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あの日の君を救うということ。

雨の廃車場で、地面を掘り返して何かを探す女がいる。彼女は爪を土で汚しながら思い返している。ここ一年半の間に出会った人、起こった出来事について。そして、彼女が決して立ち会うことのできない、彼らの過去について。憤りを覚えながら、時間を巻き戻すことなどできないと知りながら、彼女は掘る。とある人が失くした、自転車の鍵を探して――。

主人公は、県職員の採用が決まっている大学四年生のホリガイ。変わっている、とよく言われる人物で、女性らしさはほとんどなく、無神経な発言で人を怒らせ、飲み会の席でサラダをぶちまけられたり酒を浴びせられたりしたこともある。もっと過去に遡れば、小学校の頃、男子二人と喧嘩になって一方的に暴力を振るわれたこともある。

ホリガイが児童福祉司の資格を取った経緯も少し変わっている。
当時四歳の男の子の失踪事件のことをテレビで知り、彼が今、犯罪の手伝いをされられている、いや児童売春をさせられている、という証言を聞いて、ホリガイは自分でもなぜだかわからないけれどその出来事にひどく心を苛まれたのだった。男の子のことが頭から離れず、まともな生活もままならなくなったホリガイは、そんな状況から自分を引き上げる術として、彼を見つけ、救い出すための進路を選んだ。それがいかに馬鹿げた、可能性の低いことがわかっていても、そうせずにはいられなかったのだ。

そんなホリガイは、ひょんなことから、同じ大学で一つ年下のイノギさんと知り合う。
親しくなっていくうち、イノギさんはホリガイにとある打ち明け話をする。彼女の髪の下には大きな傷があること。それがいかにしてつけられたものか。
イノギさんは、幼い頃に連れ去られ、暴行された過去を持っていた。彼女の頭の傷は、抵抗した際に石で殴られてついたものだ。自転車の鍵は、その時の彼女が抵抗して、男の目頭に打ち込んだものだ。

幼い者、弱い者は、いつだって自分より大きく強い者に害される危険にさらされている。心も体も柔らかな時代に深い傷や屈辱、無力感を刻まれた人間にとって、その先の人生はすべて、その過去といかに向き合うかのリベンジマッチなのかもしれない。克服したと思っても、その苦しみがふいに眼前に現れてはまた元の場所に引き戻されるような瞬間が、きっと何度となく繰り返される。それは、浜辺に立って波が打ち寄せるのを止めようとするような、途方もなく、そして無為なことで、だから膝を折って諦めて、心を閉ざしてしまいたくなる。

負けるというのは、その時ただ負けるだけではない。次に勝つまで、負け続けるということだ。立ち向かうことを諦めた先には、永遠の負けと、水底のようなほの暗い平穏があるのかもしれない。
けれどこの物語は、そんな後ろ向きの安寧を断固拒否する。なあなあにすることをよしとせず、失ったものをなんとしてでも取り返そうとする。

過去に戻ってやり直すことは決してできない。再び同じように害される自分を、あるいは誰かを、救い出すために足掻くことだけが、無力だった過去の自分を、永遠の負けから解放する唯一の方法だ。自分自身もクラスメイトの男子二人による暴力に曝されたことのあるホリガイは、大人になった今、失踪した男の子を、傷を隠して生きるイノギさんを、引き上げるために奔走する。
誰かを救うこと、誰かを救いたいと思うこと。
それはたぶん、自分自身を救うことに繋がっている。

一度は出会い、心を通わせ、けれど離れていってしまったイノギさんにもう一度会うために、ホリガイはイノギさんの失くした自転車の鍵を探す。再会のきっかけとして、あるいは勇気として、あるいは決意として。
ラストシーン、ホリガイはイノギさんのもとへ向かいながら、イノギさんのことを思う。
銀色の、小さな自転車の鍵を握りしめて。

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