ほんとうに「理解されたくないと思ってる」?

友達との会話でひょんなことから「相手に誤解を与えていないか」と言う話になり、私が友達に

「あなたはどちらかというと、自分のことを他人に理解してもらいたいと思ってないでしょ」

と言ったら、彼女は確かにこう言ったのだ。


「人に理解されたいと思ってないってことを、わかっていてもらえて嬉しい」

と。

その時は「そっか」とだけ言ったのだけれど、彼女の要求は実はとても難しい。

“彼女の理解者”となるには、
彼女がどういう人であるか、つまり「who she is」
は理解してはいけないが、
彼女がどのように思って生きているか、つまり「how she lives
は理解しなければいけないのである。

「理解されたくない」人であるということを理解しなければいけないのである。

「あなたはこういう性格」と、彼女の性格を言い当ててはいけないが、
他人に簡単に性格を断言されることが嫌いであることはわかっているよ、と伝えなければならない、ということだ。

つまり
「あなたがどういう人なのかはすべてわかっているよ」
と言っても
「あなたがどういう人なのかさっぱりわからない」
と言っても、
彼女にとっては地雷になるのである。

しかも、
他人に対してこのタイプの欲求を持っている人は、他の人のそうした欲求を難なく受け入れられるので、
そうした考えを持たない人にとってこの欲求がどれほど難しいものであるのかを想像し難い。
いや、「想像し難い」と言うよりも、「どうやら私の欲求はわかってもらえないようだ」と諦めて、歩み寄るのをやめてしまう、という表現の方が正確かもしれない。

その上、そういったなかなかに面倒な欲求を自分が持っているということを自覚し難い。

「他人に理解されたいとは思わないことを理解してほしい」人たちのほとんどは、
自分のことを「理解されたいとは思わない」人だということは自覚していても、
自分がそういうふうに考えていることを理解してほしいという欲求には気づいていないことが多いからだ。

特に現代においては、コミュニケーションによる人間関係のトラブルの少なくとも1割程度はこの面倒の欲求によって引き起こされているのではないかと思う。

自分が他人に押し付けてしまっていないか、一度問い直す必要がある。

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