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#23 日本の夏

 予告なしに夏休みに入って、note1回休みしてしまった。なんでもいいからとにかく定期的に続けることに意味があると思っていたのに! なんとかかんとか毎週1回更新していたのが、夏の土用にゆるりご自愛という形に。ちょっと身体が辛かった。暑い中、重労働と移動が多すぎたのかしら。貧血の方は、生理が終わったし、薬局で買ったファイチという薬がいいのか、少し良くなってきた感じ。婦人科の予約をして、堺の鍼の先生の予約もとって、久しぶりに身体と向き合っているが、どうもここ数年を振り返ると夏に体調を崩す傾向がある。夏好きなのに。はしゃぎすぎるのかな。先週土曜日のイベントに来てくれた友人が、
 「もう若くないんだから」
と笑って私を気遣ってくれて、いやいや本当にそうだ、と思った。そういうふうにちゃんとリマインドしてくれる大事な友人がありがたい。NYにいた頃診てもらっていた素晴らしい中医の先生に、女性の身体は7の倍数の年齢で大きく変化して(男の人は6の倍数)、35歳からは下り坂と教えてもらった。当時体調が絶不調だったけど、それでもまだ7の倍数的には下り坂には入っていなかったので、その後なんとか健康を取り戻せたのかもしれない。今や下り坂まっしぐら。この夏はうなぎ食べる機会あるかしら。肝吸い飲みたい。でも肝吸いだけ飲んでもなんだか違うのだろうし、鰻重があっての肝吸いだからこそいいので、やっぱり鰻屋さんに行かなくちゃ。

 日本の夏っていいなあとしみじみしている。東京が暑い暑いと、ドイツにいても台湾にいても、みんなの悲鳴が聞こえてきているので、おそろしやおそろしやと思いながら台湾からやってきてみたらハイハオだった、という記事をこの間書いたけど、ハイハオどころか最高の気分。お祭りがあって、盆踊りがあって、海があって、ビールは安いし、この辺の人は平日朝でも玄関先でBBQしてるし、暗くなると遠くから花火の音が聞こえて、私も死んだらお盆の時期には日本にぜひとも帰ってきたい。台湾では、なのか、うちでは、なのか、いまいちわからないけど、母曰く、亡くなった人はこの世に帰ってくると、生前行ったことのある場所全部に行くのだという。だとしたら、この間のコピス吉祥寺の盆踊りにおばあちゃんは来ていたはずで、というのは今コピスが建ってる元伊勢丹だったところにおばあちゃんはママと一緒に来ていて、私の夏休みに合わせておじいちゃんと一緒に日本に来てくれた時、ちょうどあのあたりにあった着物屋さんでちゃんちゃんこを山のように買って台湾に持って帰るお土産にしていた。夏休み時期にちゃんちゃんこなんて、そんな暑苦しいものは店先に並んでないので、お店の人が驚いて、そして倉庫まで行ってあるだけの在庫を出してくれたのを母とおばあちゃんは爆買いした。
 
 ちゃんちゃんこはタイヤルの山の親戚友人の間では大人気で、おばあちゃんと生前親交のあった人たちはみな大体着ている。母も台北の家のクローゼットに私用のちゃんちゃんこをしっかりキープしていて(「これは誰にもやらなかった」と母が守り抜いたのは赤い絞り柄の綿入れ半纏)、寒くなると母は必ずそのちゃんちゃんこを持って私の部屋に来て、ほら、と差し出してくる。ちゃんちゃんこで防寒する習慣は私にはないが、母は私が袖を通すまで、絶対一番あったかいんだから、とか、えりちゃんちゃんこすごく似合うと思う、媽媽覺得你穿這個很可愛、這チャンチャンコ是很好的呢、などと延々とすすめてくるので仕方なしに着る羽目になり、日本では着ることのないちゃんちゃんこを私は台湾で着ている。「これが一番ぬくいのよ」とおばあちゃんもよく言っていた。おばあちゃんがそう言う度、おばあちゃんとかつて「ぬくい、ぬくい」と日本語で会話していた日本人は、日本のどこから来たどんな人だったんだろうと思った。

