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春は少年野球を思い出す(4)

当時同学年で一緒に汗をかいた6人は、今は中3になりました。
野球部1人、クラブチーム(硬式野球)1人、他、各々の部活に入り、最高学年として頑張っています。

需要があるかわからないけど、フリー素材です。
ダウンロードしてご自由にお使い下さい。

捨てる神あれば拾う神あり

少年野球をやめると決めるちょっと前に、たまたま学校の参観日で話した息子の友達のお母さん。
特に仲が良いわけではなかったんだけど、本当にたまたま『野球、やめることにしたんだ』と話をした。

そしたら

『うちの子、小学生バンドに入っているんだけど、来週、体験会があるの。来てみない?』

小学生バンドとは、市内の小学生が入れる金管打楽器バンド(吹奏楽)だった。

野球をやめたら土日のスケジュールがぽっかり開く。

きっと吹奏楽も、野球や他の習い事と同じだろう。
それでも不器用な息子、やってみないと向いてるか向いてないかなんてわからない。たくさん挑戦して好きなことを見つけてほしい。

そう思った。

楽譜も読めないし、ピアノ習っているわけでもない。
そもそも器用じゃない。
吹けないかもしれないけど、6年の運動会の為にトランペットを先に習っておいた方が鼓笛で有利かな?
そういう打算的な考えもあったと思う。

とりあえず行ってみよう。

吹奏楽初体験

体験会に行ってみたら、女の子がいっぱいと男の子が数人。幼稚園が同じだった顔見知りもチラホラ。

野球やってた子が(まだ辞めてないけど)来るって噂と、息子は体格が良かったので、体験の楽器はトランペットじゃなかった。なんか大きな楽器。

あれ?トランペットじゃないぞ?

これがユーフォニアムという楽器との出会い。
(息子は半年ユーフォニアムを吹いて、後々チューバになります。この話はまた別で)

まわりの体験の子が音を出すのに苦戦している中、息子はすぐに音が出た。
そして体験の終わる頃にはカエルの歌をマスターしていた。
息子はみんなに褒められ、他の子が吹けないのに吹けた!俺って出来る!!という優越感に浸っていた。
もちろんすぐに入団したいと言った。

久しぶりに見た、キラキラした笑顔。
みんなを虜にしてしまう愛嬌とその明るさ。
これから長く付き合う事になるM先生との出会い。

私の心もほぼ決まっていた。

少年野球最後の試合

吹奏楽の方には、野球の秋の大会が10月まであるので、終わってから入団しますと連絡を入れた。

息子には、今出来る精一杯をやれと言った。
もう暗い顔はしない!

10月、全ての試合が終わった。

息子が10月いっぱいで辞めるという事は、保護者のみに伝えてあった。みんな私の所にかわるがわるきた。
高学年チームの知り合いも私の所にきた。
残念だよって言ってくれたり、気持ちはわかると言ってくれたり、頑張ってねと言ってくれたり、責める人は誰一人いなかった。

最後の日、A君だけが目に涙を溜めて『裏切り者!!』って言った事。

それだけがずっと心に刺さったまま、野球を終える。

小学4年生の初冬。


野球を始めた時は飛球距離2mだったけど、20m以上の距離を投げられるようになった。
野球をやってなかったら逃げる専門だったはずのドッヂボールもボールを受けとめて当てる事だってできる。
よく考えたら野球チームの中で下手だっただけで、普通の子に比べたら平均点以上じゃん!!

それだけで、野球やって良かったと心底思える。

本当に終わったんだな。野球生活。

中学生になってA君と再会

5・6年時代はがっつり吹奏楽にのめりこんだ。

好きなことをやっていると時間が早いというのはまさにそれで、吹奏楽を始めてからの時間はめちゃくちゃ早かった。
グラウンドで1時間立つのがやっとだった子が、1日立って吹いてても大丈夫だった。
グラウンドでは馬鹿にされてた息子が、曲の中では柱になっていた。

人には向き、不向きというのがある。
それは息子を通してよくわかった。
楽器を吹く、ということは息子にとって、初めて平均点よりは上かな?と自信を持って言える事だった。

ユーフォニアムから始まり、すっかりチューバマンになった息子が小学校を卒業した。

卒業の年は、前回記事に書いた通り、コロナ禍で大変なことになってしまったのだけど…。

中学校に入るときに、息子だけでなく私も気にしていたのはA君だった。
あれからずっとシコリのように残っている。

A君は悪い子ではない。
むしろ正義感が強くて芯のしっかりした良い子だ。
息子と同じで陽気でおちゃらけキャラだ。

『中学に入ったら何か言われないかな』

と入学前に息子が言ったけど、内心は私も心配していた。

息子は息子で、野球をやっていた子に胸を張れるくらい吹奏楽を頑張ってきた。
バンドのみんなには十分頼られる存在になっていた。
曲を支えるチューバマンになっていた。

胸を張っていいんだよ、辞めたことは悪いことじゃないんだから。

そしてクラス発表。
A君と同じクラスーーー!!汗

最初はやっぱりぎこちなかったらしい。
お互い、名前じゃなくて苗字で呼んだらしい。
A君は息子が野球部に入るかもしれないと少し期待をしてたみたいで、『息子君は何部に入るの?』って聞いてきた。

息子は『俺は吹奏楽部に入るよ』って言った。

『そっかぁ。お前も頑張ってきたんだな。野球じゃなくて残念だけど同クラスよろしくな』
って言われたらしい。

この日、すごい喜んで報告してきたから、息子も相当嬉しかったんだと思う。

今現在

冒頭に書いた通り、少年野球で一緒に頑張った子達はそれぞれの道で頑張ってます。春の総体が終わったら受験が本格的に始まります。

息子が少年野球に携わっていた期間は約2年だったんだけど、今継続中の吹奏楽とは別に、息子の基盤を作ってくれた大切な時間です。

挫折を知っているという事は、息子にとって大きな財産になりました。

息子は本当に恵まれていて、野球つながりの先輩後輩同級生、関係はいまだに良好です。
今でも誘われて公園で軽いキャッチボールやドッヂボールをしに遊びに行ったりしています。

吹奏楽関係では他校の先輩後輩とも知り合いになり、今でも一緒に演奏したり、男女関係なく交流関係は幅広いです。

小さい頃からの持ち前の愛嬌でみんなに好かれているのは、我が子ながら自慢です。

今年は受験生。
吹奏楽部の強い高校を希望しています。

吹奏楽部が強い学校は、野球が強い学校が多い。

野球で炎天下の中、グラウンドで立っていることの辛さを知っている息子。
野球のルールだって知ってる。
野球を盛り上げるシーンもわかってる。

吹奏楽部はコンクールや演奏会の楽しさも醍醐味だけど、私はぜひ、野球の応援に演奏に行って欲しい。
野球の応援に行った時に野球の友達がいたら、一緒にまた戦えるんじゃないか、心から野球を楽しめるんじゃないかとも思っている。

そんな日が来るといいな。

終わりに

息子が野球少年だった頃の話。

いつかは誰かに話したい。
いつかは文章にしたい。

そう思って何年も経ちました。

息子が野球少年だったのはたった2年弱です。
経験者からしてみたら、それは野球をやってたとは言えない年数でしょう。
でも、私達親子には、あまりに濃く濃密な時間だったので、ひとつひとつの光景や匂いが音が色濃く残っています。考えて悩んで一緒に成長した大事な時間。

桜が咲いて緑陽の季節になると、毎年毎年、楽しく、でも少し切なく、風のように軽やかに、息子が野球少年だった頃を思い出すのです。

長い話にお付き合いくださりありがとうございました。

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