、そう思っていた部分があったと思う。
それでいて、私がしたことは、強制連行、追放。彼らのその後を私は知らない。

昔々、この家には大屋さんのお母さんが住んでいた。南ドイツの小さな町の小さな家。
標準を幾重にも下回るボロ家なのに、改装も売却もされない。それはきっと、ここに残っている大屋さんの思い出のせい。
終戦後のドイツの、私には少しもかする余地がない思い出。

私たちはたまたま今この空間に住ませてもらっているに過ぎない。退去を求められたら去るだけの存在に過ぎない。
ワラジムシたちとあまり変わらない、仮住まい。


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