昨日の夕焼け。

 
 おばあちゃんはこのあたりには来たことがないはずなんだけど、私が知らない間に、おばあちゃんは、四人姉妹やタイヤルの友達なんかと一緒に何度か団体ツアーで日本各地を旅行していたらしいので、もしかしたら藤沢はなくても鎌倉くらいには、鎌倉まで行くツアーなんだったらもしかしたらついでに江の島あたりまでは、もしかしたらだけど来たことがあるのかもしれない。

 というのはこの間、近所の方からお話をいただいてこのすぐ近くのギャラリーでライブをした時に、なんだか変な感じになったのだ。みなさんに軽くタイヤルの話を紹介がてらして、おばあちゃんの話をして、そしておばあちゃんについて書いた歌(『タラガイ漂亮』)を歌って、とそこまではいつものライブ通りなんだけど、歌っいてる間、今まで一度もなったことのないようななんといもいえない感覚がおこってきた。何が起きているんだろう、と思いながら、気は確かに、と言い聞かせて最後まで歌ったけど、あれは一体なんだったんだと今でもはっきり思い出せる、とても不思議な、でも、一体なんだったんだろう、としか言葉にできない。
 あの日のお客さんはほぼみなさんお会いするのがはじめてで、音楽ファンというよりギャラリーにご縁のある方々で、ライブハウスやなんかと比べると明らかにとってもオープンな雰囲気の方が多いのが印象的だったのだけど、特にその曲の間はみなさんものすごくニコニコしていて、30人くらいの方々が目の前でニコニコしながら体を揺らしている中、私は「おばあちゃん来た」と思った。そんなことあるのかわからないけど、でも来たと思ったんだから、来たんだろう。日本って今お盆なのでしょう? 台湾の鬼門開は旧暦7月初日だから今年は8月16日。それじゃあ7月に先に日本を回って、それから台湾に戻ってあちこち回りましょう、っておばあちゃんもなったのかもしれない。

 
 大家さんの畑にパラソルが出ているのが窓から見えたので、あわててお財布を持って家を出た。ナス1袋100円。最後の1袋。今日は出遅れた。日本のナス。オクラやキュウリ、サヤインゲンなんかはもう売り切れてなかった。ガレージのちょうど日陰になってるところで、午前中の農作業を終えたところか、おじさんたちが上半身裸でお昼休憩している。私の方は下半身いつものショートパンツの水着だ。これは香港のビーチで友人のゲイカップルがサプライズで買ってくれた思い出の水着で、非常に趣味の悪い柄だ。観光地で売ってる水着って、一体どうやったらそんなにもひどい絵柄を考えつくのかこちらが考え込んでしまうほど、おそろしく趣味が悪い上に色使いもド派手なものが多いが、確かに今日みたいなピカピカの青空の下にいると、趣味がいいとか悪いとか、そんなのどうでも良くなる。この酷い柄の水着を私はそんなわけで好きになって、夏の間はいつもいつも着ている。夏にうちに遊びにくる友人で水着を持ってこなかった人たちも、男女問わず数名これまでに着ている、というか、性別や趣味趣向など分け隔てなく誰でも着られる水着は、うちにはこの1着しかない。
 お昼休憩中のおじさんの中にはいつも挨拶をし合うおじさんが一人いて(おじさんと呼んでしまったけど私より若い気もする)、でも今、私とおじさんは、あ、あの人ね、とお互いに思っている雰囲気を出しはするけど、お互いになんとなく声を出して挨拶はしない。蝉の声がする。町内放送で、81歳の男性が迷子になっていると流れる。身長160cm前後。
 雲ひとつない青空。植えているのか、勝手に生えてきたのか、畑のワキの道沿いに一列で生えているモロコシの先が、風が吹いて揺れる。モロコシと私と、アスファルトの道路と、石垣と、生垣と、家々と、日傘の下のおばさんと、ここのみんなに風が吹いて、日差しがやさしく感じられる。大家さんの桜は、太く長く伸びた枝の全てに葉をさわさわとつけていて、その木漏れ日なのか影なのか、揺れ動く中を、ナスの袋を持ってくぐって家に帰る。


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